物語の欠片 朱鷺色の黎明篇 17 イベリスの話
-イベリス-
本気で昼寝をしようかとベッドに横になったが、窓から見える曇天を見ていたら、空を飛んでくるレンたちのことが気になって眠れなかった。
他の種族と異なり、翼を持つマカニ族は馬ほど移動に時間がかからないので、夕方からの会合ならば午後にマカニを出発してくるのが常だった。
ネリネは配偶者であるセリを同伴していた。声を掛けるのも躊躇われて時間を持て余していると、扉が叩かれた。不思議に思いながら返事をすると、王の側近だという。
城の中はそれ程警戒する必要もないので扉を開ける。そこには確かに側近らしき男が立っており、恭しく礼をしてローゼル殿下が呼んでいると言う。各種族の来賓が到着したら報告が行くようになっているのだろう。
何事かと思いつつも、丁度良かったので男の指示に従って孔雀の間へ向かった。
孔雀の間へ入るとローゼルがひとり、いつもの仏頂面で座っている。
「よお。久しぶり。どうした?ひとりか?」
「着いたばかりですまなかったな。後になると時間が取れるか判らなかったのだ。」
「いや。とりあえず元気そうで良かった。」
「イベリスもな。…パキラ殿は?」
「父上はアキレア殿と何処かへ行ったよ。ひとりで暇を持て余してたんだ。丁度良かった。」
「そうか。それなら良かった。…座ったらどうだ?」
孔雀の間は比較的よく使われる応接室だ。イベリスも何度も来たことがあるが、相変わらず落ち着かない程に立派な椅子である。
ローゼルは、すっかりその場に馴染んでいるように感じられた。
「で、どうした?レフアと喧嘩でもしたか?」
冗談が通じないことを知りつつ、イベリスはいつもの調子で問いかける。案の定、ローゼルは真顔で否定した。
「カリンとの契約を破棄しようと思う。それをイベリスに伝えたかった。」
「はあ?破棄って…お前、もしかして…。」
「契約が無くとも、やって行ける気がしたんだ。契約はお前たちに負担をかける。だから、破棄する。」
「なんだ、そっちかよ。ついに王室が嫌になったのかと思った。…無理…してないか?」
「いや。多分大丈夫だ。」
「そうか。ならいいが…。」
カリンより、レフアを大切にすることができるようになったということだろうか。イベリスは何故か訊くことができなかった。しかし、答えはローゼル自ら語ってくれた。
レフアを、家族として大切に思えるようになったのだという。
それはつまり、カリンとレフア、それぞれ大切だが意味合いが違うということになる。カリンを、レンと共に掛け替えのない大切な友人と位置付けたイベリスと似たような着地点だ。コツは、どちらが大切かと比べないことだが、ローゼルはおそらく認識しているだろうと思い補足するのは止めた。
「まあ良かった。結局、なんだかんだいって収まるところへ収まったんじゃないか?」
「そうなのかもしれない。俺は小さな頃から強い戦士を目指していた。あまり深く考えず、強くなれば大切なものが守れると思っていた。光の戦士に選ばれたのは光栄だったし闇を浄化した時には役目を果たしたと思っていた。だが、そんな筈はなかった。この国には闇以外の問題が山程ある。魔物だって完全に居なくなったわけではない。王配になったのは偶々だが、闘う相手が増えたと思えばいい。」
「相変わらず真面目だな。でもよく分かった。ローゼルはきちんと今の足元を理解してるってことが。それなら大丈夫そうだな。」
「色々世話をかけたな。」
「そんなことないさ。それに、終わったようなこと言うなよ。これからもきっと世話をかけたり世話したりしながら続くんだ。」
「そうだな…。イベリスは?」
「あ?」
「恙無く暮らしているか?」
「大きな不満は無いよ。」
「そうか。」
ローゼルとの話はいつも簡潔だ。レンでも居ればまた違ったのだろうが、それだけ話してしまうと話すことが無くなり、呆気なく孔雀の間を出る。
入口に控えていた側近が、少し前にワイ族が到着したことを告げた。
「あ。」
中庭に面した回廊に見慣れた翼が見え、イベリスは思わず声を上げる。ローゼルが頷いたので、共にそちらを目指して足早に歩いた。
途中で気配に気がついたらしくマカニの族長が足を止める。それに連動して皆の足が止まった。案内をしていた官吏がローゼルの姿を認めて跪いた。
「遠い所お運びいただき有難うございます。」
「いえ。招待頂き光栄です。ローゼル殿もお元気そうだ。」
