身体についてのひとりごと
「最近、身体の“声”がよく聞こえるようになったな」と思う。
20代、30代のころ、身体は多少無茶をしても文句を言わなかった。
徹夜明けの会議、深夜のラーメン、連日の飲み会。
翌日、少しだるいくらいで、どうにか帳尻を合わせてくれていた。
51歳になった今、そのツケが、少しずつ分割払いで回ってきている気がする。
膝のきしみ、目のかすみ、朝起きたときの腰の重さ。
どれも「激痛」ではないのに、毎日の生活のどこかに、じんわりと居座っている。
そして、ここ数年で新しく仲間入りしたのが「貨幣状湿疹」という、ちょっと厄介な同居人だ。
身体は、いちばん長く付き合う同居人
旭川での単身赴任生活も、気づけば2年目になった。
家族と離れ、仕事に向き合う時間が増えた代わりに、ひとりで自分の身体と向き合う時間も、自然と増えていった。
ふとした瞬間に思う。
「身体って、いちばん長く付き合う“同居人”みたいなものだな」と。
ずっと一緒にいたはずなのに、その存在を意識し始めたのは、ここ数年だ。
仕事、家族、将来のキャリア——そういう“分かりやすいテーマ”の後ろに、長いあいだ隠れていた「身体」というテーマが、ようやく表舞台に上がってきた感覚がある。
貨幣状湿疹という、気まぐれなルームメイト
その「同居人」が、ときどき機嫌を損ねる。
ある日ふと気づくと、すねや腕の一部が、硬貨を貼りつけたみたいに赤くなっている。
これが、僕の貨幣状湿疹だ。
かゆみは、いつも一気に襲ってくるわけではない。
仕事中は忘れていることも多いのに、
夜、風呂上がりにふと目に入る赤い斑点を見ると、「ああ、また始まったか」と小さくため息をつく。
最初は、塗り薬と飲み薬でなんとかしようとしていた。
でも、良くなったと思えばまた広がり、季節が変わるたびに、かゆみも気分もジェットコースターのように上下した。
その揺れのなかで、主治医と相談しながら、今は「自己注射」という治療に落ち着いている。
病院で打ってもらう注射からスタートし、やがて「自分で打つ」ことを選んだとき、
「ここまで来たんだな」と、少しだけ覚悟のようなものを感じた。
夜のルーティンは、未来の自分への手紙
単身赴任の夜、仕事を終えて部屋に戻る。
簡単なひとりご飯を済ませたあと、僕にはふたつの小さな儀式がある。
ひとつは、数週間に一度の自己注射の日。
冷蔵庫から薬を取り出し、決められた手順で準備をして、お腹や太ももにそっと針を刺す。
最初のうちは、その「ちくり」とした感覚に、どうしても身構えてしまった。
もうひとつは、例の「健康オタクドリンク」を作って飲むことだ。
シェイカーを出して、クレアチンをスプーン一杯。
そこにトマトジュースを注ぎ、リンゴ酢を大さじ1、青汁の粉末を一袋。
正直、「おいしいから飲んでいる」とは言いづらい、クセのある味だ。
それでも続けているのは、今の自分のためというよりも、
数年後、十数年後の自分に「少しでもマシな身体でいてほしい」と思うからだ。
注射の日も、ドリンクを飲む日も、完璧からはほど遠い。
それでも、「やめずに続ける」ことで、未来の自分に宛てて小さな手紙を出しているような気がしている。
「ちゃんと気にしているからな」「放置してるわけじゃないからな」と。
検査結果の数字に、一喜一憂しないために
仕事柄、病院に出入りすることが多い。
診察室の前で待つ患者さん、検査結果の紙を見つめる人の表情を、毎日のように目にする。
若いころは、そういう光景をどこか「仕事としての景色」として眺めていた。
でも最近は、自分も同じ列に並ぶ未来を、当たり前のようにイメージするようになった。
年に一度の健康診断で、血液検査の数値を確認するとき。
「まあ、このくらいなら大丈夫でしょう」と笑って流せるうちはまだいい。
けれど、ある日、ひとつの項目だけが、じわっと基準値を超えてくることがある。
