【愛知】もらった動物園 | 鶴舞動物園② フィールドワーク編 | マイナーヒストリー
前編では、今泉七五郎が始めた私設動物園から、鶴舞公園の市営動物園を経て、東山へ移転するまでの歴史を見てきた。
では、その鶴舞の動物園は、現在の公園のどこにあったのか。
ここからは当時の園内図と現在の風景を見比べながら、かつての動物園の跡をたどってみたい。
鶴舞動物園は現在のどこにあったのか
鶴舞に動物園があったのは、約19年間である。
現在の鶴舞公園を歩いても、かつてここに動物園があったことを感じさせるものは、ほとんど残っていない。
【当時の園内図】(昭和3年(1928年))

園内図の左側を斜めに走っている道路が現在の国道41号線で、当時はここを市電が走っていた。
現在の道路や公園の区画と共通する部分も多く、当時の地図を現在の場所に当てはめるのは、それほど難しくない。
園内図を現在の鶴舞公園と重ねてみると、動物園がどの範囲に広がっていたのかが、かなり具体的に見えてくる。

<名称不明の現存門>
現在も確認できる、ほぼ唯一の遺構がこの門柱である。ただ、当時の園内図を見ても、この門の名称までは確認できない。
門を入ってすぐ右手には門衛所があり、その先には水禽舎が設けられていた。
現存する門・西門付近

現存する門を西側から見る(写真①)

【説明板に掲載されていた当時の写真】

【水禽舎】
現存する門柱付近にあった水禽舎。
つまり水鳥用の施設で、中央には噴水があったらしい。

国道41号線側から水禽舎・現存門方向を見る(写真②)
上の当時の写真とほぼ同じ角度から撮影。

<正門>
園内図から見ると、正門があったのは現在のSTATION Aiの北側駐車場付近と思われる。
正門を入ったあたりには猛獣舎や象舎があり、人気の高い動物たちが集まっていた。大正10年に購入されたインドゾウ「花子」も、この一帯で飼育されていたのだろう。
園の西側と比べると、この周辺は大きく姿を変えている。
現在も区画や敷地の形から当時の位置関係をたどることはできるが、かつて多くの来園者で賑わった動物園の中心部を思わせるものは、ほとんど残っていない。

【当時の正門】

旧正門跡付近から南西方向(園の中心方面)を見る(写真③)。
正面の建物は、2024年に開業した、STATION Ai。
かつて動物園の中心部として多くの人で賑わったこの一帯は、現在も再び人が集まる場所となっている。

旧正門跡付近から東方向を見る(写真④)
正門の東側には「鰐および大蛇舎」があった。

【鰐および大蛇舎】
資料によると、暖房と温水設備が備えられており、冬季でも、ワニの飼育室は華氏70度(約21℃)、大蛇の飼育室は華氏80度(約27℃)を下回らないよう温度管理されていた。
昭和初期の動物園でも、爬虫類の飼育に温度管理が行われていたことが分かる。

園内東端付近から西方向を見る(写真⑤)
飼料調理所~事務所から動物園中心方面

動物園 南西端部

猛獣舎付近から西方向を見る(写真⑥)
右手グラウンド付近が獣類舎。

【猛獣舎】

園内南西端付近から北(現存門)方向を見る(写真⑦)
正面奥のレンガ色の建物が鶴舞図書館、その手前左側に現存する門。

園内南西端付近から東方向を見る(写真⑧)
右手の建物は、STATION Ai

<西門>
西門は、大正12年(1923年)に市電が鶴舞公園まで延伸され、「動物園前」電停が設置された際に新たに設けられた。

【当時の西門】

国道41号線側から西門方向を見る(写真⑨)

鶴舞から東山へ受け継がれた動物園の歴史
現在、動物園時代の痕跡はほとんど残っていないが、区画や道の形には当時と重なる部分もある。古い園内図を見ながら歩けば、今の風景の中に、かつての正門や象舎、水禽舎の位置をたどることができる。
鶴舞の動物園は昭和12年(1937年)に東山へ移転した。ここで飼育されていた動物や職員、そして約19年間に積み重ねられた経験は、新しい動物園へと受け継がれていった。
現在の東山動植物園の歴史をさかのぼれば、その前には鶴舞の市営動物園があり、さらにその先には今泉七五郎が始めた私設動物園がある。
今ではその面影はわずかだが、鶴舞公園は、現在の東山動植物園へとつながる大切な一時代を担った場所だった。
当時の資料から、気になった写真をいくつか

百獣の王として有名である。牡は頸から胸にかけて長々とした鬣(たてがみ)があり、その威風堂々たる姿態は、真に王者の名に背かない。
産地はアフリカであって、あらゆる野獣を襲撃して食とする。殊に縞馬(しまうま)は彼の好む食餌である。
日没より夜明にかけて、凄い声で吼える。その音響は実に雄大であって、十数町の遠きにあっても、手にとるように聞えるのである。
当園に於ては二月二十六日夜その声をラヂオによって全国に放送した。
上図はその時の写真である。

アメリカン・アリゲーター
北米や東南部の湖沼、河川などに生息するワニであるが、近年では人工的に盛んに養殖されるようになっている。
このワニは明治34年(1901年)に名古屋へやって来たもので、現在32歳。体長は約2.7メートル、体重は112斤(約67kg)あり、日本で飼育されているワニの中でも最大のものである。
昭和6年(1931年)に追加された、ペリカン舎。
園の北西端近くにあった。
噴水の上に立っているのは「小便小僧」か?

ラクダ。モノクロ写真で見ると妙にグロテスク。


学名は「Semnopithecus entellus(セムノピセクス・エンテルス)」といい、インドシナのラオス産の猿である。
大正15年(1926年)6月23日、山縣伊三郎公爵から天皇陛下に献上され、その後は赤坂御所で飼育されていた。
昭和3年(1928年)11月19日、天皇陛下の愛知県訪問にあわせ、陛下のご意向により当動物園へ下賜された。
姿が美しく性格もおとなしい猿で、原産地では神聖な動物として捕獲しない風習がある。国内ではほかに飼育しているところがなく、日本での飼育は難しいとされるが、現在は気候にもよく適応し、健康に育っている。
このまま順調にいけば、繁殖も期待できるとして、飼育係一同が努力している。

馬鹿(うましか)。
インド北部からヒマラヤ、マイソール地方などの岩山に生息するシカの仲間。木の葉や草などを食べ、日本へ持ち込まれたのはこれが初めてとされる、当時としては珍しい動物だった。
「馬鹿」と書いて「うましか」。
現在ではまず見かけない名前だが、当時の資料ではこの名称で紹介されているのであしからず。
帰宅しようと鶴舞図書館からバス停へ向かう途中、ガン飛ばされる(写真⑩)
自分はカラスが嫌いではないのだが、どうも先方からは嫌われてる気がする。

<おわり>
参考資料
『名古屋市立鶴舞公園附属動物園一覧』昭和3年
『名古屋市立鶴舞公園附属動物園要覧』昭和3年
『市立名古屋動物園要覧』昭和7年
名古屋市「緑の年報」鶴舞公園掲載資料
名古屋市東山動植物園「動物園の歴史」
https://www.higashiyama.city.nagoya.jp/history/
名古屋市図書館「今泉七五郎」
https://www.library.city.nagoya.jp/reference/ijinden/ijinden_017.html
いいなと思ったら応援しよう!
いただいたチップはネタ仕入れの活動費に使わせていただきます