朝のルーテイン
今朝は、久しぶりに朝ウオーキングができた。
元気よく登ってきた朝陽に挨拶するかのようにじっと見つめていた。
ありがたい。
太陽がのぼるだけでありがたいと思えるのだから、私の幸せハードルはかなり低い。
雨が降っていたら、その朝陽さえ拝むことはできないのだから。
雨が降って、朝陽を見られない日々があるから、久しぶりの太陽に感謝するのであれば、雨の日の意味もあるというものだろう。
(もちろん、農作物には雨が必要だと知っているけど)
その後いつものように書類をシュレッダーにかけていたら、シュレッダーの調子が悪くなった。ここからルーテインが崩れ、今日の3つ捨てをSNSに報告していない。
先ほどようやくもう一つのルーテインであるジャーナンリングを書いた。
もうかれこれ3年以上は続いているこのルーテインは、最近書き忘れることもあり、「もう私には必要ないのではないか」と思っていた。
だが、書き始めると、今日私がやりたいこと、私が望んでいることを、まるで誰かに聞いてもらうかのようにスラスラと書き始めていた。
そうか。この願望を一つ一つ叶えていけば、私は幸せなんだ、と思った。
朝ウオーキングの時も、実は私にとっては瞑想タイムのようで、そのときにはただ木々や雀やカラスを見て、朝の空気を思い切り吸い込んでいるだけなのだけど、だからこそ普段考えないことが頭に浮かんでくる。
今朝は、昨日見た動画の人が言っていた、「我慢したり、誰かに合わせたり、やりたいことを先延ばしにする時代ではなくなった」という言葉が浮かんできた。
いい時代になったものだ、と私も思ったのを思い出した。
さらにジャーナリングの最後に書いたのは、
「誰かの基準も、ジャッジもいらない」
だった。
私が私の人生の基準を決め、自分の心と会話しながら生きていく。
それが私が私を幸せにできる方法だと思っている。
ジャーナリングで手書きで書くからこそ、本音が出てきやすいような気がしている。
やっぱりまだまだジャーナリングは私にとって必要らしい。
朝のルーテインは今のところ私にとってかなり意味があることは間違いない。
さて、今から今日の三つ捨てをやろう。
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