おじさんの孤独をありありと想像してしまった布石
昨日書いた記事では、おじさんの孤独に当てられて酔いそうになってた。
イン・ザ・メガチャーチを読む前にこちらも読んでいたせいもありそう。
こーわあぁぁ…こわ!
家の中なら思ったことを言っていいし自然体にしていいんじゃないの?
家の中でも気を使わなきゃいけないの?
って、前夫に言われたことがあった。
そのときは好きだったし「思ったことは言っていい」ということにしたことを思い出した。
うんまあでも、なんでも言っていいわけじゃないな、やっぱ。
わたしは嫌なことを否定的にならずにイヤって言うし
できるだけ相手が動きやすい伝え方とか工夫するほうだし
自分から話しかけるのはもちろん
なんなら相手が主体的になれるように議題に乗せるとか
空気をいい雰囲気に保つとかもしていたと思う。
だから夫婦間の空気が悪くなって離婚したのは
コミュニケーション上の些細なずれとかではない。
ではあるけれども、やっぱりこの本を読んでしんどい気持ちになるのだった。
連載を持ってたメディアが感想を集めている。
この中で、5年も調停をして離婚理由がよくわからないっていう最後の人がすごくリアルだった。
まあ、実は片方が話し合おうとしててもそれすら通じないとかもあるわけだから事実はわからない。
そういえば結婚のカウンセリングっていうのがあるんだけど、何かしら解決を求めるものである場合には、一人で一人の話を聞くってことはなくて、二人のカウンセラーが夫婦二人の話を聞くことになってるんだよ。
もうちょっと若かったら、いろんなスレ違いの謎を解きたいとか思ってたかもだけど、もうしんどくてむりだなぁ…。
家庭内別居って言葉はわりとメジャーだよね。
実際そうしてるっていうおうちの話を聞いたことがある。
いやもう、
静かなんだろうけど、客観的には壮絶の一言よね。
この本の主人公の旦那さんは家の中で孤独を感じる感性があって、だからこそ時間はかかったけどそこからの脱却をはかれて最後はなんかおさまるとこにおさまった。
でも、
これと同じことが起きていながらご本人の体感はまったくこれと異なるご家庭もあるんだろう。
自分の気持ちも人の気持ちももともとそんなに感じない人もいる。
さすがに家庭内別居になったら多少の痛みはあると思うが、この痛みをあえて感じないように他に没入する人もいる。
それこそイン・ザ・メガチャーチみたいにね。
本当に誰もいない孤独じゃなくて、一応人の気配があるほうが孤独ではない。という人もいるのだろう。
そもそも孤独の解像度って同じ環境でも同じ人間でも変わったりするのだ。
わたしだって娘二人猫一匹とめちゃくちゃこっちに寄せようとする相方氏と同居だけど、それでも孤独を感じることだってあるもん。
ぜいたく~!!
共通理解のスキルを相当身に着けているタイプのわたしでも、それでも人間同士が完全にわかりあうことなんてない。
だから孤独はなくならない。
この多様性と同調圧力の地獄の日本社会のそこかしこで、濃度と粘度を高めた孤独はどんな有様になっているのか。
その一端を恐怖とともに感じるマンガだった。
こっちは連載が2020年なのね。もうだいぶたってる。
この社会で子どもたちが大人になるのが心配になるなあ。
強く生きろよ!
