物語の欠片 象牙色の城郭篇 21
-カリン-
部屋に入ってきたツツジは、カリンの姿を認めると片方の眉を上げた。
部屋はユウガオが、やはり薬草の処理室を研修に使うのは不適切だという言い分で、医局内の小さな部屋を確保してくれた。
「何故、お前がここに居る?教育係はユウガオの筈だ。まさかお前が来ているのをいいことに、交代したか。勝手なことを。」
「いいえ、そういうことではありません。」
「では、何だというのだ。」
「ツツジ様に大切なお話があるので、ユウガオさんにお願いして午後のお時間をいただいたのです。」
「大切な話?」
ツツジは半歩後に立っているセダムを振り返った。
「聞いておらんぞ。」
「申し訳ありません。とりあえず、カリン殿のお話を聞いていただきたいのです。」
不満げな顔をしたものの、ツツジはそれ以上何も言わずにカリンの正面に腰かけた。セダムはその隣に座る。
内々の会議に使うためのこの部屋は、城の敷地内とは思えない程殺風景だ。淡いグレーの壁に簡易的なテーブルと椅子。資料を貼ったり説明をしたりするために使う、移動式の黒板の他には何もない。そこには時計すら置かれていなかった。王宮棟にある応接室を使い慣れているカリンには寒々しい印象を与える。ツツジの顔色は、いつにも増して蒼白く不機嫌そうに見えた。
「ツツジ様は、最近城の周辺で起こった四つの事件をご存知でしょうか。」
「四つの事件?考古学室の小火くらいしか思い浮かばんな。」
「はい。ひとつはそちらです。それから、図書室の本の盗難事件、傷つけられた街路樹、アルカンの森の火事。」
「ふむ。図書室の件以外は耳にしている。それがどうしたというのだ。医局に関するものは何ひとつない。」
カリンは小さく息を整えた。
「お時間がないので、率直に申し上げます。その四つの事件を起こしたのはセダム様なのです。」
ツツジは無言でセダムを見やる。そして、セダムが否定しないのを見て取ると、カリンの方へ向き直った。
「お前が暴いたのか。」
「…はい。」
「それで、何が望みだ。」
「最初に申し上げておきますが、わたくしはツツジ様を脅しているつもりはありません。」
「それは続きを聞いてみないと分からんな。」
「では続けます。わたくしの望みは、セダム様が引き続き医術の道を歩まれることです。もちろん、罪は償った上で。」
「それがお前の望みだと?」
「はい。それにはツツジ様のご協力が必要なのです。」
「私が断ったらどうする?つまり、お前が恐れているのは私がセダムを告発し、切り捨てることだろう?」
「ツツジ様より先に、このことを王へ進言します。」
「…なるほどな。ふん。脅すつもりはないとはよく言ったものだ。」
「脅しではなく、これは提言です。更に続きがあります。先程事件は四つと申し上げましたが、まず街路樹の傷、これについては正確に申し上げると、まだそれほど重要視されていません。今のうちにわたくしが傷ついた木を癒してしまえば、いずれ忘れられるでしょう。
図書室の盗難については、紛失届は出ています。ただ、セダム様から本をお戻しいただければ、犯人を隠した上で、わたくしからナウパカ様に紛失届の取り下げをお願いすることが可能です。
アルカンの森の火事については、まだ人為的なものである確証が出ていませんので、わたくしが黙っていれば自然発火で解決するかもしれません。
問題は考古学室の小火のみです。これはジニア様の処遇含め、かなり大きな騒ぎになってしまいました。」
「私が協力すれば四つある筈の事件がひとつになるという訳だな。」
「はい。」
「お前の言い分は解った。」
大きな溜息を吐いたツツジは、セダムに声をかけた。セダムは真っ直ぐツツジの目を見据え、しっかりとした声で返事をする。
「何故、こんなことをした。」
「…孤児院から引き取っていただいたことには感謝しています。ですが…私の意思が無視され続けることに、だんだん耐えられなくなって…。最初は木を傷つける程度で気が済んでいたのですが、実際に城に出入りし始めると、その気持ちが更に大きくなって…本当に、申し訳ありません。私は罪を償うつもりです。ですが、父上にご迷惑をおかけすることが申し訳なくて…。」
「医師にはなりたくなかったということか。」
「何になりたいかを考えたこともありませんでした。親に捨てられ孤児院で過ごしてきた日々から、突然貴族様の暮らしの中へ入り、そのあまりの格差に戸惑う日々でした。それなのに、医師になる話ばかりが先に進んでしまって。心が追い付かなかったのです。今は、医師になって人々に尽くすことが、何よりの償いだと思えるようになりました。ですから私からも改めてお願いしたいのです。どうか、私を見捨てないでください。私は医師になりたい。」
ツツジはもう一度、先程より大きく深い溜息を吐いた。
「カリン。」
「はい。」
「アオイの時は、お前は全てを隠し通したのだったな。」
一瞬、ツツジが何のことを言っているのだか理解できなかった。カリンが言葉に詰まっていると、ツツジは、アオイから聞いた、と言葉を続けた。
アオイが、ツツジに、あの神殿での出来事を話したというのだろうか。
「上級官吏試験と、そろそろ身を固めることとを勧めた私に、アオイはその話をした。カリンのおかげで法的な罪には問われなかったが、自分は大きな罪を犯した。医局の仕組みに疑問を感じたら上級官吏にはなるかもしれないが、今のところは独り身の中級官吏で居たいと、そう言いおった。」
「そう…でしたか。」
「揃いも揃って息子たちが世話をかけたな。」
「いえ…。」
