【映画】『リコリス・ピザ』ポール・トーマス・アンダーソン ニーナシモンの歌声に誘われて
『リコリス・ピザ』
2021年/アメリカ/133分/カラー/ヴィスタサイズ(1.85:1)
監督・脚本:ポール・トーマス・アンダーソン
出演:アラナ・ハイム、クーパー・ホフマン、ブラッドリー・クーパー、ショーン・ペン ほか
鑑賞:2026年
ニーナ・シモンの歌声が流れるなか、高校の廊下をアラナ・ケイン(アラナ・ハイム)が歩いていく。そのロングショットだけで、ポール・トーマス・アンダーソン(PTA)は観客を「記憶の中の1973年」へと誘う。70年代の陽光と、どこか憂いを帯びた音楽が重なり合い、本作の空気が静かに立ち上がる。
『リコリス・ピザ』は、PTAにとって最も私的な作品のひとつであり、青春映画であり恋愛映画でもある。
『ブギー・ナイツ』『マグノリア』でもサンフェルナンド・バレーは重要な舞台だった。しかし本作では、それは欲望や共同体を描く場所ではなく、監督自身の記憶が染み込んだ風景として映し出される。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』や『ザ・マスター』がアメリカという国家の深層を見つめ、『ファントム・スレッド』が愛と支配の緊張関係を描いたのに対し、本作はもっと穏やかな視線で、人が誰かを好きになるまでの「時間」を見つめ続ける。
『パンチドランク・ラブ』にも恋愛は描かれていたが、その神経症的な衝動とは異なり、『リコリス・ピザ』が描くのは、近づいたり離れたりを繰り返す、人と人との距離そのものである。
距離の記憶
ゲイリーとアラナは、恋人でも家族でもない。年齢も立場も異なる二人は、ともに過ごしながら、それぞれ別の世界へ向かっていく。
アラナは大人の世界に憧れ、政治や仕事へと踏み出そうとする。一方のゲイリーは、子どもの大胆さのまま次々と商売を始め、自分の居場所を切り開いていく。その距離は縮まるだけではない。何度も離れ、すれ違い、それでもまた偶然のように交差する。
PTAが撮っているのは恋愛の結末ではなく、「あの頃、あの人との距離はこんなふうだった」という記憶の感触なのだ。
ブラッドリー・クーパー演じるジョン・ピーターズの狂気、ショーン・ペン演じる往年のスター、ジャック・ホールデンの色香、ガソリン不足の街並み、70年代の音楽。そのどれもが物語を前へ進めるためというより、「1973年」という時間の手触りを呼び起こすために存在している。
タージ・マハルの「Tomorrow May Not Be Your Day」が流れる。未来は決して約束されていない。それでも二人は肩を並べて歩いていく。
『リコリス・ピザ』は、PTAが初めて「物語」よりも「記憶」を撮った映画なのではないだろうか。
出来事ではなく、時間の流れ。結末ではなく、人と人との距離。その曖昧で、輪郭の定まらないものを映画という形に封じ込めたからこそ、この作品は観終わったあとも、自分自身の青春の記憶と静かに重なり続けるのである。
