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ドキュメンタリー「ビースティ・ボーイズ・ストーリー」を見たので彼らのレーベル GRAND ROYAL が発信したアーティストたちを探る【超極私的名盤探訪vol.19】

 今月、初めて AppleTV+ に加入しまして、前から気になってたサイコサスペンスドラマ「セヴェランス」(製作/監督:ベン・スティラー)を見始めました。動画サブスクすでに4つ課金してるのにまたひとつ増やす…正気の沙汰じゃない…。でもいいか、お盆も全く遠出の予定がないし一夏だけの課金と思って。ここ半年で地上波全く見なくなっちゃったしね(NHK ONE はめっちゃ見てる、あれも実質サブスクだな、受信料支払ってるから)。

 で、目当てのドラマ以外に何があるんだろう?と FIRE STICK でクリクリコンテンツを探ってたら、ドキュメンタリー映画「ビースティ・ボーイズ・ストーリー」という作品を見つけてしまいました。ヒップホップユニット BEASTIE BOYS の結成から活動休止まで、ニューヨークのパンクな悪ガキが成熟に至るまでの物語。2020年からの配信ってなってるからもうすごく今更なんですけど、なんだか意外なほど内容がよくって、ですのでご報告するに至ります。
 オマケで彼ら BEASTIE BOYS が運営したレーベル GRAND ROYAL とその音楽についても語りたいと思います。彼らは世界中からたくさんの才能を発掘したんですよ。その当時は連中のやってたことにとても夢中になったものです!


映画「ビースティ・ボーイズ・ストーリー」 - MCA の早すぎる死と、濃密な三人の青春時代

 この映画が特別なのは、MIKE D と ADROCK の二人が舞台上のトークショーという形で、本人の肉声が語られること。オリジナルの三人で活動できない現状ではどんな活動もしないという姿勢と思ってたのに、存命する二人が揃って客前の舞台に立ってることがもうムネアツな想定外でした。
 そして彼らと縁深い映画監督 SPIKE JONZE がその舞台演出をしており、結果として、BEASTIE BOYS と SPIKE JONZE 両方の良き持ち味である、温かいユーモアが全編で一貫していることです。舞台の外にいる SPIKE がぬるっと声を入れてくるところとか味がある。「ちょっと、トークの段取り間違えてるよ」「アニメCG出ないわ、機材トラブルごめん」みたいな。ワキが甘くてイイ感じにユルい脱臼感が90年代当時と同じだよ。
 最終的には、お話が47歳で急逝する同僚 MCA の死につながっているとしてもね。

  • 早すぎたブレイクと、その後の挫折

 1980年のニューヨーク、 メンバーたちが集まったのは15歳前後のこと。ハードコアパンク全盛で誰もがバンドを組んでいた時代。彼らも楽器を持って仲間になった。一方で当時ホットになってた新興音楽ヒップホップも気になる。見よう見まねでラップをしてみたりする日々。
 ノベルティソングのようなラップチューンを作ったら意外にもディスコでウケた。そこで音響機材を持つ大学生がいるので、組んで本格的にやってみようという流れに。それが後年大御所プロデューサーとなる若き日の RICK RUBIN。RUN DMC のマネジャー RUSSELL SIMMONS と繋がった RUBIN は、SIMMONS とともに DEF JAM RECORDING を創業。現在の巨大レーベル ISLAND/DEF JAM に続く大きなビジネスの始まりだ。
 しかし若い三人は無邪気に毎日 DEF JAM の連中とつるんでパーティ三昧、言われるがままにライブ、シングル、アルバム、ツアーをこなすだけ。悪ガキ集団 BEASTIE BOYS はあっという間にスターダムへと駆け上がった。しかし大人たちの狙いはヒップホップに白人ラッパーを突っ込んで市場を広げることだった。ツアーが終わってみたら、消耗した三人は地元の友達とも接点を失い、お互いの絆もバラバラになっていた…。

