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SNSと写真の距離感——“いいね”じゃなくて、“いい記憶”のために撮る

写真を撮るとき、ふと頭をよぎることがあります。

「これ、インスタに載せたら映えるかな?」
「どんな構図なら“いいね”がもらえるだろう?」
「人からどう見えるか」ばかり気にして、
“自分の気持ち”は、どこか後ろに追いやってしまう——

僕も、そんな時期がありました。
でも、子どもが生まれて、写真を撮り続けるようになって、
少しずつ気づき始めたんです。

写真は「見せるため」だけじゃない。
「残すため」「思い出すため」にこそあるんだ。


SNSを意識しすぎて、撮れなくなった日がある

以前、ある日常の写真をInstagramに投稿したことがありました。
構図も編集も、自分なりにがんばって仕上げたつもり。

でも、反応は薄くて、「誰にも届かなかったんだ」と、落ち込んだ。
それから何日か、カメラを手に取れなくなりました。

本当は、誰かのためじゃなくて、自分のために撮った一枚だったはずなのに。
気づけば、“他人の目線”に撮らされるようになっていたんです。


誰かの“いいね”よりも、自分の“よかった”

SNSでバズる写真には、ある程度の“法則”があります。
明るい写真、統一感、目を引く構図、加工のセンス——
でも、そういうルールに合わせてばかりいると、
だんだん、「自分の写真じゃない」気がしてくる

それよりも、僕が大事にしたいのは、

自分が見て「よかった」と思えるかどうか。

それは、構図が完璧じゃなくても、
ブレていても、
ピントがちょっとズレていてもいい。

むしろ、そういう“ちょっとした失敗”こそが、
あとから見返したときに、温度を伴った記憶として蘇ってきます。


写真は、未来の自分に手紙を送るようなもの

SNSの「いいね」は、数秒の反応だけど、
家族との何気ない写真は、何年経っても“声が聞こえるような記憶”になります。

たとえば——

・子どもが口のまわりにケチャップをつけて笑っていた昼ごはん
・寝顔を撮ったら、毛布が半分落ちていた
・公園で撮った逆光の写真に、自分の影が少しだけ写っていた

それはきっと、誰にも見せないし、“映え”ないけれど、
自分にとって最高の写真なんです。


SNSとの距離感を「調整する」という考え方

SNSをやめよう、という話ではありません。
僕も好きな写真家さんの投稿を見るのは好きだし、
共感や反応がうれしい日もあります。

でも、写真に迷ったとき、落ち込んだとき、
「SNSのためじゃなくて、自分のために撮っていいんだ」
そう思えるだけで、カメラを向ける気持ちがすっと軽くなります。


おわりに|“いい記憶”を残すために、今日も撮る

スマホで簡単に写真が撮れる時代だからこそ、
「どうして撮るのか」「なぜ残したいのか」が、問われるようになってきました。

でも、理由なんて立派じゃなくていい。
ただ、“今”を大切に思ったから撮った——
それだけで、その一枚にはちゃんと意味があります。

写真は、
誰かに見せるためじゃなくて、
あなた自身が“見返したくなる未来”のために撮っていい。

だから今日も、
心が少し動いたその瞬間を、シャッターに込めていきましょう。


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🔗 とっとのフォトライフ|https://miyabiphoto.hatenablog.com/

一方、noteではもう少し心に寄り添うような話——
写真を通して感じたこと、子育てを通じて気づいた“残したい気持ち”を、
ゆっくり綴っていきたいと思っています。

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