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『介護職は底辺』と言われるけれど、 私がいた会社では『介護事務』はもっと下だった①

これは介護事務という職種を見下す話ではありません。私が長年勤めた会社で、介護事務がどのように扱われていたのかを振り返る、個人的な体験談です。

氷河期、やっと決まった事務職

世間が「就職氷河期」と呼ばれていた頃、私は勤めていた会社をリストラされ、新しい仕事を探していた。

求人票を何枚見ても、「経験者優遇」「年齢制限あり」の文字ばかり。何社応募しても採用されず、「次の仕事は本当に見つかるのだろうか」という不安ばかりが募っていた。
そんな中、自治体が失業者対策として実施していた「緊急雇用制度」に応募した。民間企業で働きながら、一定期間は自治体が人件費を負担する制度だった。
「とにかく仕事が欲しい。」
そんな思いで応募し、採用されたのが介護事務だった。

緊急雇用期間が終了すると、そのまま正式に雇用してもらえることになった。当時も今も、その会社は介護業界では大手として知られる企業である。「来月からは月給で働いてもらいます。」
その言葉を聞いた私は、本当に嬉しかった。
「これで正社員になれた。」
そう思っていた。ところが、しばらくしてそれは勘違いだったと知る。
私は正社員ではなく、1年ごとに契約を更新する契約社員だったのだ。

契約社員なら、契約期間が終われば契約終了という選択もできるものだと思っていた。
しかし、私が勤めていた会社では、契約期間の区切りだからといって自由に退職できるような雰囲気ではなかった。退職する場合は早めに申し出る必要があり、後任が決まっていないことなどを理由に、退職時期が延びることもあった。当時の私はもちろん、今振り返ってみても、「これでは実質的には正社員とあまり変わらないのではないか」と感じている。
「契約社員だから、契約満了で自由に辞められる。」
そんなイメージとは、私の現実は大きく違っていた。

それでも、入社して最初の3年ほどは、毎年昇給があり、賞与も給与約1か月分が支給されていた。
契約社員という立場ではあったものの、待遇に大きな不満はなく、「この会社で頑張っていこう」と思っていた。この頃の私は、まさか後に会社への見方が大きく変わることになるとは想像もしていなかった。
ところが、3年目を過ぎた頃から昇給はなくなった。
もっとも、その当時は特に気にはしていなかった。
仕事は好きだったし、目の前の業務をこなすことに精一杯だったからだ。
変化を感じ始めたのは、会社が次々と営業所を開設し、事務員を増員するようになってからである。
新しく入社した事務員たちは、私にとって後輩になった。
「あなたは先輩なんだから。」
そう言われ、後輩の指導やフォロー、新しい業務を次々と任されるようになった。
仕事は増える。
責任も増える。
しかし、給与は変わらない。
さらに、仕事量が増えれば当然残業も増える。
残業をすれば残業代は支給された。
だが今度は、
「どうしてこんなに残業が多いんだ!」
と上司から叱責される。
当時の私は、心の中で何度もこう思っていた。
「仕事を増やしているのは、そっちでしょう。」

一般的に「介護事務員の仕事内容」を検索すると、

  • 介護保険請求事務

  • 労務管理

  • 勤怠管理

  • 経理

  • 庶務

  • (施設では)ベッドメイクなどの介護補助

といった内容が紹介されている。
もちろん、これらも介護事務の大切な仕事である。
しかし、私が勤めていた会社で求められたのは、それだけではなかった。
営業所が増え、利用者が増え、制度改正があるたびに新しい業務が追加される。
気がつけば「介護事務」という一言では片づけられないほど、多くの仕事と責任を担うようになっていた。

さらに、会社は介護職の確保と定着を重視していたため、私が所属していた営業所では、本来であれば介護職員や管理者が行うはずの業務まで、事務員が担う場面が少なくなかった。
私が経験した業務には、例えば次のようなものがある。

  • 介護記録の代筆

  • 計画書や報告書の代理作成

  • 利用者や職員への業務連絡

  • 利用者の疾患や既往歴などの情報整理

  • 管理者が本社へ提出する売上報告書や予算資料の作成補助・代理作成

  • 日報の作成

  • 非常勤スタッフの報告書などへの管理者印の押印作業

もちろん、営業所によって業務内容は違うだろう。
しかし私の経験では、「事務員だから事務だけをしていればいい」という仕事ではなかった。
業務の範囲は少しずつ広がり、気づけば責任だけが増えていった。

