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UNISON SQUARE GARDEN 「Sentimental Period」のあと

これを書こうと思ったのは、私のありのままの感情が、私とユニゾンとの13年間が、その他大勢の正しいっぽいものに流されてしまいそうで、いとも簡単に綺麗に改ざんされてしまいそうで怖かったから。
7月18日あたりに書き終えていたが少し日を空けて投稿したのは、私もまた同様に誰かの感情を犯してしまう恐れがあり、せめて少しほとぼりが冷めてからにしようと思ったから。(大したインプレッションは無いが、インターネットの海には放たれるため、文字に責任は生じる。)


〈呆気ないなぁ。最後がこれかぁ。〉
〈バンドの人生を自分の人生にしてはいけないんだな、私は間違っていたんだな。〉


公演が終わって客電が付き、まっさらな心に滲んだ感想は、これだった。
つらつらと書く前に、前提として下記を補足させていただきたい。

  • 3人のパフォーマンスに対しては何一つ濁った思いは無い。あれ以上のものは無い。素晴らしかった。大好きだと思った。

  • 幕張メッセ国際展示場の悪口を書きたい訳ではない。様々なミュージシャンがここで公演を行なってきたし、フェスやその他イベントでも使われる歴史のある会場ということも分かっている。ここに対して思い入れが深い人の方が多いと思うし、その方々の気分を踏みにじりたくない。

  • そもそもが貴重なチケットであり、会場に行けただけで本当に有難い事だったと思っています。

また、本記事でも御三方のことはリスペクトを込めて、敬称略で書かせていただきます。



実在したのか?

これが現体制ラストライブなのに、私は3人の実物の姿を一度たりとも、ほんの一瞬たりとも、この目で見ることが叶わなかった。

ライブ会場の1~3ホールに入場して早々、ただっ広い平面と、頭上にぶら下がるモニターを見て、怒りにも近い違和感を感じてしまった。こんなのユニゾンのワンマンじゃない…。田淵にはお前誰だよと言われるかもしれないが(なお1曲目で伏線回収)、私はこれをユニゾンのワンマンと認めたくなかった。これがフェスと言われるならば分かる。でも、これはお祭りなんかではないよね。大切な公演だよね。
というのも、ユニゾンは本来、大き過ぎる会場でやるのを良しとせずにここまで来たからだ。田淵はロックバンドのライブの適正キャパシティについて散々過去のブログなどで述べていて、何なら公演当日もインスタで言っていた。最後の最後まで田淵が田淵してて笑ってしまったけれど。

この公演がいつ決まりいつから裏で準備を始めていたのか、現体制ラストライブという事でいつもとは違う応募数であったり、押さえられる会場や予算であったりを吟味しながら、素人には想像もできない数々の都合と多くの人の苦労工夫がきっとあって、無事にこの日を迎えられた事には心から感謝している。そもそもメンバーがセンシティブな精神状態だろうし、そんな中で最後にライブの場を設けてもらったこと自体が貴重な事だと思っている。
ただ、もしこれが東京ガーデンシアターだったら(キャパが違うのは分かっています)、もしKアリーナだったら(去年やったばかりだし文脈的になんか違うのは分かっています)、この会場でもいいけれどせめて傾斜が少しでもあったならば、最前ブロックが私のチケットに割り当てられていたならば。たらればわたがしが止まらない。

ライブ初盤は、背伸びして飛び跳ねて頑張って何とかほんの少しでもいいから実物の3人を肉眼に焼き付けようと試みた。しかし、3人がどのあたりにいるのかすら見当もつかないほど、ステージまでの距離は絶望的に遠かった。だから、途中からは半ば諦め、不本意ながら視覚情報はモニターを頼ることにした。

思い入れが深いアーティストのライブでは、私はモニターをなるべく見たくない。もちろん、極力ミスが許されない環境でリアルタイムで演者を撮影し、極力ミスが許されない環境でここぞというシーンをモニターにスイッチングする、その技術力とプレッシャーは計り知れないし映像担当の方々には感謝している。文句を言いたい訳ではない。

