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牌は嘘をつかないけれど、人は嘘をつく。

題名に続きとは書いていませんが、「誤解の中で生きた数年間。それでも私は私でいる」の続きです。
「まだ続きあったの?!」って思われるかもしれませんが、
ここから先も、私にとってはちゃんと“大事な続きの話"です。

人によっては受け取り方は様々です。
それこそ私に何も責任はなかったのか?と言われれば、完璧にゼロではなかったでしょう。

ですが、限度はあると思っています。

こんなことがありましたが、私はこれらのことで"他の人も全く信用出来なくなった"
なんて言うつもりはありません。

多分そこら辺が底抜けのおバカなところなのか?ニコニコとさり気なく色んな人に近付くのは相変わらず大好きです。

雰囲気の良い人を見つけて色んな人を見て勝手に好きになってます。

私は某雀荘の酒の勢いで夜、たまたま遇卓してくれて遊んでくれた夫婦が今でもダントツに大好きです。見てるとなんだかんだ幸せを貰うからです。

これからも信頼できる人ならば、色んな人と仲良くして、色んなご縁も、牌もツモっていきたいと思ってます(*^^*)


人間関係の“揺れ”と、そこからの気付き

誰だって人間関係に揺れはある。
私の場合は、その揺れがちょっと人より“濃かった”のかもしれない…。

ここ数年、いろんな人との出来事や気持ちの揺れを経験してきました。

重ね重ね言ってますが、これは私の物語であり、特定の誰かを否定したい意図ではありません。

ただ自分が感じたことや気づいたことをそっと置いておきたいと思って書いています。

読みながら「そういうこともあるよね」と思ってくれる人がいたら嬉しいですし、
そうでなくても、これはあくまで私の物語です。

こんな経験をしたのは、決して私だけではないはず。

どこかの誰かの“あの日の気持ち”に触れられたら、それだけで十分だと思っています。



1. 変わらないものを見てしまう自分の感覚

私はこれまで、少し特徴的な出来事をいくつも経験してきました。
隠そうとしても隠しきれないくらい、状況に“色”が濃かったので
読めば誰が関わっていたかなんとなく想像されるかもしれません。

