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物語の欠片 象牙色の城郭篇 11

-カリン-

 セダムと初めて言葉を交わしたのは、再びナウパカに声を掛けられて図書室に寄った時だった。ナウパカはどうやらジニアの処遇が気になるようで、アグィーラでの滞在を伸ばしてまで考古学室へ出入りし始めたカリンに様子を訊きたかったのだという。
 カリンが燃えてしまった文献の復元を手伝っているのだと話すと喜び、それなら長く引き留めるのは悪いなと、すぐに扉まで送ってくれた。ちょうどその時、セダムが図書室に入ってきたのだ。
 ナウパカは一瞬気まずそうな表情をしたが、リリィがおらずセダムひとりだと分かるとほっとしたようにカリンを紹介した。
 「お噂は聞いております。はじめまして、セダムと申します。…こんなことを申してよいのか分からないのですが、本当は医学よりも考古学に興味があって、書物を読むだけでもと思い寄らせていただきました。医学書は家に嫌というほどあるのですが、養父ちち養母ははも歴史や考古学には全く興味はないようで。」
 「今日はおひとりですかな。その…。」
 「ええ、朝の散歩のついでに思いついて寄ったものですから。母と一緒の時には自由な時間はほとんどありませんし。ただ、おかげさまですっかり門番には顔を憶えていただいて、私ひとりでも通していただけました。」
 「そうですか。それならばどうぞごゆっくりしていってください。」
 ナウパカはそれからカリンを振り返り、惜しかったのう、と呟いた。
 「古い本ならカリンが一番詳しいのだが、お前はそろそろ行かねばなるまい。」
 「何かご質問がございましたら、考古学室に居りますからどうぞお立ち寄りください。」
 そう言うと、セダムは柔らかく微笑んで礼を言った。
 リリィからもう少し悪い噂を聞かされているかと思ったが、セダムのカリンに向ける表情には終始敵意は無く、警戒していたことを申し訳なく思った。ユウガオ言うところの表情の暗さも感じられない。それがリリィと居ないからなのか、自分が見る目が無いからなのかは分からなかった。

 「ひとつ教えてほしいことがあるのです。」
 セダムが本当に考古学室を訪ねて来た際には少し驚いた。手には一冊の本を抱えている。その題名を見てカリンは更に驚く。古代アーヴェ語で書かれた本だったからである。
 もうずっと以前にアオイと親しくなったきっかけは、アオイが古代アーヴェ語で書かれた古い医学書の解釈に手間取っていたのを助けたことだった。どうやらセダムはアーヴェ語の本を読むことができる程度にはアーヴェ語を理解しているらしい。疑っていたわけではないが、歴史や考古学に興味があるというのは本当のことなのだろう。
 そうだとしたら、ツツジの後継者として医術の道へ進ませるのは少し気の毒だ。医局長の養子ならば、カリンのように医局と文化局を掛け持ちというわけにもいかないだろう。
 「何でございましょう。」
 セダムに近くの椅子を勧め、考えていたことを悟られないよう笑顔で訊き返す。
 「この、王家の紋章についての話なのですが、以前読んだ本と書かれている内容が違う気がするのです。途中で解釈が変わったりすることがあるのでしょうか。」
 「あ、そこにお気づきになられたのですね。ご存知かどうか分かりませんが、数年前に、王国の歴史に一部誤りがあったことが分かりました。現在少しずつ歴史書を再編纂しているのですが、まだアーヴェ語の本までは手が回っていなくてそのままになっているのです。」
 「そうでしたか。それは存じ上げませんでした。何せ私はつい最近まで孤児院に居ましたから。お城で行われていることなど、遠い世界の話でした。…私が養子であることはご存知ですよね?」
 「はい。伺っております。ご出身は存じ上げませんでしたが。」
 ユウガオから聞いた話を知っていたといって良いものか分からないのでそう答えると、セダムはやや自嘲的な笑みを浮かべた。
 「母は孤児院出身の私が僅かな時間で官吏試験を受けるまでになったことを強調して回っているので、てっきり皆様ご存知かと思っていました。」
 「わたくしは現在、二月ふたつきごとに数日間お城へ通って、主に薬師室の仕事をしております。ですから最近のお城の事情にはそれほど詳しくはないのです。今回は偶々考古学室のお手伝いをすることになったので滞在を伸ばしました。」
 「カリン殿は王族と親しいと母から聞いています。」
 リリィが”親しい”という言い方をしたとは思えないがセダムはそう表現した。どこまでどんな風に聞いているのか、尋ねてみたい気持ちを押さえて曖昧に頷く。話題を本に戻した方が良さそうだ。
 「いずれにせよ、その辺りの歴史に関しては、今は現代語のものの方が正確です。現代語になっていなくて、古代アーヴェ語の本にしか書かれていないのは…。」
 カリンは空白の紙にいくつかの書籍の名前を書いてセダムに渡した。セダムは大切そうに折り畳んで懐へ仕舞うと、それを契機にカリンに礼を言い、席を立った。そのままジニアの方へ歩いて行くのを目の端に感じながら、カリンは再び手元の紙に集中した。
 写しが全く存在せず、復元しなければならない資料の一覧は出揃っていた。この三日間で復元が完了するかどうかは微妙な量だった。復元は主にカリンの記憶に拠っているので、マカニへ戻っても作業はできる。しかし、細かい部分などは、なるべく他の資料との整合を見て進めたかった。

