内的エッセイ #15┃ ボクの生きる世界(8) 『行列に並んだ話』
自動ドアのてっぺんで、通電を知らせる赤いランプがチラチラと点滅しています。その赤い光に連動するように、赤外線発生装置が絶えずジーーーと低い音を立て続けています。その固有の周波数が生み出す微振動は、休むことなく脳を揺らし続け、ボクをひどく疲弊させます。
だから、ボクは一刻も早くその場を離れたくて、自動ドアをくぐり、列の中に飛び込むことにしました。
ボクの後ろに並んだのは50代くらいの女性です。
彼女は先ほどから一途にボクの背中を見つめています。女性の手には、ボクが手にしているものと同じ、食器配膳用の空のカートが握られています。
ときおり、そのカートをボクの体に軽く触れ合わせてみたり、踵をほんの少しだけタイヤに巻き込んでみたりと、不規則なブラウン運動を繰り返しています。
その全身からは、「早よせい、早よせい」と急き立てるような殺気が放たれています。
それは例えば、野アザミを素手で引っこ抜いた時のような突き刺さるような刺激めいたナニカに近いものであり、その半物理的刺激はやがて電気信号へと変換されてボクの脳の深いところを揺さぶるのです。
しかしながら、その彼女の後ろに並ぶ若い男女は、スマホの画面を見ながら、「やば」を連呼し、ケラケラと笑っていることができるのであります。
ボクは、野アザミの鞭に背中を押されながら歩いて行きます。
そのボクの前には、七十代とみられる白髪の女性が、カートを押しながら列に並んでおります。
彼女は先ほどからずっと、目の前のランチメニューの看板に釘付けです。左上から右下まで丹念に目を走らせると、今度は再び左上へ戻り、メニューに書かれた文字を指でなぞりながら、一つ一つ慎重に吟味しております。
一円たりとも損なわず、美味しいものを食したい──。
彼女の自己対話は、看板の上を行きつ戻りつ、終わることなく続いているのです。
ボクは待つのは平気です。目の前の五秒も三分も、ボクのような普通の人間の人生の進度には、なんら影響を与えないからです。
しかしながら、そのようなことを考えている間も、背後の50代女性からは、「轢き殺すぞ」とでもいいたげな、音のない圧力が、波のように押し寄せ続けています。
肺の奥から短く強く吐きだされる若干酸素の目減りした呼気と、若干の物理的圧迫。それらは次々と電気信号へ変換され、ボクの脳を揺さぶり続けます。
そんな時、決まってボクの意識は、すぐさま心の小部屋に置いてある、小さなベッドに潜り込みます。
「ボクは列から距離を置いて生きていたつもりでした」
「貴方は今、群れをなしたがるニンゲンたちが、一列に並んで餌を待つ、その只中に放り込まれた一人の人間だと思い込んでいますね。
しかし、貴方が惨めさや苛立ちに飲み込まれるたび、一人の人間から、一匹のニンゲンへと近づいていっていることに気づいていますか?」
「不快だと感じる時点で、ボクもニンゲンの一員なのですか……」
「そうです。嫌悪感や焦りに支配される限り、貴方も群れの論理に取り込まれているのですよ。
もし、それを拒むのなら、まだ人間になりきれていない貴方は、その列を離れなければなりません」
ようやく高齢女性は動き出します。
彼女とは道を分かち、ボクはデザートレーンへと足を踏み出します。
その横を体を擦り付けながら猛然と追い抜いていくのは、先ほどからずっと音もなくボクを轢き殺していた50代の女性です。
ところでボクは、人よりもほんの少しばかり五感が敏感だと自負しておりますが、とりわけ敏感なのが嗅覚なのです。50代女性のニオイはしっかりボクの衣服に付着し、ボクの嗅覚に強いダメージを与えます。
ボクはこの匂いを纏ったまま、自宅の玄関扉を潜らないとならないことを想像し、「うっ」と、情けない声をあげます。
すると、横に並んでいたツレが、そんなボクの様子を興味深そうに観察しているではありませんか。
聞いてみます。
「最初から見ていたの?」
「うん」
二十匹目のカブトムシを見つけた昆虫少年のような目で、ツレはうなずきます。
「なぜ、貴方は平気なの?」
「ニンゲン観察の時間だから」
このツレは、常に人生に退屈しております。
だからでしょうか、ニンゲンの動きや感情を分析するのを、暇つぶしの楽しみとしているところがあります。もちろん、親友であるボクも例外なくその観察対象に含まれております。
「なんっと……!イライラはしないの?」
「こういうことは、会話のネタとしてストックするんだ。とっておきの時に披露するために」
このツレが、誰かと軽口を叩いている姿など、一度たりとも見たことがありません。
そんなツレが、とっておきの日のために、せっせと会話のネタを集めていたとは。
ああ、なるほど。
もしかしてボクは、この人から結構愛されているのかもしれません。
でも……。
「とっておきの時に、ボクへ披露してくれたことなんてあったかな?」
「それがね、披露する前に、だいたい忘れちゃうんだ」
完
普段からコメントをくださる皆さま、いつも温かいご感想をありがとうございます。
誠に勝手ながら、諸事情により、今作よりコメント機能を停止させていただくことにいたしました。
いつまで続けるかは未定ですが、皆さまからいただく作品のご感想は、いつも大変励みになっております。いずれまた自分のペースでコメント機能を再開させていただく予定です。
勝手をして申し訳ございません。
何卒ご理解いただけますと幸いです。
今後とも、作品をよろしくお願い申し上げます。
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