物語の欠片 緋色の山篇 18
-カリン-
カリンはレンの報告を聞いている族長の顔をじっと見ていた。いつものごとく穏やかな表情だ。そこには、レンの報告に対する驚きも、不在にしていたレンの代わりを務めた疲労も浮かんではいなかった。
皆を安心させる表情。カリンはその奥に様々な感情が渦巻いているのを知っている。それでもなお、族長の存在はカリンを心から安心させるのだった。
ふとカリンの頭にツバキの顔が浮かぶ。カリンが指摘するまで、アキレアの影に完璧に隠れていたツバキ。そのツバキの中にも沢山の感情や考えが潜んでいた。人の心は外からは決して見えない。そして、見えたとしても完全に理解することは不可能だ。ツバキとアキレアは、このあと今よりも楽に過ごすことができるだろうか。
そのカリンの考えを見透かすように、報告を聞き終えた族長がカリンの方を向いた。
「カリンもご苦労だった。パキラらしい幕の引き方だったな。それから、アキレア殿とツバキ殿のことは、明らかになって良かったのだと私は思う。アキレア殿が族長に向いていないとは思わない。足りなかったのは自信と覚悟だ。おそらく…ご自分はツバキ殿の身代わりだと思い続けていたことが今の態度の根幹にあるように思う。今回のことで、少しは覚悟ができたのではなかろうか。アヒはきっと今よりも良くなる。」
「そうだと良いのですが。」
「アキレア殿を信じよう。」
「はい。」
そうだ。無用な心配をすることは、アキレアを信じていないことになる。自分が秘密の扉をこじ開けてしまったことへの不安を、アキレアにぶつけてはいけない。アキレアを信じること。そして、アキレアが困難にぶつかったら手を差し伸べれば良い。今あれこれと心配しても仕方がない。
カリンが、族長のおかげで心が軽くなったと礼を言おうとするより先に、レンの後ろに控えていたホオズキが口を開いた。
「族長、この場でお願いしたいことがあります。」
「何だ?」
「本来ならば事前にシヴァに相談するべきかもしれないのですが…。」
ホオズキがちらりとシヴァの顔を見たので、族長の右側に立って話を聞いていたシヴァが僅かに眉を顰めた。
「そろそろ、戦士の任を解いていただきたいと思っているのです。」
「理由を聞きたい。」
「一番の理由は体力の限界です。いや、気力の方かもしれない。見張りに一番必要な集中力が持たなくなってきました。それを今回の任務で改めて痛感した。閃光弾にすぐ反応できなかったのも、私の集中力が足りなかったからです。このままでは、仲間に迷惑をかける。その前に、引退したいのです。」
「なるほど。」
族長は頷いてシヴァの顔を見た。
「…何となく感じてはいました。しかし、こちらから解任する程ではないと思っていましたし、ホオズキは皆の支柱のような役割をしてくれていましたから、引退には早いと思います。ただ、本人が望むのであれば仕方がありません。戦士は、無理に続けるものではない。それこそ危険です。」
「その通りだな。」
ちょっと待ってください、と口を挟んだのはコキオだった。しかし皆の視線が集まると、このような場に慣れないコキオは言葉に詰まった。そのコキオに、ホオズキは優しく声をかける。
「嬉しいな。もしかして引き止めてくれるのか。」
「ホ…ホオズキさんは俺に、見張りとしての心得を一から教えてくれた人だ。最初は失敗ばかりだった俺を、厳しくはあったけど見捨てずにいてくれた。毎日毎日同じことばかり。腐りそうになる俺を励ましてもくれた。ホオズキさんが居たから今まで続けて来られたんです。少なくとも見張りをやってる皆はそうだと思う。」
「今度はそれを、お前がやる番だ。」
「え?」
「いつまでも下っ端のつもりでいるなよ。お前、今幾つだ。」
「二十七…。」
「知ってるか?戦士のピークは三十だぞ。まさにお前はそこに向かおうとしてるんだよ。これからはお前が皆を引っ張っていくんだ。」
黙ってしまったコキオに、シヴァが救いの手を差し伸べる。
「ホオズキ。無理もない。コキオは黒鳥病が流行り始めた最初の年代なんだよ。ずっと下が居なかったんだ。レン以外のな。」
「ああ、確かに。しかしなあ、シヴァ…。」
「いいと思う。お前が抜けることで、他の奴らに自覚が生まれるかもしれないな。しかし、まあ、本当に困った時には助けてやってくれ。」
「そりゃあ、勿論。それに、すぐにとは言わないさ。きちんと引き継ぎのようなものはやるつもりだ。」
「是非頼む。」
族長はそのやり取りを見守りながら、何を思ったのかカエデを呼び、皆にお茶を出すようにと言った。今回の任務の報告は既に終わっている。皆首を傾げながら応接用の椅子へ移動した。
