フリーレンと猫と時間のこと
人は、自分より長く生きる存在から何かを学ぶことがあります。親や恩師、お世話になった先輩…。
しかし時には、自分よりもはるかに短い人生を生きた存在からこそ、大切なことを気づかされることもあるでしょう。
アニメ『葬送のフリーレン』を見ていると、特に、人の死について、静かに考えさせられます。
(※これから書くことは、フリーレンファンの方々にとっては「何を今さら」と思われるような、すでに語り尽くされた話かもしれません。そう感じた方がいらっしゃいましたら、どうかご容赦ください。)
勇者ヒンメルの死をきっかけに、フリーレンはこう言います。
「私は、人のことをもっと知ろうと思う。」
この言葉の背景には、彼女の抱いた「衝撃的な気づき」があるのではないかと私は考えました。
それは、自分よりはるかに短い人生を生きたヒンメルの方が、むしろ自分よりも深い心情を持っていたのではないか、という気づきです。
エルフであるフリーレンは、人間よりもはるかに長い時間を生きます。
だからこそ、ヒンメルたちと過ごした十年の旅も、彼女にとっては長い人生の中のほんの一部分にしか過ぎませんでした。
しかしヒンメルにとっては、その十年は人生の中心とも言える時間だったはず。
おそらくフリーレンは、ヒンメルの死をきっかけに、初めて思い知らされたのではないでしょうか。
自分よりもはるかに短い時間しか生きない人間が、なぜこれほどまでに豊かな感情を持ち、他者を深く思うことができるのか…と。
長く生きているという事実は、必ずしも人の心を深くするとは限りません。
むしろ、限られた時間の中で生きるからこそ、人は一つ一つの出来事や出会いを強く心に刻むのかもしれません。
そのことに気づいたとき、フリーレンはある種の愕然とした感覚を覚えたのではないでしょうか。
長命である自分の方がむしろ、この世の中のことについてよくわかっていないのでは?…という感覚。
このように思いを巡らせてみると、人間と猫の関係について考えている自分に気づきました。
猫のことを深く愛し、その存在を自分の人生の大切な一部として感じるという人は少なくないと思います。
しかし猫が、人間の人生におけるその重みをどこまで理解しているのかについてはよく分かりません。
感情の理解という点では、猫はフリーレンに似ている気がします。
猫は、自分の飼い主の愛の深さを、完全には理解していないかもしれません。
しかし、寿命という観点から見ると、むしろ人間の方が、フリーレンの立場に近いことになります。
猫の一生は、総じて、人間の人生よりも短いという事実があるからです。
こうして考えると、人間と猫の関係は、フリーレンとヒンメルの関係をどこか写しているようにも思えてきます。
私の家にも、かつて一匹の猫がいました。
「にゃん太郎」というオス猫で、生後二ヶ月の頃に我が家にやって来て、十九歳まで生きました。
彼は最後に、まるで眠るように、静かに、静かに、息を引き取りました。

昨年、『葬送のフリーレン』第1話で、永眠するヒンメルを目の当たりにしたとき、私はふと、眠るようなにゃん太郎さんの最期の姿を思い出していました。
彼が生きた十九年という時間は、ちょうど、私の子どもたちが幼い頃から成人するくらいまでの年月と重なっていました。
私と私の家族の大切な時間と共に彼もまたそこにいたのです。私たち家族にとっては、彼は正に、もう一人の「掛け替えのない家族」でした。
猫が人間の人生の意味をどこまで理解していたのかは分かりません。
しかし少なくとも、私たち家族にとっての大切な時間を、彼は私たちと共に過ごしてくれたのです。
フリーレンが過ごしたヒンメルとの十年は、私や私の家族がにゃん太郎さんと過ごした十九年と同じくらい「掛け替えのない旅」だったのかも…などと思いながら、きょうも『葬送のフリーレン』を観ています。

English version of this essay:
https://note.com/ultramankr/n/n28f200aa4c9e