それでもモニターに嫌悪感がある理由は、「ライブにおける自由がひとつ奪われる」から。当然、モニターに映し出される映像というのは、その時ベストと判断された場面が切り取られる。スイッチャーはここを抜くかもしれないけれど、このパートでは私はそこを見たくないんだよ、ここは田淵の動きを見たい、ここはたかおの手数を見たい、ここは斎藤宏介の指捌きを見たい、そもそも誰か1人ではなく3人を全体的に見たい、とかいう自分の意思が他の何かによってコントロールされることで、自由がひとつ奪われるとどうしても感じてしまう。だから、モニターを使った公演の場合は、どれだけステージとの距離が遠くてもメインは肉眼でステージを見つつ、ピンポイントで見たい演者の手元や表情や目くばせのみをモニターで補いたい。あくまでも ‟補う” ためのモニター。それが今回は、モニターをメインで見ないと視覚情報がゼロになってしまう状態だった。

もちろん音楽ライブなのだから音を聴け音を、という意見は重々承知だが、音を聴いた上で私は、視覚としても音を捉えたい。音だけを聴くのと、演奏姿を見ながら聴くのでは、ライブ体験として全く異なるものになるし、ユニゾンのライブはそもそも一体感いえ〜〜いではないから、自分自身の昂りだけあれば満足という訳にもいかず、3人の演奏姿を注視していたい。スリーピースとは思えないあの音の情報量を聴覚だけで把握するのはやっぱり難しい。

私ひとりのために開催されたライブじゃない。わがままなのは分かっている。分かっているけど… ユニゾンのライブ環境でこんな思いになったことは今まで一度もなかったから余計に、かなり複雑な心境だった。

心身ともに2026年7月15日にピークが来るように、まるで受験生のようにコントロールをして自分の出来る限りの最善を尽くしたことには一切の後悔が無いし、仮にあのブロック内で早めに入場できたとしても視界は変わらなかった気もする。終演後、規制退場に従って捌けていく観客を横目にステージを見渡したが、これはもう前方ブロックに行く以外、あるいは身長があと少し高かったらとDNAに願う以外、もう見えないなと感じた。そして仮に少しだけ見えたとしても次は「もっと長い時間見たかった」と欲望の次元が醜くも上がっていくだけで、結局この会場から出られない限りはキリがない気がした。

13年間ずっと追いかけてきた3人は、本当にあの日そこに実在したのか、私は自分の目で確かめられないまま終わってしまった。これが呆気ないなぁと感じた理由。魔法が解かれる瞬間とは、こんなにも無惨なのね。3人は実は人間ではなくて、本当に魔法使いだったのかもしれないとすら思った。それならば綺麗な結びか、と無理やり解をつける。


魔法を解くための2時間

田淵のセットリスト美学については不勉強のため、私は今までセトリ予想というものをしてこなかった。田淵が拘りとロマンを持って大事にしている部分だし、そこで分かったような口を叩きたくなかったから。でも今回ばかりは、現体制にピリオドを打つという、意味を持ち過ぎているライブだから果たして何をやるのか興味深く、事前にユニゾンの曲を何度も聴いて、予想というよりは願いを込めてみたりもした。君をストップモーション枠としてエアリアルエイリアンかフィクションフリーククライシス聴きたいな、ハッピー枠としてmix juiceかlike coffee聴きたいな、バンドと物好きの関係値枠として僕らのその先か君が大人になってしまう前に聴きたいな、ところでアザレアをどこで差し込むんだろうな、とか。

しかし1曲目から『フレーズボトル・バイバイ』。容赦ないBPMで「どうせ暇つぶしだから 行き着いたとこで落としどころにしよう / やっぱり僕らの音楽は不純らしい / 忘れられない今日になった」と歌われて、2曲目『アナザーワールド』が来た瞬間、理解し、覚悟した。これは、いつものユニゾンのライブなんかじゃない。魔法を解くための作業なんだ。魔法を解くために用意されたセットリストなんだ。