ここまで読むと、
「介護職員や管理者、サービス提供責任者は何をしていたの?」
と思う人もいるだろう。
もちろん、すべての営業所がそうだったわけではない。
担当者が自ら書類を作成し、きちんと管理している営業所もあった。
しかし、私が見てきた中には、担当者が書類作成を後回しにしたり、期限までに作成しなかったりするケースもあった。
そうなると書類は滞る。
そして運営指導が入れば、不備を指摘される。
本来であれば、担当者や管理者が対応すべき問題である。
しかし私の経験では、「担当者がやらないなら事務員がやればいい」という判断が上層部から示されることがあった。
その結果、本来は事務員の業務ではない仕事まで、次々と事務員が引き受けることになっていった。

中には、私には理解できない出来事もあった。
コピー機の前に座っているにもかかわらず、
「これ、コピーして。」
と、少し離れた席にいる事務員へコピーを頼むケアマネジャーもいた。
もちろん、忙しいときに頼まれること自体は仕事のうちだと思う。
しかし、その場で自分が数秒でできることまで当然のように事務員へ任せる姿勢には、違和感を覚えた。
一度、「今お手すきでしたら、ご自身でお願いできますか」といった趣旨のことを伝えたことがある。
すると、「うちの事務員は仕事をしない」と上層部へ報告された。
私たち事務員の話を聞いてもらえることはほとんどなかった。
それどころか、同僚は上層部からこんな趣旨のことを言われたという。
「ヘルパーやケアマネジャーは募集してもなかなか集まらない。事務員はいくらでも代わりがいる。だから、こちらを優先する。」
その言葉を聞いたとき、私は会社の中での事務員の立場をはっきりと思い知らされた。

当時はリーマンショックの影響もあり、失業者はさらに増えていた。
会社が新しく訪問介護事業所を開設することになり、事務員を1名募集した。
すると、応募者は55名にのぼった。
事務職を希望する人が、それだけ仕事を求めていた時代だった。
一方で、ヘルパーやケアマネジャーは慢性的な人手不足で、募集をかけてもなかなか集まらない。
そのため会社は、「介護職は貴重な人材、事務員はすぐに代わりが見つかる」という考え方を持っていたように、私は感じていた。

こうした状況では、会社にしがみつく事務員も少なくなかった。
当時の雇用情勢を考えれば、それも無理はない。
そして、会社は「できる人」に次々と仕事を任せるようになる。
例えば、

  • 音楽や書道が得意な人は、施設やデイサービスのレクリエーションへ駆り出される。

  • 絵が得意な人は、施設やデイサービスで使うチラシやイラストの作成を頼まれる。

私の記憶では、こうした業務が通常の事務業務とは別に求められることもあり、中には休日に自宅で作業するよう依頼されるケースもあった。
「得意なことだから」という理由で引き受ける人もいたが、私は次第に疑問を抱くようになった。
「これは善意の協力なのだろうか。それとも、本来は業務として扱われるべきものではなかったのだろうか。」

あるとき、自治体が事業所から出るごみについて、専用のごみ袋を使用し、指定業者へ回収を依頼する制度を導入した。
当時の営業所の管理者は、複数の回収業者から見積もりを取り、上層部へ提出した。
しかし、なかなか返答が来ない。
しびれを切らした管理者が管轄エリアの役職者に問い合わせたところ、私はその返答を聞いて耳を疑った。
「お金がかかるから、ばれないように家庭ごみとして捨てて。」
私が聞いたのは、そのような趣旨の指示だった。
その場で、「そんなことをしていいのだろうか」と強い違和感を覚えたことを、今でも忘れられない。

結局、営業所では事業所ごみを家庭ごみとして近隣のごみステーションへ出すことになった。
しかし、それは長くは続かなかった。
ある日、ごみの中身が確認され、家庭ごみではないことが判明したのである。
さらに問題だったのは、ごみの中に個人情報が含まれる書類が、そのまま廃棄されていたことだった。

数日後、営業所にシルバー人材センターの職員がやって来た。
自治体がシルバー人材センターにごみの中身の確認依頼をしていたのだ。
そのとき、事務所にいたのは私一人だった。
突然訪ねてきた職員は、ごみの中から見つかった封筒や書類を私の前に差し出し、厳しい口調で言った。
「これは、そちらのごみでしょう。事業所ごみを家庭ごみとして出してはいけないことは知っていますよね。」
ごみの中には、個人情報が記載された書類も含まれていた。
私は何も言い返せなかった。
この判断をしたのは私ではない。
それでも、その場で対応するのは事務員である私だった。