「はい、おかげさまで。」
「本日は三名でお邪魔致します。」
「マカニ族は身軽ですね。護衛の必要がないからか。今日はカエデ殿は?」
「なるべく診療所に人を置いておきたい故、明日日帰りでお邪魔をする予定です。」
思いがけずマカニ族と王配の会話が始まってしまい、どうして良いかはかりかねているらしい官吏にカリンが声を掛け、後は代わりにやると言うと、官吏はほっとした表情で深く一礼し、その場を去った。
改めて見ると、カリンはマカニ族の衣装ではなくアグィーラの官吏の衣装である。
「お疲れの所足を止めてしまい申し訳ありませんでした。どうぞ晩餐会迄ごゆっくりお過ごし下さい。」
「ローゼルはこの後忙しいの?」
ローゼルと族長の話が終わった頃合いを見計らってレンが声を掛ける。
「おそらくな。」
ローゼルはちらりと後ろに控えている側近を見やった。
「そうか。じゃあやっぱり皆で集まれるのは晩餐会の後だね。」
「そうなるだろう。…カリンも仕事ではないのか?」
「うん仕事。ヨシュアさんの家に荷物を置いて着替えてきたの。族長様をお部屋へ御案内したらそのまま薬師室へ。」
「式典の準備ではなく薬師の方か。」
「…例のワイの件、結構大きな話になっているらしくて。」
「ああ。そうだな。」
ローゼルが眉間に皺を寄せる。そういえばパキラもワイが何か始めるらしいと言っていたがイベリスは詳しく聞いていなかった。
「イベリス殿も、久しいな。…レンはこのままイベリス殿と合流したらどうだ。」
「え。いいんですか?…イベリスは暇なの?」
レンはマカニの族長とイベリスの顔を交互に見る。
「大いに暇だ。お前が来るのを待ってたんだよ。…あ、父がマカニの族長殿に会うのをとても楽しみにしていました。まだ到着されていなかったので、今はアキレア殿と二人で何やら話をしているようですが。」
「ほう。パキラとアキレア殿がな。」
イベリスはマカニの族長の口元が緩むのを興味深く眺めた。アキレアはパキラが苦手なのだと言っていたが、マカニの族長のことはどう思っているのだろう。イベリスにとってはマカニの族長の方が余程謎深い。
他の族長のことは名前で呼ぶことに抵抗が無いが、イベリスはどうしてもマカニの族長を「エンジュ」という名前で呼ぶことができないでいる。
一年ぶりにレフア、ローゼルと五人の化身とが揃った夜の会合は、ワイの医院計画の話題で持ちきりだった。
ワイ族は明日の式典が終わり次第戻るようなので、全員が集まれるのは今夜だけだ。
「やっぱりエリカ殿は恐ろしいな。自分の夫が亡くなった途端…いや、亡くなる前からなのか…そんな計画を立てていたとは。ルクリア、あのエリカ殿の誘いをよく断ったな。」
「わたくしは今の生活が好きですの。もし本当に人手が足りないのでしたらエリカ様もお怒りかも知れませんけれど、あくまでもわたくしは大勢の中のひとりなのですわ。ひとりくらい欠けたってエリカ様は痛くも痒くもないのでしょう。」
「おお、なるほど。」
ルクリアの返事に納得しつつ、それでもルクリアは強くなったとイベリスは思う。見た目の儚さは変わらないが、瞳の奥に強い意思を感じる。ルクリアも、これで良かったのだと思う。
今いちばん地に足がついていないのは自分かもしれない。ふと浮かんだ感慨は、カリンに薬師室の動向を訪ねるレフアの声で掻き消された。
「医局の中に大きな反対勢力ができてしまっていて、そこから、ワイへはこれ以上薬を卸すべきではないという意見が出ているの。ワイではシレネ殿を中心に医術の教育を進めているけれど、薬師は相変わらず手薄だわ。しかも元々居たワイの薬師の中に自ら薬を作れる人は、おひとりしか居なかったのよ。幾ら処方や施術ができる医師が居ても、薬が無ければ医療は成り立たない。」
「即ち、アグィーラから薬を卸さなければ医院は成り立たない、という訳ね。」
「そう。それで、薬師室は私とエリカ様が繋がりがあるから、エリカ様が直接マカニの私に連絡を取るのではないかと考えて、先手を打ってきたの。」
「薬師室というか、おそらくツツジね。」
「多分ね。エリカ様からは、レフア宛に書簡が来たのでしょう?そこには何て?」
「淡々とした事実報告だけよ。ワイに医院を開くつもりだ。必要な手続きを教えて欲しいって。許可を得るという雰囲気ではなかったわね。」
「上皇陛下へは?」
