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夜店から 2410字

夜店から 子どもたちの声が聞こえる

或る暑い日、私は自転車を漕いで夜の街へ繰り出そうとしていた。見知った町なかを、あえて違う細道などに入って、ぶらぶらと漕いでいたら、あれ、こんな所に神社が。しかも提灯らしき物が点いていて、少し明るい雰囲気。何かやってるの?

気づいた時には、神社の入り口で止まっていた。まっすぐに奥が見える。・・・夏まつりの光景。

こんな光景を見るのは、いつ以来だろうか。それこそ、子ども時代まで遡ってしまいたくなる程の心地だった。

私にとって夏祭りとは、子ども時代の、おばあちゃんの家に行った時の話になる。おじいちゃんも生きていた。今から、かれこれ50年近く前の事になる。

いとこ達と夜、近くの大きなお寺だったか、に行くのだけれど。それ以前に、家の前の細い車の通りを、車輪付きのお神輿、いわゆる、だんじり、とでも言っただろうか、大仰に通ったものでした。

小さな子どもの私は、大抵の物というのは、見上げる物ばかりだった。親にせよ、近所の兄ちゃん、学校、なんでも大抵。その多くは眩しく見えたものでした。また、夜というものは、子どもにとっては、それこそ夢物語のようなもので、むしろ遊ぶべき、遊びたい時間と空間なのでありました。

夜というのは、大抵しずかな物なのだけど、夏のお祭りだけは心躍ったものでした。おばあちゃんの家のすぐ目の前を、だんじりが、低いうなり声を上げて、大きな太鼓の音とともに、豪快に過ぎてゆくのを、何度も観る事になった。アスファルトの道を木製の車輪が行く音は大変な物でした。

だんじりの上部には、あれは何だろうか、神社の祀りの代わりだろうか、木製や金製のきらびやかな装飾が施されて、小さな空間の隙間を、これまた小さな子どもたちが座って、小さめの太鼓などを叩いている。ハッピという物だったかを身なりしっかり着て。そういう子どもたちは、しっかりと、お祭り要員として働く。

だんじりの上部には瓦屋根を模したような造りになっていて、そこに若い男性たちが、危ないのだけど、所狭しと暴れ回っては、たいそう大きい団扇だろうか、片手で、これみよがしに振りまくっている。移動する、だんじりの上で良くする事。私にとって『煽る』とは、まさにこの事で、いやでも心がみなぎって、何とも言えない充足感が湧き立つのであった。

祭りに出向く前から、この調子であるから、楽しみで仕方が無い。思い出になった事というような類では無く、例えるなら、どこにも無い筈の世界を行脚したような、そんな妙な表現にしてしまいたくなるような、そんな事であった。

お寺への行き道など覚えていはいないけれども、果たして到着すると、広場を埋め尽くす露店の数々、数十は悠にあって、目がちかちかする。明かりばかりが印象に残っているのだけれど、ともかく見て周るしか無い。大抵の子どもたちは見るだけで、遊んでも一軒か二軒。私は食べ物の記憶は無いけれども、ひとつだけ、大きく未だに印象に残っている物事がある。

いわゆる鉄砲遊びだ。ライフルを模した物で、コルクを玉代わりに飛ばして、2メートル先に置いてある小さな人形を倒して、景品を貰うという仕掛けの遊びだ。当時でも100円はしたかも知れない。

親が同伴していたか定かでは無いけれども、いとこ達とつるんで、その広場を練り歩いた。肝心のお寺でも何かしていたかも知れないが、子どもたちには余り関係の無さそうな事だったかも分からないが、およそ私にとっては露店のイメージしか無くて、つまりは小さな細い腕で大きくて長くて重いライフルを、なんとか持って、獲物を狙ったという事だった。

鉄砲の先にコルクを詰めて、ライフル本体の、持つ方に付いている重いレバーをしっかり引き切って、引き金を引いて撃つ訳なのだけど。私は、撃つ事ばかりに夢中になっていて、構え方など注意を払っていなかった。

引き金を引いてライフルを撃つと、玉が出ると同時に、レバーも元の場所に急激に戻る仕組みになっている。その戻る勢いが、私の手指に当たって怪我をしたわけだ。

今から思うと、小さな子どもが持つにしては、割としっかりした作りで、玉の飛ぶスピードも、コルクだから良いものの、物によっては大人も怪我をする速度だったと思う。それでも標的の小さな人形は倒れなかったし、まず当てられなかったけど。

怪我をして血を流したものの、祭りを中断して家に帰って治療を受けるなんてしたくなかった。結局、痛くてじんじん気になる手でありながら、遊びたくて祭りの夜を楽しんだ。というか、その祭りについては、その記憶しか無い。

一瞬、そんな夏祭りの思い出がフラッシュバックした。私、忘れていたな。現実に、今見ている小さな神社のとても小規模なお祭りの風景は、まるで、映画の中の1シーン、覚束ない物を手繰り寄せるには充分ではあったけれども、物語の感興を思い起こす装置として、充分に働いてくれた。何もかも、純粋な感動として私を起こした。今、生きている事さえも錯覚しそうな、心地よい眩暈のような気分で、ひとり、そしてその神社の中のひとつひとつを確かめるようにして、心地良い夕風を受けながら、ゆっくりと散策したのだった。

境内の中で、巫女たちが神聖で優雅らしき踊りをしている。おそらくは祭りの本分は、それなのだろう。私は、生きている内に知るべき事も無かろうと思う事にして、鳥居をくぐって神社を出て、自転車に乗り込み立ち去ったのだった。今夏の事である。

2026年7月

☆彡

あとがき

少し久しぶりに、シロクマ文芸部にお世話になります。こんにちは、つるです。お題を拝見して私なりに書けそうでしたので。

ちなみに神社ですが、御手洗舎に江戸風鈴が10個ほど吊るされていて、夕風に、とても心地よい音の響きを鳴らしていました。しばらく眺めて風情を楽しみました。風鈴の季節ですね。私は南部風鈴もこよなく好きです。それではまたです。^^/

#シロクマ文芸部

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つる | 音楽家 ここに目をやってくださった、 そのお気持ちがうれしい。