 「遅くまですまない。」
 差し出されたお茶とジニアの声にはっとして顔を上げると、すでに考古学室には他に人影はなかった。反射的に時計を見ると、とっくに日が暮れている時間である。考古学室は地下にあるため、外の様子が分からないのだ。
 日の当たらない部屋は資料の保管には適しているが、労働環境としてはあまり良くない。
 「いえ、ジニア様こそお疲れなのではないですか?わたくしは考古学室の籍は抜けていますが、一応、文化局中級官吏の籍は残っております。ひとりでここに残っていても問題にはならないでしょう。お付き合いくださらなくても大丈夫だと思いますよ。」
 「そういう訳にはいくまい。」
 「ふふ。責任感が強くていらっしゃいますね。お茶まで淹れていただいて。」
 「作業の邪魔はしたくないのだが、一息入れないと幾ら数日でも身体がもたないだろう。」
 「ありがとうございます。折角ですから少し休憩させていただきます。」
 「そうしてくれ。夕食はどうするつもりだ?」
 「養父ちちが用意して待っていてくれますので家に戻ってから食べます。」
 「養女に…なったのだったな。」
 「…はい。」
 ジニアはカリンの実の父親をよく知っている。考古学者として家を空けがちだった父のことは、カリンより知っているのではないだろうか。思うところもあるだろう。そういえば養女になったことについてジニアと話をしたことは、これまでなかった。個人的な会話といえば、ジニアが時折カリンの父親の思い出を一方的に語るのみだ。
 「カリンは今、しあわせか?」
 「はい、とても。」
 「それは良かった。それが何よりだ。マロウも、きっとそれを望んでいた。」
 「そうだと嬉しいのですが。」
 「無念だっただろうなあ。夢半ばで魔物に殺られてしまったことも、カリンがこんなに立派に成長した姿を見ることができなかったことも。私はマロウに感謝せねばならない。カリンが居てくれて、本当に助かった。」
 「…わたくしをこの世に誕生させてくれたことに関しては、父にも…母にも…感謝しています。」
 たとえ魔物の子だと言われても、やはり生まれてきて良かったのだ。しあわせになっても、許されるだろうか。
 父も母も、もしかしたら自分のせいで死んでしまったかもしれないのに。あの大量の魔物は、大地の化身を滅ぼすためにカリンの家を襲ったのかもしれないのに。もし闇に意思があるならば…。
 「すまない。休憩しなさいと言いながらつい感傷に浸ってしまって、お前にまで余計なことを考えさせてしまったかもしれない。」
 「いえ…。」
 「セダム殿はな、どうやら捨て子らしいのだ。」
 「え?」
 「小さい時だったらしいが、捨てられた森から自分で歩いてアグィーラまで歩いて戻って来たらしい。さすがに力尽きたところを保護されて孤児院へ連れて行かれたそうだ。」
 「赤子の時ではなく、物心がついてから…。」
 「ああ。親にどのような理由があったかは知らないがむごい話だ。まあ、そんなことを考えていたら、色々思い出してな。ついお前の境遇と重ねてしまった。」
 「森というと、アルカンの森ですか?」
 「さあ、そこまでは分からない。外見は完全にアグィーラ人だからこの付近の森ではあるのだろうな。」
 本当の両親は、まだこのアグィーラに居るのだろうか。アグィーラ人の中には城下町で暮らす人も居れば、リクニスのように城門の外で牧場を構えているような人々もいる。城壁の外の方が広大な土地が容易に手に入るからだ。カリンたち家族も薬草を育てる畑が必要だったために、かつては城門の外で暮らしていた。人口が多いので交わらずに暮らすことは可能なように思う。
 最初に見たセダムの柔らかい微笑が浮かぶ。続いて自分を孤児院出身だと言った時の自嘲的な笑み。遠い世界だった城の生活が突然目の前にやってきて、どのような思いで居るのだろうか。
 リリィにカリンの”噂”を聞かされている筈のセダムは、カリンに対して終始紳士的に接してくれた。あれはセダムのこれまでの人生経験故の態度なのかもしれない。
 カリンの思考は完全にセダムの過去に支配されてしまった。このままここで作業の続きをするのは無理なように思われる。一度家へ戻ってヨシュアと夕食を食べ、それから夜中に家で続きの作業を少し進めることにしよう。その方がジニアも早く家に帰ることができる。実際、今日はここまでにすると言うとジニアは安心したような表情を見せた。
 ヨシュアの家に戻るまでの道程も、カリンの頭の中では繰り返しセダムの顔が浮かんだ。夕食を食べながらヨシュアに今日の出来事を語っても、息苦しさが拭いきれない。結局、文献の復元には食後少し手を付けただけで筆を置いてしまった。
 明日の朝早く起きようと早めにベッドに潜り込んだカリンはその夜、夢を見た。


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