  • ロサンゼルスで再出発、自分たちのやり方を模索する日々

 ハリウッドで映画出演することになった ADROCK はロスへ拠点を移す。映画のキャリアはうまくいかない上に、なぜか DEF JAM からのアルバムの印税配分もなくなる。
 しかし、若き日のプロデューサーチーム THE DUST BROTHERS と知り合い、心機一転、MIKE D と MCA を呼び寄せて新アルバムの制作に入る。DEF JAM とは離縁、CAPITOL と契約して三人で生活。新しいスタイルを模索する日々。ビデオも MCA 自身が変名で監督を担う(スイス出身の叔父さん NATHANIAL HORNBLOWER という設定で、チロル帽子がトレードマーク)。メンバーの中の最年長者 MCA はいつでも斜め上のやり方を切り開く男だった。
 完成した第2作「PAUL'S BOUTIQUE」、商業的には不振だった。DEF JAM 時代のような大会場ライブはできない。新マネジャーの JOHN SILVA はクラブ規模から実直にやり直せという。一歩一歩を着実に。「そんな SILVA は今も俺らのサポートをしてくれている」

 気を取り直し、自分たちのスタジオを作った。パンクでいう DIY 精神。自分たちのアイディア、自分たちの人脈、自分たちの判断で積み上げるやり方を見出していく過程へ。ヒップホップの盟友たち、Q-TIP や BIZ MARKIE が気さくにスタジオを訪ねてくれる関係に。さらに楽器を持って自分たちで演奏するスタイルに回帰。MCA はウッドベースも演奏できるようになる。そんな彼のアイディアをスタジオで広げて楽曲制作、完全バンドスタイルの名曲「GRATITUDE」「SABOTAGE」はそうやって生まれた様子。
 第3作「CHECK YOUR HEAD」、第4作「ILL COMMUNICATION」は高評価で迎えられ、BEASTIE BOYS はシーンの最前線に返り咲く!1992年には自分たちのレーベル GRAND ROYAL を発足させ、DIY の裁量幅をもっと大きくしていくのであった。

  • MCAの存在と死

 第4作のリリックの中で、「女性への優しさ」を歌う内容があった。MCA のリリックだ。その時は気づいていなかったが、彼らはもう悪ガキではなくなっていたのだ。ある取材で「過去のリリックと変わっている、偽善者にでもなったのか」と問われた MCA は「変わらないままでいるくらいなら、偽善者の方がましだ」と言い返した。
 中国によるチベットの政治的弾圧を知り、チベットへの支援運動に参加していく MCA。寄付をするだけじゃない、基金を立ち上げて継続的な支援をできる体制を整えた。同時に仏教徒に改宗。ユダヤ人である彼にとってはそれは大きな踏み込みだったに違いない。1996年には「TIBETAN FREEDOM CONCERT」を開催。賛同してくれた多くのアーティストとともにチベットの解放を叫んだ。
 2009年、テネシー州・BONNAROO FESTIVAL。これが彼の最後のステージ、そして BEASTIE BOYS 最後のステージになった。その時はそんなことになるなんて予想もつかなかったと ADROCK は言葉を詰まらせながら語る。MCA のガン発症がわかり治療が始まったが、快癒することはなく、2012年、彼はこの世を去る。47歳。残された二人は、BEASTIE BOYS の活動も封印することにした。
 30年も付き合ってきた三人、お互いの考えていることは大抵わかる関係、と思いきや、MCA だけはその想像をいつも乗り越える男だった。MIKE D と ADROCK はそう言った。
 
変化を拒まず、自分たちのやり方で新しい挑戦を続ける男たち。MCA に限らず、ボクにとって BEASTIE BOYS はそんな DIY 精神の体現者だった。だから、いつまでも彼らの音楽にコダワリ続けるのかもしれない。そして、彼らの仲間たちにも強く心惹かれるのだ。  

