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存在の重さの浮遊性について

参考図書:ミラン・クンデラ 「存在の耐えられない軽さ」
作者:ミランクンデラ,Milan Kundera,千野栄一
出版社: 集英社
発売日:1998/11/20
メディア: 文庫

この本から受ける刺激は、僕にいろんなインスピレーションをくれる。
新しい着想の種が芽を出す。 
 

ヒトの存在の重さ

ヒトの存在の重さ。
これには浮遊性がある。
ある程度一定 である体重に対して、存在の重さは決まった形に留まることをしないし、できない。

パターン1:自宅で迎える朝

朝、目を覚ます。
僕の隣には、彼女がいる。
僕の存在は、重い。
彼女から見て、重い。現実的な重さがある。
僕がそこにいること。このことに対して、多くの意味を含むからだ。

パターン2:外出


洗面、朝食、着替え、出発。
僕は電車に乗る。
僕の存在は、軽い。
同じ車両に乗り合わせた人から見て、軽い。
僕がそこにいること。
このことに対して、意味は極端に少ない。
「こいつはいつ降りるのかな。椅子に座れないかな。」
程度の疑問を浮かばせる程度しか、影響力はない。

パターン3:出勤

出勤。
僕は会社にいる。
僕の存在は、まあ重くも軽くもない。
出勤すること、やるべき仕事をこなすこと。
多少の雑談をすること。
ここに、重みを乗せて生きている。
 

パターン4:帰宅。自宅にいる

そして、帰宅。
存在の重みもまた帰ってくる。
この場所に帰ってくることを待っている人、モノがいる。
植木鉢にとっても、水を与えてくれる僕の存在はきっと大きい。
重さと軽さは交差して、身体を自由に行き来している。

結論:抽象的な質量は定量ではない

いま感じている”重さ”にしても、
"耐えられない軽さ"
に取って変わられるときは来る。
原因が何であるにせよ。
抽象的な質量でしかないこの存在の重さ。
コロコロコロコロ変わる重さ。
当たり前だけど、おかしいね。
 
ps.ワンピースの、グランドライン直前の島。
バロックワークスのMs.バレンタイン。
“キロキロの実“の能力者である彼女は、具体的な質量を(自分の体重を)コロコロ変えて遊んでたね。

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