「読まれる文章」がわからない《土曜日のしらんけど》
誰が言ったか知らないが、言われてみれば確かにそうかも。そんな言葉の迷子たちから届いた質問に、勝手に答えて、優しさ半分、無責任半分で放り投げる。真に受けるかは、あなたのコンディション次第。
「土曜日のしらんけど」
今週の相談はこちら。
ペンネーム・自己商人のヨッキューさん
「ヤスさん、放課後ライティング倶楽部のみなさん、こんばんは。
読まれる人と読まれない人、違いってなんなんでしょうか。ハッキリ言って自分の文章が劣るとは思えないのです。むしろ『あの人より私のがうまくね?』とすら思うのです」
質問ありがとうございます。
みなさま、回答記事をお願いします。
一応締め切りは2026年7月31日(金)まで。
◆
「どうしたら読まれる文章が書けますか」
文章を書いていると一度は考えることだと思う。私も考える。いや一度どころではない。四六時中考えている。
記事を投稿して思ったほど読まれなかった日には、「タイトルだったのかな」「冒頭かな」「テーマかな」と、一人反省会がいつも始まる。
反対に自分では軽い気持ちで書いた記事がたくさん読まれると、今度は「なんで?」ってなる。
書いた本人がいちばん理由をわかっていない。
だから「読まれる文章には法則がある」と言われると、つい知りたくなる。ある意味で病気なんです。
で、あるなら教えてほしい。私だってめちゃくちゃ知りたい。
そんなことを考えていたら谷崎潤一郎の『文章読本』を思い出した。
かの有名な文章読本である。
タイトルからして「文章とはこう書くものです」という本だと思うじゃないか。
ところがその中で谷崎潤一郎は、良い文章とは何かについて、「実は私もよくわからない」という趣旨のことを書いている。
……わからんのかい。
ドリルせんのかーい。
思わず本に向かって突っ込んだ。
先生。あなたがわからないなら、いったい誰がわかるんですか。
文章読本を書いている人まで、「よくわからない」と言うのである。
こちらは何を頼りに歩けばいいのだろう。でも、その一文はやけに正直だと思った。
文章というものは、料理みたいにレシピを書けば再現できる世界ではない。同じ材料をそろえても、まったく同じ味にはならない。
「タイトルに問いや数字を入れること」「この書き出しなら読まれる」「この文字数がいい」「改行は3行ごと」
そんな話はいくらでもある。
役に立つこともある。でもそれだけで読まれるなら、みんな同じ文章になってしまう。
結局、「よくわからない」というところへ戻ってくる。
最近、その「よくわからない」に一つだけ補助線を引いてくれる言葉を見つけた。
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