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リュック・ベッソン監督 『ニキータ』

妻が座ったのは、ニキータの左隣だった


――「生き延びること」と「自分の人生を生きること」は同じなのか


映画『ニキータ』へ、一言。

生き延びることと、自分の人生を生きることは、同じではない。


1.40年ぶりのパリへ

2026年の夏、大学の卒業旅行以来、約40年ぶりにパリを訪れた。

その前にスイスを巡った。チューリッヒ、ベルン、ツェルマット、ルツェルン、バーゼル。それぞれの街には異なる歴史と文化があり、同じ国でありながら、街の表情も人々の空気も少しずつ違っていた。

バーゼルからは、TGV LyriaのPremièreに乗ってパリへ向かった。

国境を越えているはずなのに、車窓の風景が少しずつ変わっていく。その穏やかな移動の中で、ヨーロッパは国境によって分断されているだけでなく、鉄道によって結び直されているのだと感じた。

そして、40年ぶりのパリ。

街並みには見覚えがあるようで、もちろん記憶とは違っていた。街が変わったのか、自分が変わったのか。おそらく、その両方である。


2.猛暑の帰り道に予約したレストラン

パリ滞在中、猛暑の中をモン・サン・ミシェルまで出かけた。

帰りのバスの中で、旅行代理店の方にリヨン駅のレストラン「ル・トラン・ブルー」を予約できないか相談した。幸い、翌日の夜に席を確保していただくことができた。

ル・トラン・ブルーは、リヨン駅の構内にある。

駅のレストランと聞いて想像する空間とは、まるで違う。高い天井を覆う絵画、金色の装飾、重厚なシャンデリア。扉をくぐると、現代の駅からベル・エポックの時代へ、そのまま入り込んだような感覚になる。

料理も酒もおいしかった。しかし、それ以上に心に残ったのは、そこで流れている時間であった。

妻が座った席は、映画『ニキータ』でニキータが座った位置の、すぐ左隣だった。


3.誕生日の食卓が、暗殺現場に変わる

リュック・ベッソン監督の『ニキータ』は、警察官を射殺して服役することになった少女が、政府の秘密組織によって暗殺者へと作り替えられていく物語である。

ニキータは社会的には死んだことにされ、組織の中で射撃、格闘、コンピューター、そして女性としての振る舞いを教え込まれる。

ル・トラン・ブルーが登場するのは、ニキータの23歳の誕生日である。

教官のボブに連れられ、黒いドレスを着たニキータが席に着く。シャンパーニュが注がれ、誕生日を祝われる。これまで閉ざされた施設で暮らしてきたニキータにとって、初めて外の世界に触れる特別な夜に見える。

ボブから贈られた美しい箱を、ニキータは期待を込めて開ける。

中に入っていたのは、宝石でも香水でもない。
拳銃だった。

後ろの席にいる要人を殺害し、男子トイレの窓から脱出せよ。それがボブからの命令だった。

誕生日を祝う食卓は、一瞬にして暗殺現場へと変わる。しかも、教えられた脱出口の窓は、あらかじめ煉瓦で塞がれていた。

これは任務であると同時に、暗殺者としての「卒業試験」だったのである。


4.同じ空間に流れていた、正反対の時間

映画の中のニキータと、2026年の夏に同じ店を訪れた私たち。

同じ天井画を見上げ、同じ金色の装飾に囲まれていても、そこで流れている時間の意味は正反対だった。

ニキータは、自分の意思でその席に座ったのではない。

誕生日を祝ってもらえると思ったことも、箱を開けたことも、その後に人を殺すことも、すべて組織が仕組んだ試験の一部だった。

一方、私たちは自分たちの意思でこの店を訪れた。

料理を選び、酒を味わい、会話を楽しむ。翌日どこへ行くかも、何時にホテルへ戻るかも、自分たちで決められる。

当たり前のことのように思える。

しかし『ニキータ』を思い出しながらその席に座ると、誰と食卓を囲み、どのように時間を過ごすかを自分で選べることは、決して小さな自由ではないと思えてきた。


5.建物に残る歴史、人が重ねる記憶

ル・トラン・ブルーの前身となるリヨン駅の駅食堂は、1900年のパリ万博に合わせて建設され、1901年に披露された。その後、私の生まれた1963年に現在の「ル・トラン・ブルー」という名称になったという。

一方、ホテルから眺めたエッフェル塔は、フランス革命100周年に当たる1889年のパリ万博のために建設された。

夜になると、エッフェル塔が無数の光を放つ「シャンパンフラッシュ」が始まる。

その輝きを眺めながら、革命以前の王政、ルイ16世の最期、ナポレオンが建設を命じた凱旋門、そして万博によって近代国家の力を世界へ示そうとした時代へと思いがつながっていった。

スイスの街を歩いたときにも、似た感覚を持った。

16世紀に始まった宗教改革、カトリックと改革派の対立と共存、都市と市民の団結。それらは教科書の中だけの出来事ではなく、現在の街並みや自治のあり方、人々の帰属意識にまでつながっている

歴史とは、過ぎ去って消えてしまったものではない。

私たちは、その結果としてできた街を歩き、その建物で食事をし、その鉄道に乗って移動しているのである。


6.あれっと思ったこと――生き延びることと、生きること

ニキータは、死刑や終身刑に等しい運命から救われたように見える。

しかし、組織によって用意されたのは「自由な人生」ではなかった。

名前も、経歴も、仕事も用意される。恋人との生活を始めても、一本の電話によって暗殺者へ引き戻される。

命は続いている。

では、それを「自分の人生を生きている」と呼べるのだろうか。

40年ぶりのパリで、私は妻とル・トラン・ブルーの食卓を囲んだ。

豪華な料理や酒も、もちろん旅の思い出である。しかし、最もありがたかったのは、妻とそこへ行くことを自分で選び、その夜を二人の記憶として持ち帰れたことだったのかもしれない。

映画を観たから、そのレストランは単なる観光名所ではなくなった。

そして実際にその場所を訪れたから、『ニキータ』もまた、若い頃に観たアクション映画とは違う作品に見えてきた。

歴史ある場所とは、過去を閉じ込めた場所ではない。

時代ごとに、そこを訪れた人が新しい記憶を重ねていく場所なのである。

妻が座ったのは、ニキータの左隣だった。

しかし私たちは、ニキータの物語を追体験していたのではない。

40年という時間を経て、そこに自分たちの物語を一つ重ねていたのである。


※歴史に関する記述は、ル・トラン・ブルー公式サイトおよびエッフェル塔公式サイトを参照した。
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元証券マンが「あれっ」と思ったこと
発行者HP http://tsuruichi.blog.fc2.com/
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