その数字を見たときの、胸の奥の「ひやり」とした感覚を、僕は何度か経験している。
そして、鏡に映る赤い湿疹の跡もまた、目には見えにくかったストレスや生活習慣が、
「ここだよ」と教えてくれているサインのように思えてくる。
だからこそ、これからは検査結果や症状に振り回されるのではなく、
日々の暮らしの中で、少しずつ“先回り”して身体をいたわるほうに、意識を向けていきたいと思う。
「整える」と「鍛える」のあいだで揺れる
50代の身体との付き合い方で、いまだに答えが出ていないことがある。
それは、「整える」と「鍛える」をどのバランスでやっていくのが自分に合っているのか、ということだ。
・ストレッチや軽いウォーキングで、「整える」ことに徹するのか。
・筋トレやランニングで、「鍛える」ほうにも挑戦するのか。
自己注射で炎症をコントロールしながら、
汗をかくくらい運動した日には、不思議と湿疹が落ち着くこともあれば、
逆に汗ばんだところがかゆくてたまらなくなる日もある。身体は、本当に気まぐれだ。
SNSには、「まだまだ攻めていく50代」の成功例があふれている。
引き締まった身体、毎朝のランニング、プロテインの写真。
スクロールすればするほど、自分のゆるんだ腹まわりと、ところどころ色ムラの残る皮膚が浮き彫りになっていく。
でも、最近ようやく思うようになった。
他人のペースをうらやんで、自己嫌悪に陥るよりも、
「今日の自分が、昨日の自分よりほんの少しマシなら、それでいいのかもしれない」と。
注射のスケジュールを守る。
風呂上がりに、乾燥しやすいところだけでも保湿をする。
寝る前のスマホ時間を10分だけ減らして、少しだけ早く目を閉じる。
その程度の、小さな誤差でもいい。
それを積み重ねていくほうが、極端なダイエットや短期集中トレーニングより、
自分には現実的だし、何より続けやすい。
「ごめん」と「ありがとう」を、ちゃんと伝えたい
身体のことを考えるとき、最近よく浮かんでくる言葉がある。
「いままで雑に扱って、ごめん」
「それでも文句を言わずに動いてくれて、ありがとう」
若いころ、深夜まで働き、ろくに寝ずに朝から営業車を走らせていた日々。
コンビニ弁当と缶コーヒーで済ませていたランチ。
ストレスをアルコールでごまかしていた夜。
あのころの僕に向かって、「もう少し大事にしろよ」と言ってくれていたのは、
たぶん、今の僕の身体であり、今の僕の皮膚だ。
だからこれからは、少しずつでもその声に応えていきたい。
今日の食事、今日の睡眠、今日の運動。
そして、今日の自己注射と、数分のセルフケア。
その一つひとつが、「ごめん」と「ありがとう」を伝える行為だと思うようにしている。
身体についてのひとりごと
「健康」という言葉には、どこか“正しさ”の匂いがつきまとう。
こうすべき、これを食べるべき、これをやめるべき——。
でも、単身赴任の夜にひとりで考える「身体」のことは、
もっとゆるくて、もっと個人的で、もっと不器用なものだ。
検査結果の数値にビクッとしながら、
ドラッグストアで新しいサプリや保湿剤を手にとっては、「本当に効くのかな」と首をかしげる。
ストレッチポールに乗ろうとして、そのまま寝落ちしてしまう。
自己注射の日をカレンダーで確認しながら、「次までに少しでも良くなっていてくれよ」とつぶやく。
そんな、どこにでもいそうな51歳の男の、身体についてのひとりごと。
ロート製薬さんのコンテストという場を借りて、
少しだけ真面目に、自分の身体とこれからどう付き合っていきたいのかを書いてみた。
10年後、同じテーマでまたnoteを書けたとき、
「このときの自分、なかなか頑張ってたじゃないか」と笑えるように。
今日も、小さな一歩だけでも、身体のほうを向いて歩いていきたいと思う。
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