もちろん、3人のパフォーマンスの格好良さ、美しさはいつもと変わりはなかったが、私はあの日のユニゾンを「いつものユニゾンだ!」とは思えなかった。先に述べた通り視覚情報が少ないため認識のゆがみが恐らくあり、ほぼ聴覚から生まれた感想だが、明らかにいつもより気迫が強く、重く、殺気立っていて少し怖いまであった。

本公演前に、うるわし(現体制ラストのツアー)の円盤も観ておいた。そこでは、たかおがまるで何かに取り憑かれているかのように生気が無く、それでもパフォーマンスは遜色なく美しいのが余計にしんどくて苦しかったのだが、この日は穏やかな表情で、笑顔もあったことに安堵した。一方で、斎藤さんが逆に何かに取り憑かれていて、命を削りながら歌ってギターを弾いている感じがして、いつも以上に切れ味抜群で少し怖かった。田淵に関しては、前半は何となく表情や動きがいつもと違う感じがして(モニターもすべてがすべてを見れた訳ではなく推測が入っています…)後半でやっとロックバンド楽しいですねの田淵が見れた気がした。もう彼の中では、20th武道館でほぼ全てが終わってしまっていて、何とか振り絞って今日までやってくれていたのかもしれないと私は感じた。

それでも3人の均衡をギリギリに保ちつつ、最後の最後までUNISON SQUARE GARDENを全うして、その音を私たちに届けてくれたことには心からの感謝と敬意を示したい。あなたたちのおかげで、私はここまで腐らずに生きてこれたんだよ。


いつもとは違う環境でも、いつもと変わらなかったもの

ライブ環境はいつもと違ったが、そんな中でいつもと明らかに変わらなかったのは、ユニゾンを好きな観客たちだった。ユニゾンの自由は、その哲学は、いくら外側の環境が変わったとしても、「君」たちの中では確かに生きていた。

ステージも見えないし、ステージ左右と背面のモニターも上部しか見えない。また、これは完全に自分の位置取りの問題なのだが、会場中方に天井からぶら下がっているモニターが情報量として一番助けになったものの、首を結構大きく右側に振らないと見えず、そうすると隣の友人(13年間一緒に追いかけてきた大切な友人)も集中しづらいよなとか、後ろの人も私の嗚咽まみれの横顔が目に入ると気が散るよなとかいろいろ考えて、ずっとこのモニターだけを注視することも出来なかった。自由とは好き勝手にやっていいことじゃないからね。最低限のマナーと思いやりは必要だ。だから、ライブ中は見えないステージを想像しつつ、時折、周囲のお客さんを見渡した。

そこには、いつもと変わらない景色があった。

主旋律とは無関係のドラムやギターのキメに合わせて拳を細かく突き上げる人、手を挙げずに頭を振って踊り狂う人、じっと動かず集中している人、涙をタオルで拭いながらも楽しんでいる人、音源にクラップやコーラスがあるからといって客側が義務的にやるのではなく、やりたいやつがやって、聴きたいやつが聴いていたこと。(やつ、と表記したのはユニゾンが2020年にタワレコのNO MUSIC, NO LIFE. ポスターに選出された時の言葉を引用したかったからです。悪しからず。)

もちろん、最後は肉眼で彼らを見たかった。でも、私にとっては3人のステージと同じくらい、この客席も大好きな景色だ。環境的には自由が叶わずとも、一人一人の ‟心の自由” はそこにあったと思いたいし、物好きたちが思い思いに "私とユニゾン" を楽しんでいる空間に居られることが出来た。
チケットが当たっただけ有難いのに散々見えない見えないと文句を垂れて本当に良くないファンだと思う。だったら配信買っとけよと。でも、配信では、周囲の観客たちの挙動や熱量を五感で確かめられない。だから、この場に来れたことを幸せに思う。サンキュー、物好き。結局、最後の最後には、人に救われた。


