子持ちと子無し
交友関係は激狭だが、激狭なりに友達は1組の夫婦を除いてすべて子無しだ。そして私も。みんなアラサー、アラフォーである。
連絡を取ってないがラインに入っているかつての友人たちのことは知らない。
友人たちと遊ぶ時はキッズを交えて集まっている。みんな子供好きなので楽しい。でも子供嫌いとか興味がない人がいても、別にいい。それはそれで大人同士、子らに悪影響がないよううまくやっていけばいい。
私がおさない子供の頃、大人たちはみんな優しかった。父母とも20代前半で私を産んでいるが、まだ独身の父や母の友人たちはみんな可愛がってくれたことが記憶に残っている。叔父の当時の彼女みたいな会ったことのない人ですら、私にオルゴールをプレゼントしてくれた。
大人はよその子に対してはこの像を与えてやらねばならない。どんなに子供が嫌いでも、「こんな大人がいてくれたのはありがたかった」とどこかで残り続けるかもしれないからだ。そしてその逆も然りである。
子持ちと子無しの分断や互いを尊重できない在り方は、その憎悪を子供に向ける行為である。子供からしたら迷惑千万だ。
8年くらい前に、通っていたゲイバーのママが私含む自店の客たちを伴い、小規模なご飯会を開いたのだが、そこに同席した初対面の中に、小さな子を育てている30代前半の一児ママと、子供を持つつもりはなかったけど36で第一子を産み、今は2人目もいるという39歳の二児ママが対面で座った。
当然2人は子供の話で盛り上がると思いきや、子供や子育ての話をするのは一児ママばかりで、二児ママもちょろっとはするけどほぼ子育てについての会話はしなかった。
一児ママはとにかく子の日々の成長が嬉しいようで、優しそうなお母さんで素敵だと思った。
だが二児ママのおかげで、赤ちゃん子育て中のママ同士でありながらも、子供の会話一色にならなかったことは、隣に座って会話に混じっていた私にとってはありがたかった。入ってもいいなら入るけど、未経験ゆえ、確実に蚊帳の外になるからだ。
だが途中、その二児ママの持論で、一児ママが明らかにピリついた表情をした瞬間があった。たぶん一児ママがあまりにも自分の子供の可愛さや、母としての喜びを語りまくったことに少し退屈を感じ、嫌気がさしてきたのかもしれない。
しかし二児ママの持論が問題とは思わなかった。むしろ子無しの私には、それもそれで「こんなママも素敵」と思わされた持論でもあった。
曰く
「ママ友には子供がいることをとにかく誇らしいことにする人もいるんだけど、大人になって社会でなんのキャリアも積まないとただの何でもない人になっちゃうんだよね。
特に結婚して仕事辞めたり、仕事一筋とかではなかった女の人。そこに子供ができると、社会の中でママという存在になれて、育児という重労働をするわけでしょ。
大体のキャリアを積んでないママたちはそこに自分の存在意義を見出しちゃうんだよ。ママになるだけで、何でもない人からランクアップした気になるんだよね。
でもママになったからって偉くもなんともないよ。別に子供いらないならそれでいいんだよ。私もちょっと前まで子供作るつもりなかったけど、子供産んでも偉くもなんともないよ。
女だからって人生で大切なのは、ママになることだけじゃないでしょ」
もちろん一字一句同じではないが、こう言っていた。なんかずっと「私って子供産める体なのにいらないなんて、女としてはバツよなあ」と無意識に感じていたものがスッと軽くなった気分だった。
これは30代半ばまで、子無しでバリバリ働いて生きていくつもりだった人だからこそ出た言葉かも知れないので、その持論の正否は問わない。
だが「ママは偉くない」なんて言うつもりはないが、「子持ちのほうが人間として偉いよね?」という問いかけがあるなら私の答えはノーだ。
それをイエスとしてほしいなら、もし自分の子供が病気などで将来子供を持てない、あるいは必要ないので持たないと決めた時に、親である自分自身のその言葉こそが、子供に人として劣っていると言っていることになってしまう。
また、産んだ子供が必ずしも健康体であるとは限らない。子を持たない人からも徴収した税金を生涯受け取る子だっているだろう。だから「子無しは未来の若者の資源を食い潰すだけ」などというのは、あまりにも暴論だ。
子供は持たないが、仕事の一環で障害児の世話をすることがある。食事介助から排泄までけっこうガッツリの付き合いだ。この仕事は長く続けていきたいと考えている。
だが私に子供がいたら今の仕事はしていないので、ある意味では子育てに関わっている者として、温かい目で見ていただきたい。