疑問に思っている筈だが誰も口を開かない。族長は意味のないことはやらない。それを解っているからだろう。族長が口を開くのを待っているのだ。少し考えを巡らせてみたが、カリンにも族長がこれから何を話そうとしているのか見当がつかなかった。
やがてカエデがお茶を持ってやってきた。皆の前にカップが置かれると何とも言えない良い香りが立ち上がる。しばらくアヒ族から提供された茶葉を使っていたので、その香りを懐かしく感じた。カリンはいつも、カエデが各地から取り寄せて自分でブレンドしている茶葉を分けてもらっている。その配合は時によって変わるが、いずれも他には無い香りがするのだ。
立ち去ろうとするカエデを族長が引き留めて座るよう指示する。そこまで来てカリンには何となく話の内容が見えたように思えた。
そして思った通り、族長はホオズキに、戦士を辞するならば族長補佐をやらないかと提案した。皆それぞれに驚きの表情を浮かべる。勿論一番驚いているのはホオズキ自身だ。同じく関係者であるはずのカエデは僅かに目を見開いただけだった。やはり族長とカエデは親子だと、カリンは場違いに微笑ましくなる。
「突然の話だから今ここで返事をせよとは言わぬが、まだ次にやることが決まっていなければ考えてみてほしい。以前から、医師と兼任しているカエデひとりに族長補佐をやらせるのは無理があると感じてはいたのだ。他に適任が思いつかなかったからここまで来てしまった。しかし、大吊り橋が落ちた時にやはり限界が来たと思った。族長補佐はひとりでなければならないという決まりはないのだ。カエデと二人で分担してもらえると助かる。」
「それは思ってもいなかった光栄ですが…私に勤まるかどうか。」
「難しく考える必要はない。やってみて性に合わなければ辞めればよい。戦士にせよ族長補佐にせよ、無理に勤めるものではないのだ。…カエデはどう思う?」
「ホオズキさんが共に勤めて下さるならば、私としては心強いです。」
「そうか。ではあとはホオズキの気持ち次第だな。」
「前向きに検討したいと思います。」
「びっくりしたね。」
既に陽は落ちている。訓練場には行かずに直接家へ戻る皆と途中で別れて訓練場へ向かう途中でレンが言った。風が強くなり始めている。やはり今夜も吹雪くのだろうか。マカニは相変わらず真冬だった。
「ホオズキさんが辞めること?それとも族長補佐の話?」
「族長補佐。…ホオズキさんの気持ちは僕も何となく気がついてた。多分ツバキ様の舞を見て決心したのではないかな。」
「ツバキ様の?」
「うん。あの舞を見ている時、妙に気分が高揚しなかった?なんか、そういう種類の舞なのではないかな。」
「あれは祝いの場で舞う舞なのだとネリネが教えてくれたわ。例えば祝言とか。」
「なるほど。分かる気がする。…やっぱりあれが最後の一押しだったんだと思う。」
誰も居ない訓練場に着陸する。雪は深いものの、いつもと変わらぬ姿に安心した。レンも同じだったのか、早く弓が引きたいなと呟く。フエゴに居る間、弓と翼の手入れは続けていたものの、確かに弓を引く機会はなかった。対外任務から戻ったばかりのレンは今夜の雪降しは無しだ。そして明日はアグィーラに居るレフアとローゼルに報告に行かねばならない。日常が戻るのはもう少し先になりそうだった。
そう思いながら、どこまでが日常なのだろうという疑問が頭をもたげる。マカニに居ることだろうか。そのマカニの日常も少しずつ変化している。現に今日、ホオズキが戦士を辞めることを決めた。間もなく戦士であるホオズキが居るマカニの日常は失われるのだ。この分だとホオズキは族長補佐の仕事を受けるだろう。カエデが診療所に居る時間が長くなるかもしれない。それはそれで新しい日常と言えそうだった。
この大雪は?日常だろうか。フエゴに居た日々は日常ではない…のだろうか。マカニで暮らしながら各地へ出かけて行く、それが自分の日常と言える気もした。
そして、こんなことを考えていることをレンに話したら呆れられるだろうと思うと、急に可笑しくなった。
「なんだか楽しそうだね。」
「マカニに戻って来られたことが嬉しいの。」
「それは僕もそうだ。あ。しまった。食堂に寄って来れば良かったね。おじさんとおばさんに挨拶がてら、夕飯貰って来れば良かった。」
「そうだね。でも、もう吹雪始めているし、簡単な物で良ければ作るわ。」
「手伝うよ。」
ああそうだ。レンと二人で生活を営むこと。これが自分の日常なのだ。何てしあわせな日常なのだろう。
カリンは雪の中を歩きながら暖かい気持ちになった。二人の家が二人の帰りを待っている。
-----
『緋色の山篇 1』へ
『緋色の山篇 19』へつづく
