自分を労る日
ふと、今日は自分を労る日にしようと思った。
一種の瞑想状態になった時、一番に、そしてその思いが続いたのは、「本当によく生きてきたよな」ということ。
いつだって、どんな時だって、真剣に生きてきた。
時には力を抜いた方がいい場面もあったと思うが、力を抜くことはできなかった。
それがいいとか悪いとかは、わからないし、どちらでもいい。
ただ、それしかできなかった。
そして振り返ってみると、「ああ、よく生きてきたな」という一言に尽きる。
まだやりたいこともあるし、珍しく野心も持っている。
まだやりたいことがあるということがいいことなのかどうかもわからないが、今まで生きてきたことの上に成り立っていることは間違いない。
よく生きてきたから、今の自分があり、野心も持っているのかもしれない。
落ち込んだことも、再起不能だと思ったこともある。
ひどいことをしたこともあるし、嘘もついたし、あっという間に心変わりをしたこともある。
完璧な人間でもなんでもない。
それでも、今日くらいは自分を労ってもいいのではないか、と思ったのだ。
全肯定。
良い部分も足りない部分も全て受け入れ、肯定する。よく生きているよね、と思えたら、いや、たとえそう思えなくても、今生きていることは事実だから、よく生きてきたよね、と思えばいい。365日自分を肯定できるわけではない。それが、「今」を生きるということだ。だから、その時その時、その瞬間の自分の考えに振り回されても、委ねてもいい。それが人生なのだろう。
人生に意味なんて見出せなくても、その瞬間瞬間を楽しもうと思っていたら、楽しめないこともあるし、楽しめることもあるけど、一生なんてあっという間に終わってしまう。
それが人生なんだろう。
バケットリスト、という言葉がある。
「死ぬまでにやっておきたいこと」を書き出すことだ。
世界一周チケットで、世界一周ファーストクラスの旅に行きたい、というのが、以前の一番上にあったものだった。それを実現できた時は、本当に感動、という言葉くらいでは足りないくらいの日々だった。まるで夢のようで夢ではない。今私はここにいるんだ、という実感を伴っていた。心から行ってよかったと思う。
今の一番上にあるものが、私にとっての今生きている意味だ。いや、勝手に自分が生きている意味にしているだけだけど。人生に意味はなくてもいい。ただ、生きる、それだけでいい。
だからバケットリストなんて、あってもなくてもいい。基本的に私たちは、生まれてきた瞬間から全てなすがままで、何が起きてもその流れに委ねるしかないのだが、多くは望まず(望んでも時間が足りない)野心が湧いてきたら野心を叶えようと生きるのも、自分を大事にするということなのかもしれない。
自分を労る日、と書いたが、具体的に何をしたら労っているのかはわからない。
だが、自分に声をかけてあげたい。
よく生きてきたよね、と。
今日くらいは、そんな日であってもいいんじゃないか、と思っている
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