不登校をいいとか悪いとかで語るのそろそろやめませんか?
こんにちは。
不登校に悩んでいるママ向けの支援を始めるようになってからというもの,
関連する情報の発信や調べ物をずっとしていたせいか,私のPCとスマホ上では
不登校に関係するありとあらゆる情報を
「あなたこれ興味ありますよね?」
と言わんばかりにすごい勢いでオススメしてくれます。
正直言います。
うるせ〜余計なお世話だYO‼️
笑
現在進行形で悩んでいるママさんたちも
似たような状況なんじゃぁなかろうか…
と勝手に思っています。
「学校なんて行かなくていい!!」
と声高らかに語る不登校サポートコーチなる方や
「理由がよく分からない欠席は3日以内に留めましょう」
と書かれている大学教授の方の記事…。
人によって言ってることも全然違うし
「どっちやねん!!!」
って謎に関西弁でツッコミを入れたくなります(笑)
(私は生まれも育ちも関東圏です。)
年の瀬なんではっきり言いますね。
「うちの子の不登校」は
「よその子の不登校」とは違います。
だから来年はネット検索はもうやめましょう。
こういう情報を日々目にしているだけでものすごい頭が疲れます。
自分で疲れにいっちゃダメです。
ただでさえ傷ついてボロボロになってる自分をこれ以上いじめてどうするんですか!!
それからね,
ここで叫んだところで世の中に届くのかは分かりませんが
いいかげん,不登校という現象を
学校に行くべき,とか
学校には行かなくていい
という二元論で語るのもやめた方がいいです。
学校に行くか行かないか
そこにどんな価値を見出すのか
それは子ども本人がやるべきことです。
親も含めて,周りの大人や外野がごちゃごちゃ言うことじゃありません。
なんでそうやって子ども本人が考えるべきことを大人が横から取り上げちゃうんでしょうか。
学校なんて行かなくていい
と声高らかに言う人も世間にはいます。
でもね,
仮にフリースクールやメタバースを活用して学ぶという選択をしたところで
得られる「経験値の量」だけを比べれば圧倒的に学校の方が多い。
勉強は自分ひとりでもできる。
でも,この世には自分以外の他者の存在なしには経験できない学びが山のようにあります。
不快な経験や他人との摩擦。
学校の価値は「授業」にある,と考えている大人もいますが,それはあまり本質的ではないな,と個人的には思います。
それよりも,親や教員がどんなに頑張っても教えられないことを子どもが他者との経験を通じて勝手に学んでいく場所が学校です。
小学校高学年から中学校3年間不登校だった教え子が卒業後にこんなことを言っていました。
「高校には進学できたけど,今でも,学校に行かなかった期間で自分が経験できなかったものを一つずつ埋めたり取り戻していくような感覚で日々を過ごしています。」
不登校だったことへの後悔はない。でも得られなかったものは確実にある。だからその分をどこで取り戻すのかをこれから自分で考えなければいけないんだ,と。
「学校に行きたくない」
子どもがそう言っていたとしても,
やはり学校という場所でしか得られない
友人や仲間と共有する時間や体験は何にも変え難いのは事実だし,子どもは親よりもずっとそのことを分かっている。
他のみんなができていることが
自分にはできない。
誰よりもその感覚に苦しんでいるのは子ども自身です。
だからこそ葛藤してるわけ。
でもね,
この「葛藤」の時間が子どもにとっては何より大事な経験であり,学びなんです。
思う存分,納得のいくまで誰にも邪魔されずに
葛藤して考え尽くしたら,最後は子どもが自分で答えを出します。
そこで出てきた答えが,その子にとっての「正解」なんです。
ところが,
親はなかなかそのプロセスを見守ることができないし,子どもの出した答えを評価したくなっちゃう。
子どもの葛藤を
勝手に肩代わりして
自分が先に耐えられなくなって
「大丈夫!別に学校になんて行かなくてもいいからね!」
と親自身を安心させるために
学校へ行かないことを肯定したり,
「どんなことがあっても学校には行くべき」
と学校に復帰することを最適解として押し付けて,無理やり家から引っ張り出そうとしたり,子どもの現状を全否定して,
自分の葛藤を打ち消そうとする。
これじゃ子どもはおちおち「悩む時間」も持てません。
葛藤しているプロセスも,そんな自分のことも
常に誰かに「否定」され続けて家での時間を過ごさなければいけない。
だから子どものエネルギーは枯渇するし
いつまで経っても先に進めないんです。
空(くう)の大切さ
コーチングの基本的な考え方の一つに
ノンジャッジメント(=空)
というのがあります。
クライアントが悩んでいること,課題として抱えていることについて
良し悪しを評価しないというものです。
