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「アメリカン・ドリーム」の音楽

このトランプ時代に、アメリカを描くというのはどういうことなのだろう。そんな問いかけをアートとしてかなり直球で表現したのが、バーバラ・ハンニガンによるアルバム "An American Dream?" だ。

タイトルに付された"An"という冠詞とクエスチョンマークから、アメリカン・ドリームへの懐疑が全体のテーマであると、すぐにわかる。アルバム・ジャケットには、動きを止めたメリーゴーランドの馬。美しく彩色されたメリーゴーランドの床には、ひびが入り、照明の半分は消えている。過去の記憶とノスタルジー、そして崩壊の気配が明示されている。

収録されているのは、次の4つの作品。きわめて批判的なメッセージを含んだ選曲である。

ガーシュウィン(R. R. ベネット編)『ポーギーとベス:交響的絵画』
コープランド『ダンス・シンフォニー』
ロジャース(D. ウォーカー編)『回転木馬』からワルツ
バーンズ(B. ハンニガン&B. エリオット編)『アット・ザ・フェア』

『ポーギーとベス』、『回転木馬』はともに、陰鬱なミュージカル。差別や偏見、日々の苦しみ、そして暴力がテーマだ。『ダンス・シンフォニー』は、映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』を観たことに触発されてコープランドが作曲したバレエ音楽。バルトークの『木彫りの王子』のオマージュが散りばめられ、重苦しい影がちらつく、ちょっと変わった曲だ。終曲『アット・ザ・フェア』(祭りのなかで)は、雑多な活気の象徴が、パロディめいて描かれる。

「アメリカン・ドリームなんて、本当にあったのかしら?」

これが、ハンニガンの問いかけで、それは『アット・ザ・フェア』の1曲目、"Have I Stayed Too Long at the Fair?"(フェアに長居しすぎたかしら?)で明示的に歌われている。長いお祭りにいすぎたのかもね、もう終わっているとも知らずに――

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「アメリカン・ドリーム」というのは、少し立ち止まって考えてみると、ずいぶん不思議な考え方だ。「どんなに苦しくても、努力して、働いて、リスクをおそれずに踏み出せば成功できる」という物語。そこでは、極端なほどの生活格差が、「夢の前提」になっている。みんなハッピーになる、という夢じゃない。ものすごく苦しくても、ものすごく豊かになることだって可能なはずだ――富を分かち合おうとか、穏やかに暮らしていこうとか、そういう発想とは対極にある。

格差はなくてはならないし、貪欲(グリーディ)でなければならない。それで何が起きているかというと、上位10パーセントの人々が、国全体の富のおよそ7割を占有する、極端なまでの格差社会。上位5パーセントの年間所得と、下位10パーセントの年間所得は、17倍も違う。

問題は、希望だ。『ポーギーとベス』にも、『回転木馬』にも、希望がある。まだやっていけるはずだ、オレたちには未来があるはずだ――それは、『ウェストサイドストーリー』の「サムウェア」でもそう。自分たちはもうダメかもしれないが、まだより良い未来は描けるはずだという希望のかけらみたいなのがあって、それが「アメリカン・ドリーム」の支柱だったはずなのだけれど、この10年ちょっと(リーマンショックから考えると20年弱かな)で、粉々になってしまった。ことに、この10年間、我が物顔でふるまっている、富の上位5パーセントだか10パーセントだかに間違いなく位置する金ぴか好きな爺さんが、残っていた良心とか希望とかについて、見る影もなくしてしまった。

それを音楽で表現できるというのが、クラシック音楽のアルバムなんだけれど、なんかもう「ロックですね」と言いたくなる。

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アメリカの街を歩いていて、絶望的な気持ちがよぎらないほうが難しい。どこに行ってもホームレスがいて、ジャンキーがいて、町じゅうでマリファナの匂いがする(これは州によるけれど)。日本に帰ってきてスーツケースを開けると、匂いが染みついていて、よく麻薬探知犬に引っかからないもんだと思うくらい(裏で引っかかって検査されているのかもしれないが)。

それでも良心を感じるのは、ワシントンDCにある国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館で、ここでは黒人の抑圧史やカウンターカルチャーが正面から描かれる。これを直視できることに、アメリカ社会の偉大さを感じていたのだけれど、トランプはたびたびこの博物館に干渉しようとする。差別の歴史、抑圧の歴史を語るのは、トランプによれば「アメリカの恥」で、「偉大な歴史」を捻じ曲げることになるらしい。

トランプが「真のアメリカのすがた」「偉大なアメリカを取り戻す」と叫ぶなか、ハンニガンのアルバムにしても、DCの博物館にしても、問うているのは、「真のアメリカってなに?」という根本的な課題だ。「アメリカン・ドリーム? それって本当はどういう姿をしていたんですか?」、と。「そのお祭り騒ぎにいすぎたのかもね」とハンニガンが歌うとき、夢や祭りは実体だったのですか、という残酷な問いが突き付けられる。わずかな希望をちらつかせることで、抑圧と搾取を隠していた、うわべだけのお祭り。メリーゴーランドは、誰かが壊したんじゃなくて、最初から壊れたんじゃないの、と。


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