実写映画版「ルックバック」の細かいところですが
是枝裕和が監督・脚本・編集を手がけた「ルックバック」を見た。漫画家・藤本タツキが2021年に発表した漫画が原作で、2024年には押山清高が監督・脚本を担当したアニメ映画もある。
私は、原作の漫画もアニメも見たことない状態で是枝作品を鑑賞した。その後で漫画を読みアニメも見た。
残念ながら、ベネチア国際映画祭のコンペでは金獅子賞など受賞にはならなかったが、学生などの審査員が選ぶ独立賞のユニメッド賞などを受賞した。文化の多様性の観点から優れた作品に贈られる賞だ。
「ルックバック」の原作やアニメを知らないで映画を見る人は少数派かもしれない。私はひとつの映画として予備知識なしで鑑賞した。
映画館で見るか迷っている人に伝えたい。「見る価値は十分にあります」
「ロケ地の秋田の四季折々の美しい映像を見るだけでも豊かな気分になります」
それに、映画の中の時間の移ろいがスムーズで、主人公たちが小学生から大人へと成長していく過程で起こる変化とエピソードを、四季の変化や都会の風景を織り交ぜ、是枝映画ならでは“仕掛け“を入れながら展開されていく。
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この映画については、専門家から素人まで実に多くの批評や論評、感想、口コミが出回っているので、私は映画の本質的なことには触れずに、あえて些末なことだけをとりあげます。
教室で学年新聞をクラスに配るのシーン
小学校の教室で、先生がクラスに学年新聞を配るシークエンスのところ。主人公の藤野が描いた4コマ漫画が載っている。先生役の宮藤官九郎が、前の席から後ろへと新聞を配っている。
縦に6人の子どもが並んでいる列に、先生が間違って5枚しか配られないことがよくある。そうすると最後尾の子どもが先生のところに「先生、1枚足りません」と言いにきて先生が1枚渡すということが、教室ではきわめて日常茶飯事だ。
映画でもほんの一瞬だが、「先生、1枚足りません」が出てくる。ストーリー展開にはまったく関係ないワンシーンだ。
撮影本番でほんとうに1枚足りなくて偶然撮影したとは考えられない。学校の日常のことが分かっていないとシナリオに織り交ぜられない小さなエピソードだ。
調べてみたら、原作の漫画にもアニメにも「先生、1枚足りません」は出てこない。
国語の授業で寝ている生徒が指名されたら
中学の国語の授業で、生徒が指名されて教科書の古文を声に出して読んでいるシーン。
先生が「では次は藤野さん、読んでください」と主人公を指名する。藤野は夜遅くまで漫画をかき続けていたのだろう、机に顔を伏せていわゆる“爆睡”している。
すると先生は藤野を起こしたりせず、「じゃあピンチヒッターで、◯◯さんお願いします」と別の生徒を指名する。
これも“授業中あるある”なのだ。それも「ピンチヒッターで」というセリフは私も愛用してよく使っていた。
この授業中の爆睡シーンは漫画にもアニメにも登場しない。
私の経験では、寝ていた生徒が指名されたら急にシャキッとして、答えたりすることはまずない。たいていは不機嫌な顔をするか、またすぐ寝たりする。これもあるあるの授業風景だ。
「卒業生が描いた漫画だ」と同僚先生に教えるクドカン
小学校の職員室で、ある先生が漫画「週刊ジャンプ」を読んでいる。それを近くで覗いた宮藤官九郎先生が、
「その漫画はね、この学校の卒業生が描いたんですよ」
と自慢げに言う。さらに
「そうだね、5年くらい前の卒業生かな」
とクドカンが続ける。(セリフは正確ではありません)
このセリフによって数年の時間が経過して、主人公たちが漫画を連載するなど順調に仕事をしていることを暗示している。是枝監督のシナリオ作りが巧みさがうかがえる。
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学校に長く勤めていたので、映画やドラマではどうしても学校のシーンが気になってしまう。
主人公・藤野が筒に入った卒業証書を届けるシークエンス
主人公・藤野が、家に引きこもって漫画を書いている京本に、クドカン先生から卒業証書を持っていってほしいと頼まれるエピソードについて。
学校を長期欠席していて卒業証書を渡せない場合、学校現場で実際にはどうするのか。
まずは担任の先生が保護者に連絡し、本人あるいは保護者が学校に受け取りに来れるかを確認する。もし本人が来れるなら、ほかの生徒がいないような時間帯を見計らって来てもらって、校長室や保健室などで校長先生から本人に渡す、その場にはその子を知っている先生たちも同席してお祝いする、というような“ミニ卒業式“をする。
万一、保護者も本人も学校に来れないなら、担任の先生が家庭に届けるのが本筋だろう。クラスメートに行ってくれと頼むのは、今では考えられない。まあ、昭和の時代ならあり得た話かもしれないが。
結果的に藤野が京本の家に卒業証書を渡しに行くことで、2人の人生の糸が交わることになる。これはストーリー展開のうえでの最も重要な出来事だ。原作もアニメもほぼ同じ設定になっている。
些末なことだが、卒業式には卒業証書の他に、卒業アルバム、卒業記念品、通知表、保護者あての様々なプリント類など、じつにたくさんの“卒業式グッズ“が配られる。卒業式の前日にクラスの生徒たちに、たくさん入るカバンか袋を持ってくるようにと連絡するのが担任の仕事だ。
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映画「ジョーズ」を勧める父親
主人公・藤野は、両親と姉の4人家族だが、親や姉との家族関係はほとんど出てこない。せいぜい「お姉ちゃん、部屋に入るときは『ノックぐらいしてよ』って言ったでしょ」と、藤野が姉にぶっきら棒に言ったり、姉から空手教室に誘われたりする程度だ。
映画で藤野が母親や父親と言葉を交わす場面は少ない。だがその数少ない親とのやり取りもきわめて自然に感じられる。どこの家族にもありそうな一瞬の動画を切り取ったような場面がいくつか出てくる。それでいて、両親や姉から藤野への愛情がじんわりと感じられるのが、是枝マジックかもしれない。
お父さんが藤野に「VHSだけど、『ジョーズ』っていう映画見てみたら」というようなセリフを言う場面がある。これも“お父さんあるある”だと実感する。
藤野が「シャークキック」という漫画を描いていることをお父さんが知って、お父さんなりの親切心なのだろうが空回りしている。これはアニメにも原作にもない。監督が加えたのだろう。
1922年のドイツ映画「吸血鬼ノスフェラトゥ」の意味?
主人公の藤野と京本が街の映画館で、F•W•ムルナウ監督のサイレント映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922年)を見る場面が出てくる。これはおそらく藤野の漫画「セミ人間」と関係しているのかもしれない。人間の感情を吸い取ってしまうと言われるセミ人間。吸血鬼にしてもジョーズにしてもセミ人間にしても、突然、人前に現れて人間に襲いかかるという共通点がある。
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結局、映画の核心に近づいてしまいました。秋田の四季もいいけど、大岡川の桜、京急電車もいいよ。横浜の人、必見です。