当時の私は、会社を守ることしか考えていなかった。
どうすればその場を収められるか、そればかりを考えて対応していた。
「会社の指示だから。」
そんな発想すら浮かばなかった。
今の私なら、違う対応をすると思う。「この件は営業所の判断ではありません。本社から『費用がかかるので家庭ごみとして出すように』という指示を受けています。営業所では判断できませんので、本社へお問い合わせください。」そう伝えたうえで、本社の連絡先を案内するだろう。
当時は、それができなかった。
会社を守ることが、自分の役目だと思い込んでいたからだ。

当時、営業所では家庭ごみとして廃棄するようになっていた。
私は、住所が書かれた封筒や個人情報が記載された書類を、そのままごみ袋へ入れている担当者を見かけるたびに、
「そのまま捨てると、個人情報が見えてしまいます。せめてシュレッダーにかけるか、細かく破ってください。」
とお願いしていた。
しかし、返ってきたのは、
「何でだめなの? 別にいいじゃない。」
という言葉だった。
私には、その感覚が理解できなかった。

そして数日後、営業所にシルバー人材センターの職員がやって来た。
手には、ごみの中から回収された封筒や書類が握られていた。
「事業所ごみとして処分しろとこの前言っただろう!おたく違法行為ですよ!」
玄関先で大声で責め立てられた。
営業所の前は人通りの多い商業地だった。
足を止めて何事かと見ている人もいる。
そのとき事務所にいたのはまたまた私一人だった。
個人情報をそのまま捨てたのは私ではない。
事業所ごみを家庭ごみとして出すと決めたのも私ではない。
それでも、その場で頭を下げるのは事務員である私だった。

私の中で、何かが切れる音がした。
勤務先は介護業界では大手だった。
当時、インターネットには、その会社で働く人たちが匿名で情報交換をする掲示板があった。
私は迷わず書き込んだ。
「私の営業所では、事業所ごみを家庭ごみとして出すよう指示されています。皆さんのところはどうしていますか?」
すると、すぐに返信があった。
「うちはきちんと事業所ごみとして出しています。」
「それはおかしい。」
「役所に相談したほうがいい。」
その書き込みを見て、私は思った。
「やっぱりそうだよね。」
「私がおかしいと思っていた感覚は、間違っていなかったんだ。」
それまで会社の中にいると、それが当たり前なのだと思い込んでいた。
しかし、同じ会社で働く人たちの声を読んで、「おかしい」と感じていたのは私一人ではないことを知った。

しばらくして、営業所でも事業所ごみとして処分することが認められた。
本社からは、「自治体のルールに従って処分するように」との連絡があった。
そのとき初めて知った。
家庭ごみとして廃棄するようにという指示は、本社の方針ではなく、当時の管轄エリアの役職者の独自の判断だったらしい。
なお、当時は「あの掲示板は本社の関係者も見ているらしい」という噂もあった。
真偽は分からない。
ただ、私が掲示板へ書き込んでから間もなく、本社から自治体のルールに従うよう指示が出たことは、今でも印象に残っている。

「会社が言っていることは正しい」
最初の私は、そう考えていた。
そのうちそれは、
「会社が言うことは、たとえ違和感があってもやらなければいけない」
そう考えるようになっていった背景には、現実的な理由もあった。
私の生活もかかっている。
リストラされるのは、もうごめんだ。
一度職を失った経験があったからこそ、「ここで働き続けること」を最優先にするようになっていった。
しかし、違和感にも限度がある。
積み重なっていく業務の負担。
説明のない指示。
現場で矢面に立たされる役割。

あのときの出来事は、今でも忘れられない。営業所にやって来たシルバー人材センターの男性二人は、ごみの中から回収した封筒や書類を手にしていた。そして玄関先で、強い口調で言葉をぶつけてきた。
「違法行為だ」
「分かっているのか」
周囲に人が行き交う中、繰り返し強い言葉で責められた。
それは、私にとって“注意”というより“罵倒”だった。
しばらくの間、シルバー人材センターの前を通ることさえ怖かった。
今振り返れば、あのときの私はただ一人で矢面に立たされていた。
個人情報を捨てたのも、家庭ごみとして出すように決めたのも私ではない。それでも、その場で説明し、頭を下げ続けていたのは事務員である私だった。
──あのとき感じた恐怖は、今もはっきり残っている。


※この手の話、まだまだエピソードがあります。続きはまた、気が向いたときに。


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