「すぐに相談したわ。そうしたら、王室で判断せず議会にかけろと。王家が決定してしまったら、反発は全て王家に向かう。予め議会を通せば少なくとも各局の出方が読める。」
「うふふ。さすがね。」
「ええ、まったく。…エリカ殿には議会を通すからしばらく時間をくれと返信してあるわ。」
「レフアも大変ねえ。ここ一年で謎の病とかアヒの鉄鉱石問題とか…きっと私が知らないことも沢山あるのよね。聞いているだけでうんざりだわ。どんな時に役に立てるか見当もつかないけれど、必要になったら呼んでね。…というか、少なくともアヒが迷惑かけないようにしないとね。」
ネリネが同情したように大きな溜息をつく。
「有難う。でもこれが仕事だから仕方が無いわ。皆が居てくれることはとても心強いの。」
「ローゼル、貴方ずっとレフアの傍に居るのだから…まあ、きっとローゼルならば自分のできることを精一杯やってる筈よね。」
「できる限りのことはな。」
「ローゼルには本当に助けられている。それこそ議会の信頼も厚いと思うわ。」
「それは何より。」
レフアにも、ローゼルの変化は伝わっているに違いない。二人はもう大丈夫だろうとイベリスは思った。
生誕祭当日に影響してもいけないので、ほどほどの時間でレフアとローゼルの部屋を後にし、ネリネとルクリアと共に迎賓棟へ戻る。レンとカリンはヨシュアの家に泊まることになっているようだ。
部屋に戻る前に二人と挨拶を交わしていると奥の扉が開き、パキラが出てきた。
「ああ、今戻りか。ネリネ殿、ルクリア殿、イベリスに失礼はありませんでしたか?」
二人はくすくす笑いながら首を横に振り、それぞれパキラに挨拶をして部屋へ戻って行った。
「マカニの族長とお話されていたのですか?」
「まあな。…どうした。珍しく複雑な顔をしているじゃないか。」
「そんなこと…。」
そうなのだろうか。
確かに、久しぶりに仲間で集まった高揚感とは別に、何とも言えないもどかしさがあった。
ゆっくりとではあるが日々信頼をを深め、契約が不要になったというローゼルとレフア。
毎年生誕祭くらいでしか顔を合わせなくなったが、生活がしっかりと地に根を下ろしているように感じられたルクリア。
ネリネは相変わらずどっしり構えていた。
自分は、常に表面を掻きまわしているだけだ。
仲間のことは信頼しているが、結局自分がやっていることは何処まで行っても道化でしかないのかもしれない。
「お前、まだ呑めるか?」
「勿論です。」
パキラの問いにも、反射的に戯けた表情で答えてしまう。
「それなら、ちょっと付き合え。エンジュも呑むんだがな、あまりにも変わらないからつまらないんだ。呑んだ気がしない。」
「父上も変わりませんよ。」
「標準型が違うだろう。俺は素面でもこのくらいは話す。」
「ああなるほど。…でもじゃあ、なんでマカニの族長と?」
「エンジュとは酒を楽しむために話してるんじゃない。純粋に面白いから話をするんだ。」
「はあ…。」
パキラは自ら部屋に置かれていた葡萄酒を開けてくれながら、偶には来賓もいいものだなと笑う。機嫌が良さそうである。
「今日は愉快な一日だった。」
小さなテーブルを挟んで向かい合わせに座り、軽く乾杯するなりパキラは話し始めた。
「何がそんなに楽しかったんです?」
「先ずはアキレア殿との会話だな。最初のうちは良かったのだが、『何か俺に話したいことがあるのではないか』と尋ねると急に小さくなってな、ついには、『実はパキラが苦手なのだ』と正面切って言われた。」
「それが…愉快なのですか?」
「愉快さ。俺に正面切ってそんなこと言う奴が居るか?少なくともポハクには居まい?お前だって以前、態度では示していたものの、正面からは来なかった。」
「そりゃまあ、確かに。」
「だから俺は訊いてやったのだ。『エンジュと俺と何が違う?』とな。」
「ああ、それは確かに面白い。」
「だろう?」
イベリスは先程までの葛藤を忘れ、次第にパキラの話に惹き込まれていった。アキレアは、マカニの族長もパキラも共に頭が切れるが、マカニの族長が自分で結論に達した後でも基本的に相手の理解の速度に合わせるのに対して、パキラは自分の速度で話を展開して実行に移す。それが一番の違いだと言ったそうだ。なかなか鋭い分析である。
「だから、他人には俺が何をしようとしているか分からないし、自分の無能を見せつけられている気分になるのだそうだ。俺は大いに反省したよ。まったくアキレア殿の言うとおりだ。軌道修正できるかどうかは別としてな。」
