創作の鍵は過程を楽しめるかどうか
朝、息子を起こしたら「今日は学校が休み」だと言う。
そういうのは前日に言ってくれ。
世のお母さまは「それもっと早く言って!」と思うこと数多くありますよね。
・今週末、保護者会。
・明日、雑巾持っていく。
・ノートなくなった。新しいの欲しい(現在22時)
・保護者面談の日程申し込み、昨日まで。
なんで直前で言うかな?
下手すると締め切り過ぎてるし。
ま、今日が休みなのは別に良いけど。
「今から友達くる」
は?それも前日に聞きたかったわ。
「ネタ合わせに」
ああ、相方が来るのか。
じゃあ私ネタ合わせ見れるな。
なぜネタ合わせなのか詳細はこちら⬇️
学年末のLHRでネタ披露の機会があるそうだ。M-1エントリー前にちょうど良い。
そして相方が来て、何度もネタ合わせをしていた。
さすが2人とも腹をくくっているだけあり、羞恥心や迷いは一切捨て、練度をどう上げるかに焦点を当てている。
私が見て感じた違和感を伝えても「そうなんだよね」とスルリと納得して、素直に微調整する。
何度も何度もひとつの言い回しを変えて試して、テンションや表現を変えて試して。
すごいな、と思った。
目の前にいる2人は真摯に謙虚に漫才に取り組む超若手芸人に見えた。
私もnoteを書くとき、ひとつの言い回しを何度も書き直し、行ったり来たりしている。
公開後も読み返して違和感を感じたら何度も修正をかけている。
私のnoteは大したことは書いてないけど、リズムや読みやすさの最適解はなんだろう?自分らしいベスト余韻、ベスト余白はなんだろう?と考える。
その工程が息子たちの漫才と重なった。
そして彼らは悩んでいるのに楽しそうだ。
悪戦苦闘しているのにそれをエンジョイしている。
創ることに向き合う時間は楽しい。
ただ楽しいだけじゃなく、試行錯誤を重ねることが面白い。
そして試したからこそ、最初の形に戻ることもある。それもまた、一つの答え。
彼らは彼ららしい漫才の最適解を探し続ける。
私は私らしいnoteの最適解を探し続ける。
手を動かして、口を動かして、考えて、また試す。
その繰り返しの先に「伝わる形」が生まれるのかもしれない。
創ることに真剣であればあるほど、その過程を面白がれる。
そうやって形になる途中も面白い。わちゃわちゃと悩む過程が楽しい。
何かを創ることそのものを楽しむのが一番の原動力だ。