「リリィはな、あれはあれで事情があるのだ。」
「はい。そうだろうと思います。」
「あれは法務局の上級官吏の娘だったのだ。あれの父親は最後まで法務局長になれなかったのを悔しがっておってな、自分のひとり娘は何が何でも局長の妻にしようと思ったわけだ。それで、当時医局長の最有力候補に挙がっていた私とくっつけた。勿論リリィにも、局長の妻となるためのありとあらゆる英才教育をした上で。
目論見通り私が医局長になった際には、私のことも、それからリリィのことも、たいそう褒めたものだ。リリィも誇らしげだった。リリィにとっては、自分の息子を局長にすることが、息子にとっても幸せだと思い込んでおるのだよ。」
「そうでしたか。」
「お前の望みを言え。」
「先程申し上げました。」
「お前は脅すつもりはなくてもな、私は借りを作るのは嫌いなのだ。」
「そのようなつもりもありません。」
「私の気持ちの問題だ。…お前、私が一番大切にしているものが分かるか?」
「…いえ、分りません。」
「穏やかな日々だ。だから妙な騒動の種が育たんように先回りして根回しする。なるべくリリィの望み通りにしておるのも、騒がれるのが嫌だからだ。最低限のことしか口を出さんことにしている。」
カリンは今日、ツツジと話したことで、ツツジに感じていた印象が少し変わった。もっと狡猾な人物かと思っていたが、平穏な生活を求める、思った以上に賢明な人物なのかもしれない。
確かにツツジが医局長になってから、医局では他の局のように不祥事が起こることは、殆ど無かったと言っていい。それはツツジが先回りして不祥事の根を潰していたからなのかもしれない。
何より、ツツジがセダムの罪を頭ごなしに糾弾しなかったことも、カリンの胸を打った。ツツジならば、きっとこの事態を上手く収めてくれるに違いない。
「だからお前に借りを作りたくないのだ。実際はもう、アオイのことで借りを作っているのだがな。」
「…では、ツツジ様にとって御面倒かもしれないことをひとつお願いしてもよろしいでしょうか。」
「何だ。」
「今後、アオイ様やセダム様に対してリリィ様が明らかにつらくお当たりになった際、できれば、お二人の味方をして差し上げて下さい。陰で、ではなく、面と向かって。」
「…ふん。それは確かに面倒だな。しかし…考えておこう。」
「是非、お願い致します。」
「明日の朝一番に法務局へ行く。セダム、お前は私と一緒に来るのだ。今晩、お前が私に自白したことにする。リリィにも私から話をしよう。」
ツツジの行動は思った以上に早く、的確だった。
法務局へ自首したその日のうちに決まったセダムの処遇は、官吏から官吏補への「降格」。当面見習いとして勤務することと、一年間の無給奉仕だった。
リリィが無理やり官吏補を飛ばしての官吏就任を進めたため、規定類を大幅に改訂しなければならないと考えていた法務局は、ツツジが自ら司法室に提示した罰則の提案を丸ごと受けた。そうすれば、セダムの扱いは「規定通り」に収まり、規定改定という面倒な仕事が無くなるからだ。
カリンが焼失した資料を復元することで実質的被害も少なくなったため、それ程大きな罪に問う必要が無かったことも幸いした。
これで「降格」とは言っても、セダムは本来の手順で医局に勤めることができる。無休奉仕も、ツツジの家にとっては痛くも痒くもないだろう。
ツツジがあのリリィをどう説得したのだろうと思っていたが、それはカリンがマカニへ帰る直前に、セダム自身が教えてくれた。
先日ツツジと話した部屋で、セダムは変わらずユウガオから薬学の講義を受けている。挨拶に寄ったカリンとレンに、セダムは深々と頭を下げた。
「このタイミングで私を捨てて、また一から養子探しをしていたら、父が医局長を引退する前までに上級官吏になることは難しいと、父は母にそう言っていました。それならば、今回の被害を最小限に抑え、このまま私を育てるのが近道だと。
母はすぐに納得したようでした。最初に私が罪を犯したと聞いた際には一瞬逆上していましたが、そこは父が、今は感情に溺れている時ではないと一喝して収めてくれました。全て、カリン殿のおかげです。何と御礼を申し上げて良いやら。」
「御礼など良いのです。ツツジ様に申し上げたことはわたくしの本心です。わたくしの望みは、セダム様が、ご自分の意思で医術の道を歩まれることです。ですから、むしろセダム様はわたくしの望みを叶えて下さっていることになります。」
「優秀な医師は貴重なんだぜ。世話の焼ける医師だって沢山居るからな。だから優秀な医師になってくれ。」
「うふふ。ユウガオさん、実感こもっていらっしゃいますね。」
「お前と違ってこっちはずっとここに居るんだよ。」
「はい。感謝しております。あ、ユウガオさん。」
「何だよ。」
「マカニの大吊り橋が完成したら、久しぶりにガイアでこちらへ参ります。その際、セダム様を少しお借りしてもよろしいですか?」
「あ?その時まだ俺が教育係やってるかどうか分からないぞ。」
「なるべく早く参ります。セダム様を、アルカンの森へお連れしたいのです。」
「アルカンの森?」
「はい。」
アルカンの森…。セダムが小さく呟くのが聞こえた。
「いいけど、俺も連れて行けよ。」
「え?」
「いいだろう?あ、そうだ、薬草の実地研修ってのはどうだ。冴えてるじゃないか、俺。」
カリンはあの桜の木にセダムを会わせてやりたかったのだが、確かにユウガオを連れて行くのも、いいかもしれない。
セダムとユウガオと訪れるアルカンの森。それは何となく、また違った表情を、森が見せてくれるような気がした。