3人のユニゾンがいない世界線で

今回の発表があった4月27日から現体制ラストライブまでにユニゾンと徹底的に向き合って現実を受け入れる準備をしてきたはずなのに、ライブで彼らの鳴らす音を体感すると、何でこんなにも格好良い3人なのに3人で無くなっちゃうんだろう…とやっぱり事実を受け入れ難かった。しかし、シュガーソングとビターステップあたりでやっとイライラも後悔も丸ごとミックスジュース(別曲)され、今までの活動に対してありがとうと思えた。ちなみにシュガーはラストから2曲目である。もっと早くから思えよ… 往生際が悪過ぎる。

バンドが決定したことに対して外野がとやかく言うのは不躾という自覚はあるが、この公演を観るまでは、‟3人で” 活動休止あるいは解散してくれないか…と、どうしても思ってしまっていた。いっそひと思いに殺ってもらえた方がこちらも楽なのですが。あの3人じゃないとUNISON SQUARE GARDENではないのですが。と。しかしこの公演を観て、こんなに格好良いのにバンドがなくなるのは確かにもったいないな、と3人が選んだ答を少しだけ前向きに捉えられるようになった。それに、あの鈴木貴雄の覚悟が詰まったドラムソロを観た後に、「あの3人じゃないと」「戻ってきて」と簡単に言うのは侮辱に値するとまで思った。(※個々人で心の中で思うのは自由です。)
これらは、ライブ直後に思ったというよりは、書きながら改めて心の整理が出来た感じ。

冒頭にも述べた通り、バンドの人生を自分の人生にしてはいけない。バンドの人生が自分の人生と生きる意味を担保してくれる訳ではない。
それでも私は、彼らの魔法にかけられて、その哲学を細胞に取り込んで、ここまで生きてきた事を一切後悔していない。ユニゾンに出会えて良かったと心から思う。

だからこれからも、何かに熱狂することを決してやめない。思いが強い分、失ったときの悲しみは比例どころか増幅して強くなる事を今回嫌と言うほど体感している。それに対する恐怖はあるが、先の事を考えて今の一瞬の連続を取りこぼすのはやっぱりもったいない。だってこんなにも静かに狂っていく世界で自分だけが狂わずに生きていくなんて、相当徳を積んで精神レベルを上げない限り、あるいは何も考えずに能天気に過ごさない限りは無理だから。それなら何も考えなければいいじゃんと言われても、それができないから今の私があるんだよ。私は考えることを一生やめないし、彼らの細胞を、哲学を、死ぬまで頑なにずっと持ち続けたい。しかし私の中で勝手に変なかたちに書き換えられないように、時折ユニゾンの音源やライブ映像を視聴してそれを守っていく。また、今回のライブで人の大切さを改めて感じたから、老害と呼ばれないように、周囲とのコミュニケーションも大切にする。そうやってこれからも、生きていくと決めた。


どれだけ悲しくても、3人のユニゾンは、2026715 8027でピリオドを打った。この事実はもう変わらない。

3人のユニゾンがいない世界線をどうやって楽しく生きていくか、 今はまだ明確には分からないけれど、私はそれを考え続ける。それが生きてく理由ってことなんでしょう?



追記(7/23)

7/20以降、たかおの今後についての発表を受けて、腑に落ちたというか彼らの選んだ答が納得できてしまった。最後のライブなのに見えない見えないなどと愚痴めいたことを言ってしまいごめんなさい。427の三者三様コメントもやっと理解できる…。とは言えど(トライアド)寂しい気持ちには変わりは無いし、やっぱり鈴木貴雄のいないユニゾンを脳がすぐに受け入れられないし…でもユニゾンを解散とせず残すことにした選択を受け入れたいし…でも……複雑だ。

結局のところ、感想を文字に残しても、3人の進む道に思いを馳せても、前向きに生きる気力が湧かない。上記本編の結びではイキってますがあのイキりは今は無い。

しかしそれでも、これだけは変わらずに願う。
御三方がどうか末永く健康で、納得いく人生を送れますように。これだけは。

斎藤宏介、田淵智也、鈴木貴雄っちゅうのはすげぇ3人だな!

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