第60回 今年は西行法師生誕900年!
1、導入
以前予告した西行法師について、
コラム的に紹介していきたいと思います。
まずは生い立ち。
西行法師は俗名(出家する前の名前)は佐藤義清(さとうのりきよ)です。
平安時代の武士の家柄で
「北面の武士」と呼ばれる時の上皇に使える近衛兵的なポジションにいました。
平清盛の父忠盛や、源頼朝の父義朝も同じ「北面の武士」だったところを見ると、
それなりのエリートと言えるのではないでしょうか。
2、出家
ところが義清は23歳にして、突然出家してしまいます。
人の心情を推し量るのは難しいとおもうのですが、
著名な作家や、歴史学者が
「失恋説」
を主張して、恋の相手を推測しているのが興味深いです。
ライバルの源氏と平氏が出世を巡って血で血を洗う抗争を繰り広げているさなかに
失恋で全てを捨てて出家。
しかも独身でもなく、衣にすがりつく幼子を蹴り飛ばして詠んだ和歌も伝わっています。
まさにクレイジー。
凡人の私にはとてもできません。
でもこの辺りは、ブッタの出家のエピソードをなぞっているような雰囲気もありますので、眉唾ですね。
3、諸国漫遊
その後は心の赴くまま諸国を放浪し、和歌を残して名を残します。
わが町にも
「西行戻し」という地名があります。
調べてみると各地に同様の地名が残っているようです。
伝わるエピソードとしては、
和歌の名人たる西行法師がこの地を訪れた際に、童や牧人(牛飼いなど)に教養がないことで恥をかかされて都に戻る。
実は童や牧人は神や仏の化身だったとのちにわかる。
という型が多いようです。
全く根拠はありませんが、この人各地で嫌われていたのではないでしょうか。
都の風流人であることを鼻にかけ、地元の人に追い返されたのでは。
それを脚色して、地元の人が伝えていたとしたら面白いですよね。
4、死に様
兎にも角にも、西行法師は我が国の和歌の歴史においては偉人でありますし、
政治経済とは少し距離を置いた立場で実際に諸国漫遊したという史実は、創作意欲をくすぐる人物像ではあります。
もっとも伝説的なエピソードとしては
願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ
という自作の和歌の通り亡くなったということでしょうか。
美しく散る桜のように、人生の終焉を迎える、その死に様は良くも悪くも日本人の思想に大きな影響を与えていると考えられます。
個性が強く、900年も後の世まで語り継がれる存在。現代で例えると誰でしょうか。そんなことを考えてみるのも面白いのではないでしょうか。
