第3回-②発達特性のある家族との間に境界線を引く-夫婦編
愛するほどに境界線は消える
パートナーの発達特性の有無に関わらず、
夫婦間では容易にお互いの境界線消失が起こります。(理由については第2回)
恋人同士の頃は、
相手が自分のことを「まるで自分のことのように」理解してくれることに、喜びや愛情を感じるし、
結婚後だって、嬉しいことも悲しいことも、最も身近にいる夫と分かち合いたい!と思うことはとても自然です。
しかし、自分が幼少期に親との関係で満たされなかった気持ちを相手に投影したり、「甘え」の気持ちが行き過ぎると、相手をまるで、自分自身の一部のように扱ったり、
自分とは異なる考えを持っていることに、腹を立てたり苛立ったりするようになります。
これが、夫婦間における境界線の侵害です。
そして、子育て同様、パートナーに発達特性がある場合、この境界線の侵害が起きやすい状態になります。
カサンドラの過去
ASDなどの発達特性を持つパートナーとの間で情緒的な交流が持てず、孤独感の中で心身を病んでしまう状態を俗にカサンドラ症候群と呼びます。
結婚していた頃の私は、
新婚早々この状態に陥りました。
ASDの夫とは情緒的な交流が難しい場面が多く、自分の興味関心以外には一切目を向けない(外では努力して向けることも出来るが、家庭ではやれない)夫の悪気ない行動に、
こちらが深く傷つくことなんてことは日常茶飯事。
そして、それを本人に伝えたとしても、夫の心理的なキャパを超えた瞬間(容量はかなり小さい)無視されたり、なかったことにされる。
当然のことながら、お互いに本音を伝えあって建設的に話し解決、ということはほとんどなく、
いつしか問題があっても「私があきらめる」という解決策が当たり前になっていきました。
結婚前にパートナーの発達特性には気づけなかったのか?
時々、なぜ結婚前に気づかなかったのか?と言われることがあります。
結論、今思えばあれも?という片鱗や違和感はもちろんありましたが、それを理由に結婚をやめていたか、と言われたら、それは難しかったかなと思います。
ASDの人の中には、他者とのコミュニケーションの際、世間一般で理想とされる「感じの良い立ち振る舞い」というのを徹底的にパターン化して、命を削るような思いで、日々の社会生活を円滑に送っている人が多くいます。
そして、仕事以上に難易度が高いのが恋愛です。
恋愛する上でも、不都合な自分の特性を「ないこと」のように擬態し、精一杯感じよく振る舞う。
元夫もこのパターンでしたが、
こうなってくると、事前に見抜くためには相当時間をかけてじっくりと付き合わない限りは難しい気がします。
(そうだと分かったとしても、別れるかどうかはまた別の話ですが)
元夫の場合は、目標としていた私との「結婚」が果たされたことで、めでたく擬態が不要となり、
かなり素に近い状態で日常生活を送るようになりました。
それは同時に、
妻対してほとんど関心を示さない
興味を持たない
自分にとって都合が悪いことは無視する
という態度でもあり、
私は
「なぜこの人は私と結婚したんだろう?」
「私の存在理由ってなんだろう?」
ということを日々鬱々と考えるようになりました。
結婚後にパートナーが豹変 という言葉を時々耳にしますが、これは大袈裟でもなく、現実に起こりうることだと思います。
【私は何に怒っているんでしょうか】ゲームの日々
そして、
傷つく恐怖から逃れるために私がとったのが、
直接夫と対話する代わりに、
重苦しい沈黙や不機嫌で、相手にこちらの辛い気持ちを伝える
という方法でした。
これは相手の領域に、
自分の「不快」という感情を無理やり侵入させる行為であり、健全な境界線とは真逆のコミュニケーションです。
結果として、夫婦のコミュニケーションはどんどんと少なくなり、夫は私との関わりそのものを避けるようになりました。(家にいないようにする、帰宅時間を遅らせるなど)
私が自分を守るために放った「不機嫌」というトゲが、結果として私自身をさらに孤独へと追い込んでいったのです。
カサンドラにならない「境界線」
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