パキラはにやりと笑って杯を干す。本当に先程まで呑んでいたのだろうかという早さだ。
「マカニの族長とは何を?」
「エンジュには俺の方から正面切って『俺の欠点は何だと思う?』と訊いてやった。」
進む道が分かると最短経路を目指してしまい、一般的には当然必要だと考えられている手続きを踏まないこと。それは人の気持ちも含めて同じであること。自らの命や幸福に執着が無さすぎること。と、答えたそうだ。これまた鋭い分析である。
「お前の気持ちが少しだけ分かった。」
「え?」
「所謂仲間というものは有り難いものなのだと、俺はこの歳になって知った。」
ちくりと胸が痛む。パキラのこれまでの人生を思い、自らの甘さを思った。自分はいつも、やるべきことから逃げてばかりいる。
「採掘工…。」
「何だ?」
「いえ。採掘工であり、族長補佐でもあるって中途半端だなと思って。どちらかに専念すべきなんじゃないかと思いました。」
「それなら族長補佐を辞せ。採掘工に専念すればいい。」
「え?」
イベリスは耳を疑う。それは自分が考えていたのと真逆の提案だった。
「お前な。お前の唯一の取り得は何だ?石を掘る才能だろう?それを捨てて何になる?専念するなら絶対に採掘工だ。」
「しかし…。」
「採掘工を辞して族長補佐に専念するなどと言ったら俺は許さない。…というのがいけないんだろうな。難しいな。」
珍しく照れたような笑いを浮かべたパキラを、イベリスは混乱したまま見やる。
「カエデ殿を見よ。立派に族長補佐を務めながら見事に医術の道を歩んでおられる。」
「あ…。」
「お前に必要なのはどちらかに専念することじゃない。覚悟だ。」
「…返す言葉もありません。」
「そんな顔するなよ。あのなあ、何故だか知らないがアキレア殿もエンジュも、お前のことを褒めていた。俺に気を遣うような関係でもないのにだ。少なくともお前は立派にポハクの外交を担っている。まだまだ甘い部分は多いが、それは経験が少ないからに過ぎない。…まあ、その調子で頑張れ。」
その後は、何を話したか憶えていない。随分沢山杯を重ねたことだけを憶えていた。
「調子悪そうだね。」
レンは爽やかな笑顔で言う。生誕祭当日の朝だった。
カリンは式典の準備の手伝いに行ってしまったようで、レンはひとりイベリスの部屋を訪ねてきた。
「昨夜はさすがに呑み過ぎてな。父上は恐ろしいほど強いんだ。」
「イベリスよりも?信じられないな。」
結局昨夜はあのままパキラの部屋で意識を失うように眠ってしまった。朝起きたらパキラの部屋のベッドの上だった。パキラは何処で寝たのだろうか。イベリスがまだ朦朧としているというのに、すっきりとした顔で、寝坊だなと笑った。
王の生誕祭にそんな顔では失礼だから冷たい水でも浴びて来いと言われ、自分の部屋へ戻った。随分長い間水を浴びて戻ると扉が叩かれたのだ。
「パキラ様が酒に強いのは本当なんだろうけど、イベリスも何かあったんじゃない?翌日まで調子悪そうなんて珍しい。」
「…お前はそう言うのをさらりと訊けてしまう奴だよな。」
「まあね。」
「何というか、俺はさ、自分の主義主張があるわけでなく、結局いつでもその場の雰囲気を見て茶化してるだけなんじゃないかと思ってさ。」
「…そうなの?」
「そうじゃないか?」
「僕はそうは思わないな。イベリスはきちんとその場に居る人たちのことを考えてる。もしかしたらその場限りのことなのかもしれないけど、場を読む力には毎回感心する。イベリスのおかげで、重くなってしかるべき場が前向きな場になったことが沢山あるよ。それは凄い才能だ。」
「…ありなのかな。」
「だと思うけど?…ひとつ付け加えるなら、自分自身が何をやりたいのか、一度本気で考えてみてもいいのかもしれないけどね。」
イベリスは深いため息を吐く。
「ああもう、お前ってやつは…俺のひと晩の悩みをどうしてくれるんだ。」
「ひと晩で済んだならいいじゃないか。」
仲間の有難さ。
そうだ。パキラが五十を過ぎて知ったその気持ちを、自分は二十代のうちに経験することができた。その仲間を誰ひとり不幸にしないこと。それはイベリスが本気でやりたいことのひとつだった。
あんなに水を浴びても晴れなかった頭の中の靄がすぅっと晴れてゆくのを感じ、イベリスは大きくひとつ伸びをした。