でも、それで距離を取る人がいたとしても、
それはその人の正常な判断だと思っています。

人にはそれぞれの感性があるので、
私の経験が合わない人は自然と離れていく。
そういうものだと今は理解しています。

そして私は、
「人間の本質はそうそう変わらない」
という考えを持っています。

良い意味でも悪い意味でも。
だからこそ、過去に平然とできたことを、
“今は何も言ってないはず”と考えるほうがむしろ不自然だと思っています。






2. その場では気づかない。後から繋がる“違和感”というサイン

私は昔から、
相手の表情の変化や、ほんの一瞬の“陰”を無意識に覚えてしまうタイプです。

その時は何も思わない。
ただ
「なんでこんな顔をするんだろう?」
と、感情を置いたまま、遠くから見るだけ。

でも後になって、言葉と出来事が繋がった瞬間、
“あの顔はこういう意味だったのか” と気づく。

その積み重ねで、私は人の“裏の温度”を読めるようになったのだと思います。

もちろん私の感じ方が100%正しいとは思っていません。
ただ、そう思わざるを得ない出来事が続いたのも事実です。





■ “話しやすさ”の裏にある計算

ある人は、私に妙に心を許したような態度を見せていました。
でもそこには、
「この人なら怒らない」「黙ってくれる」「脅威にならない」
そんな計算も見えました。

人は、自分より弱く見える相手には平気で本音を落とします。
“秘密の共有”を使って距離をコントロールすることすらある。

私はその人の表情の陰を見た瞬間、
「ああ、これは味方の顔ではない」
と静かに理解しました。

そして後になって思います。

私を仲間に入らないように裏で動いていたのでは?と。




■ 「最近うしゃぎといて大丈夫?」

“特定の人の話題をしている場”に行ったら、
「最近うしゃぎといて大丈夫?」
と声をかけられたと聞きました。

そしてそこには——元彼もいたそうです。

終わった関係のはずなのに、
未だに私の話が出る場にわざわざ顔を出している。

その話を聞いた瞬間、
背中にスッと冷たいものが走りました。

過去を手放せないというより、
私に関わる話題やそういうところに行くような人になってしまったのか…
そう思えてしまって、ただただ呆れました。

そんな集まりなら私は一生お呼ばれされないで大丈夫です。




■ 人は“安全な相手”にほど本音を見せる

人間は、自分が優位だと思った相手には平気で残酷になれます。

そして
「この人なら大丈夫」
と判断した相手ほど、本性を隠しません。

当時の出来事は、それをよく理解させてくれました。

私自身、あの頃は何に必死だったのか分からないほど、
とにかく“何か”を守ろうとしていた気がします。

それが意味のある必死さだったのか、
そうではないのか。
それは読んだ人それぞれでいい。

ただ、私にはあの時、
“そう見えざるを得なかった” のです。



■ そして今の私は

私が書いていることは、当時の“弱い私の視点”であり、
今の私の立場とはまた少し違うのかもしれない。

人は立つ場所によって、弱者にも強者にもなる。

私が語っているのは正義ではなく、事実と感覚。

あの時感じた“痛み”と“違和感”は、誰にも否定できない。

それだけです。



3. 距離を置くという選択の理由

私は、誰かに執着する性格ではありません。
だから、誰かが離れていったとしても
「また縁が戻る時があれば戻るし、離れる時は離れる」
と自然に捉えてきました。

ただ、“嫌がらせする側”の人たちは
私の居場所を奪おうとする可能性があると感じていました。
もしそうなったら、自分から距離を取ろうと決めていました。

丁度その頃、仕事が忙しくなり
一ヶ月に60時間以上残業したほどで、
自然と色んなものから離れる時期がやってきました。

元から仲の良かった友達と会う余裕すらなく、「付き合いが悪い」と言われて距離を置かれたこともありました。

でも正直なところ、
失って困るものはもう何も無い
と思っていたので、あまり気にしていませんでした。



4. 仕事は私の“唯一の安定した居場所”だったのに

仕事は本当に大好きで、
どんなに人間関係に疲れても、
仕事だけは嫌な感情なく続けられる場所でした。

でも人生は簡単じゃなくて、
“色恋沙汰をこじらせた上司”の件で
辞めざるを得ない状況が訪れました。

この経験は、本当にしんどかった。
でも同時に、とても大きな学びにもなりました。



5. 麻雀の世界に戻ったときに感じたもの

仕事を辞めてからの空白の時間に、
なぜか久しぶりに麻雀の世界に顔を出す機会が増えました。

しばらく牌なんて触ってもいなかったのに、
懐かしさと少しだけの“楽しさ”を感じて、
またゲストされてるプロのところに遊びに行くようになりました。

そのとき、半年以上ぶりに会う人がいて
「どうせスルーされるだろうな」と思っていたら、
想像以上に暖かい言葉が返ってきました。

それでも私は色々と言わずにいたことや、
知らんぷりしてきた気持ちが積もりすぎて……正直凄く迷っていました。



■ 自分が思ってる自分の価値

私は、傍にいて得をするタイプではないと思います。

周りを見ていても、印象操作をされたり、群れの外側に置かれたりして、
気づいたら“標的側”に回っていることが多かったです。

だからといって、誰かと争いたいわけでもないし、
裏で根回しをして“味方”を増やそうとも思えませんでした。

そういう意味では、“居場所作り”はあまり上手じゃないのかもしれません。

周りがどれだけ「トラブルメーカーだ」と言ってきたとしても、
私は、自分が見て感じたことをなかったことにはしたくないタイプです。

ある意味では、かなり頑固なんだと思います。
だからこんな文章も平気で書きます。

でも、いろんな意味で物理的にも気持ち的にも衝撃で、それ以上に心が動いた瞬間でした。

事前に自分の中で描いていた“仮説”を言っていたので、半年近く?距離を置いたことは許されると勝手に思っていました。

私は、周りが思ってるほど、ケンカしたいわけでも、誰かを言い負かしたいわけでもありません。

嫌な感情だらけの空気の中で生きてきた私には、相変わらずの見た目と中身のギャップで、この人もまたとても強いなぁ〜としか思えませんでした。

人の態度は変わっても、自分の感覚だけは誤魔化せないんだなと痛感しました。

普通に胸の奥がギュッとするような気分になりました。
帰り道、思い出して勝手にウルッとしてたのは内緒です。




6. 何度でも、置いてきたものに向き合うようにできている

人生って、中途半端に置き去りにしたものほど
また目の前に現れて向き合うことになる。

今回もまさにそうでした。

迷いはあったけど、
これも“選択”なんだろうと今は思っています。

こんなことを洗いざらい話している時点で、
「秘密事ができない人」だと思われたり、
バカ正直さを怖がられる可能性もあると思います。

それでも私は、自分の身を守ろうとするより、ありのままの出来事を淡々と話しておきたいと思いました。

ドン引かれるなら最初から引かれた方が後々困ることが少ないと思うのです。

仲良くできる人も減るかもしれませんが仕方ないです。

それも含めて私なんだと思う。
それでも誰に言われたとかで選択はしません。



7. これからも私は“自分の選択”を信じる

私以外の人のほうがよっぽど開き直ってる。
そう思うこともあるけれど、
私もやっと自分に素直になれた気がします。

これからも、
色んな嫌なことに遭遇しながらも
麻雀をツモるように続けるんだろうと思います。

深い縁があるとまでは思ってないし、
家族は麻雀反対派しかいないけど、
結局私は頑固で、
やりたいことは曲げられない。

神様に「才能ないよ」って言われようと、
選んだものを続けるのが私の生き方
なんだと思います。



✦ 結び

あの日の私には見えなかったけれど、
私はもう、自分の選択を恐れていません。
牌を捨てる時、潔くきった方がいいですよね?それと同じような気がしました。

私は色んなものを見すぎたし、疲れた時期も正直ありました。

でも、その全てを経験した上で、
今の私は牌をツモるように、色々な取捨選択をして“選んで生きている”。

嫌なことも、良かったことも、
全部含めて今ここにいる自分の選択を信じたい。

他人からの数々の嫌な言葉より、
自分を好きでい続けられる選択をして、
無理のない、ちょっと力の抜けた心のまま─

好きな麻雀を、これからも
ぼんやり自分のペースで、
ときどき周りにせっつかれながら?続けていきたいって思えました。

今日も私は、自分で選んだ席へそっと座ってる。

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