だっふんだ
タイトルを見てなんだこれ?と思う方が大半でしょうね。
じつはゆきぽさんからエッセイしりとりなるものの企画のバトンをわたされました。
なんじゃそりゃ?って思いますよね。
こういう企画です。
本当にnoteの住人っておかしなことばっか考えてるんだからって思ったあなた、次はあなたの元へそのおかしなバトンが渡されるかもしれませんよ。
そしてゆきぽさんから渡されたバトンは、
「テキトーだから、続いているのだ」
ゆきぽさんのエッセイを偉そうに短評書いてみます。
・「自分の言葉」が生み出す抜群の親しみやすさ
背伸びをせず、等身大の語り口で書かれているため読者がまるでカフェでおしゃべりを聞いているような心地よい距離感で引き込まれます。「テキトー=適当(ふさわしい・いい加減)」という言葉の再定義も理屈っぽくならず、自身の生活感(家事やnote、AIとの付き合い方)と自然に結びついていて説得力があります。
・「動いてから考える」という人間味の魅力
「勢いで飛び込むけれど、後からクヨクヨ気にする」という自己開示が、文章に絶妙な愛嬌と立体感を与えています。単なるポジティブ論ではなく「気にしぃだからこそ先に飛び込む」という逆説的な生き方の肯定に着地しており、読者の肩の力もふっと抜いてくれる温かさがあります。
・リズムとバトンパスの鮮やかさ
小気味よいテンポで一気に読ませつつ、後半のバトンパスでは次の走者(わ・た・し)へのリスペクトと好奇心がたっぷり込められています。しりとり企画の「お祭り感」と「人と人との温かい繋がり」を見事に体現した読後感のとても爽快な一本です。
はい、偉そうにすいません。
いただいたしりとりは『だ』
お待たせいたしました、お待たせしすぎたのかもしれません。
わたしが書いたエッセイしりとりです、張り切ってどうぞ!
『だっふんだ』
「だっふんだ!」
教室の隅で誰かが叫ぶと、周りの男子が一斉に吹き出す。
休み時間のたびに、私たちは何度その言葉を口にしただろう。
意味なんてない。
ただ、変な顔をして「だっふんだ」と言うだけで世界は平和だった。
子どもの頃、我が家のリビングの中心にはいつもテレビがあった。
ちゃぶ台の上には夕食の残りと温かいお茶。
画面の中ではコントの神様が画面狭しと暴れ回っている。
8時だョ!全員集合、ドリフターズ、カトちゃんケンちゃん、バカ殿様、
だいじょうぶだぁ。
数々の番組のなかでも志村けんという人の放つおかしさは、子ども心に圧倒的だった。
少し下品で、理屈抜きに可笑しくて、だけどどこか優しくて。
普段は口数の少ない父親も志村けんの変顔には吹き出していた。
厳しい母親も目を細めて笑っていた。
あの時間、テレビの青白い光に照らされたリビングには、確かにひとつの「団らん」があった。
あれから時は流れ、気がつけばテレビを家族で囲む景色はめっきり減ってしまった。
それぞれが自分のスマホを持ち、自分の好きな動画をイヤホンで楽しむ時代。
便利で自由になったけれど、ふと、あの「全員で同じ画面を見て笑い転げた時間」が猛烈に恋しくなることがある。
志村さんが旅立ってからもうずいぶん経つ。
それでも、ふとした瞬間に頭をよぎる「だっふんだ」の響き。
くだらないことで本気で笑い合えたあの頃の空気と家族の笑い声。
志村けんが残してくれたものはただのギャグではなく、誰かと一緒に笑うことの温もりそのものだったのかもしれない。
今夜も心の中で、あの懐かしい変顔を思い浮かべながら小さく呟いてみる。
だっふんだ。
では次のバトンを渡したいと思います。
次の走者は『みゅうなさんです』
みゅうなさんはつい先日私にエッセイを教えてくれ、勧めてくれた方で私のエッセイの師匠です。
はい、私はほぼ初心者です。
そんなみゅうなさんに褒められたくて一生懸命書いております。
バトンを渡すことを打診したら快く快諾していただきました。
ありがとうございます。
次も『だ・た』です。
よろしくお願いします。
そしてこの企画のバトンを渡してくれたゆきぽさんありがとうございます。
企画運営の方々にも厚く御礼申し上げます。
「だっふんだ!」
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