「不登校」は良いことでも悪いことでもありません。
これからどうすればいいのかを
本人にゆっくり悩ませてあげてください。
そして,その間親がいかにノンジャッジメンタル(評価しない)な姿勢でいられるかが,全てです。
意見と人格は別物
ここで間違えないで欲しいことは,
評価しないということは
親としての意見を持ってはいけない
ということではありません。
日本人は,意見と人格を同一視する傾向が強いので,
自分とは意見が違う相手に対して否定的な感覚になってしまう人が多いのですが,
「学校には行くべきだ」
「学校には行かなくてもいい」
という異なる意見があった時にも
いずれの考え方も,その考え方を持つ人も否定されるべきではありません。
不登校で葛藤している子どもに対して,
「学校には行った方がいい」
という意見を親が持っていてもOKです。
仮に子どもが親とは違う意見を持っていたとしても
きちんと自分と子供の間に線を引いて
「あなたはそういう考え方なんだね」
とそのまま承認する。
ゆっくり悩んでいいよ。
どんな答えであっても,私はあなたが出した答えを尊重するよ。
そして,もしもこの先大人の助けが必要な時には遠慮なく声をかけて欲しい。いつでも親としてできる限りのサポートをするからね。
親が否定も肯定もしない,完全にニュートラルな状態で
子どもの葛藤や悩んでいる時間を横取りせずに
こんな風な言葉をかけてあげられたらもうそれだけで十分です。
あとは子どもが自分で答えを出します。
どうか最後まで子どもに答えを出させてあげてください。
「見守る」の意味
なーんてサラッと書きましたが
この状態になるのがむちゃくちゃ難しいのです。
修行です。
だって生きるって常に評価や批判の連続でしょ。
そんな風に生きることが当たり前の状況だったのに突然我が子が悩み始めて,
家族へのインパクトもとてつもなく大きい状況で,それをなんのジャッジもしないで見守るなんて,あなた仙人ですか?
っていうレベルですよね。
そう,だから修行と同じなんです。
よく言う「ただ子どもを見守るだけ」とは全く違います。
仮にプロとして研鑽を積んだコーチであっても
クライアントに対して一切のジャッジなく向き合えるようになるまでには相当の訓練を要します。
だから親御さんもトレーニングが必要なんです。
ここまで書いてきたことに自分で気がついて
なんとかしなくちゃ,と自分の心の在り方を整えようと
頑張っている親御さんもたくさんいます。
でも気づくことと変化することは必ずしもイコールではないので
そこから更に壁にぶつかったり,変化するまでにかなり時間がかかってしまうのも事実です。
例え頭で理解したとしても,親にだって気持ちの波はあります。
せっかく自分はジャッジせずに頑張ろうとしている横で,
パートナーがうるさくしつこく
「学校には行け!」
なんて声をかけ続けていたら心も乱されるしドッと疲れます。
ひとりでは大きすぎて抱えきれない荷物。
重すぎて自分が潰れそうになったとき
隣でその荷物を半分持ってくれる人がいれば前に進むことができます。
気持ちが折れて,歩みが止まったとき
横で励ましながら目的地を一緒に確認しながら伴走してくれる人がいればひとりで進むよりももっと早くゴールに辿り着くことができます。
ひとりではなかなか辿り着けないところに行くためのサポートを受ける。
これがコーチングの本質です。
全ての親御さんが
こんなスタンスで自分の子をサポートできると
子どもはどこまでも歩いていくことができるし,険しい道のりであっても必ず目的地に辿り着けます。
当然,不登校も改善します。
反対に,ネット上に溢れている
不登校が良いとか悪いとか
そんな情報をお腹いっぱい満たせば満たすほどに
ますます我が子をジャッジしたくなってしまい,
ゴールからはますます遠ざかります。
ついついキャッチーで
分かりやすい情報に飛びつきたくなりますが,
残念ながらいくら探したところで,そういう情報の中に欲しい答えは落ちてないんですよね。
あなたの課題に対する答えはあなたの中に,
お子さんの課題の答えはお子さんの中にしかありません。
そこに気がつければ,変わることができます。
他人に変えてもらうのではなく,自分から変わるんです。
これは親も子どもも同じこと。
と,これを書きながら
「不登校,ただ見守るだけで大丈夫ですか?」
というSNS広告が目に入ってきました。笑
うるせー!!!
という再びの怒りの叫びと共に
この記事を書き終えたいと思います。
今年も1年本当にお疲れさまでした。
ここまで走り続けてきたご自身とお子さんをどうか「やり過ぎ‼️」ってくらいまで,
存分にいたわってあげてくださいね!
いいなと思ったら応援しよう!
いつも応援ありがとうございます!