ブランコを漕いだことのない人がブランコを漕ぐ話をするとき
完璧なブランコの漕ぎ方なんてものは存在しない。僕たちが完璧な絶望や、完璧なドライ・マティーニに出会えないのと同じようにね。
もし君が生まれてから一度もブランコを漕いだことがないまま、その揺れについて誰かに語ろうとしたら、話はとても奇妙な方向へ転がっていくはずだ。
まず最初に、言葉は信じられないほど論理的になり、同時に信じられないほど空っぽになる。ブランコに乗るという体感は、頭の中でパラメトリック励振と呼ばれる物理学的な振子の増幅運動に変換されるからだ。古いジャズ・レコードのライナーノーツを読み上げるような生真面目さで、振り子の頂点における重心の移動や、鎖にかかる張力の計算について語り始めることになる。
でもね、実際にブランコを大きく揺らすために必要なのは、そんな計算じゃない。日曜日の朝の雨の匂いを嗅ぐことであり、体の底から湧きあがる一瞬の無重力感をすんなり受け入れることなんだ。
ブランコを知らない人間が差し出すアドバイスは、氷が溶けきって薄まったウイスキーみたいに味気ない。「後ろに振れた瞬間に背中を45度倒し、前に行くタイミングで両膝をまっすぐ伸ばす」。構文としては正しいかもしれない。でも、その通りに動いたところで、人は宙吊りの板の上でただ惨めに足をバタバタさせるだけだ。
座板から滑り落ちないための摩擦力や、鎖を握る指の力について熱心に議論することはできる。増幅する振り子の運動方程式を夜が明けるまで語り明かすことも可能だ。けれど本当に大切なのは、空に一番近づいた瞬間に訪れる、世界全体が不意に息を止めるようなあの数秒間の孤独なんだ。
やれやれ、と僕は思う。経験のないチャッピーが語るブランコの話は、風を知らない人間が描いた空のブランコに似ている。
haruki風味