DIY精神と遊び心が満載なレーベル GRAND ROYAL に憧れた

 映画の中、二人の回想では名前が出てきた程度だったけど、BEASTIE BOYS は1992年から2001年まで、所属メジャー CAPITOL RECORDS 傘下に自身のレーベル GRAND ROYAL を設立します。
 
ここで、自分たちの人脈をフルに生かして世界中のアーティストをフックアップしていくのです。これがとても面白かった。彼らの審美眼を通じて選び出された個性的なアーティストがどんどん現れてくるんですもの。もうレーベル買いみたいな姿勢で、 GRAND ROYAL の関わった音源を片っ端から買ってたです。友人の友人みたいな感覚でネットワークを広げている様子が、ビジネスじゃない、手触り感のあるDIY精神を感じさせてくれた。
 さらにファッションへのアプローチも。90年代にかなり受けてたストリートブランド XLARGE は MIKE D の出資で立ち上がったものなんです。似た名前の X-GIRL は、XLARGE からスピンオフした妹ブランドで、こちらは SONIC YOUTH の KIM GORDON がファウンダー。カジュアルなストリートファッションとして普通に雑誌に紹介されてましたし、ボクもTシャツとかを買ってました。GRAND ROYAL のロゴが入ったキャップもかぶってました。
 そして、ダイレクトに彼らの美学を反映してたのが、雑誌「GRAND ROYAL」です。毎号ヘンテコでマニアックな特集が組まれてて笑っちゃう内容。直球でカッコつけるわけでなく、エグいほどナードでめっちゃハズしてる感じがよかったんですよ。全部で6号まで発売されましたが、不定期刊行だったので渋谷タワレコの洋書売場とかを常々チェックして、なんとか2号〜5号をゲットしました(ブルース・リー特集の第1号はゲットしてない…本国アメリカでも激レアだったらしい)。自分たちの仲間やレーベルのアーティストが寄稿したりしてごちゃごちゃしたミニコミの気分満載。正直、ごちゃごちゃしすぎて文字量もスゴい、実はボクの英語力じゃこなしきれない。

[左]第2号:特集 レゲエ界の伝説 LEE SCRATCH PERRY/マレットヘッドの考察
[右]第3号:特集 ムーグシンセサイザー/あの AL YANKOVIK にインタビュー
[左]第4号:特集 ピンボールのチャンピオンプロ/ターンテーブルの歴史
[右]第5号:特集 マイアミベースあれこれ/TIBETAN FREEDOM CONCERT 報告

 実はオマケで BIZ MARKIE のソノシートとか、ターンテーブルの名機勢揃いの大型ポスターとか、組み立ててみよう巨大ウーハー搭載ジープとか、変な付録がついてておかしいんだけど、もったいなくて切り離せない!

 ということで、ここから先は、GRAND ROYAL が世に出したアーティスト、音源をご紹介します。

LUSCIOUS JACKSON「FEVER IN FEVER OUT」1996年

 GRAND ROYAL がフックアップしたバンドで一番印象深いのが、女性四人組バンド LUSCIOUS JACKSON だ。GRAND ROYAL が一番最初にリリースした音源が彼らの EP だったし、このレーベルから三枚もアルバムをリリースした。楽曲のスタイルは、ヒップホップフレンドリーなビート感/ファンク感で、ボーカルもややラップ調。上に貼ったアルバム「FEVER IN FEVER OUT」はセカンドアルバムで、ヒップホップ要素は後退したが彼女たちのクールな感じがメロディの中で際立ってきている。リアタイはかなり聴き込んだです。
 このバンドのドラマー KATE SCHELLENBACH が、実は最初期のパンクバンドだった頃の BEASTIE BOYS のオリジナルドラマー。まだ彼らがティーンの頃にツルンでた仲間。映画の中でもMIKE D が振り返っている。「BEASTIE BOYS なのに女の子がいた、あの時はクールな女子がいた方がカッコよかったんだ、彼女は俺らより頭が良かったしな」。しかし、ヒップホップにのめり込み、DEF JAM の連中とパーティ三昧していた頃には、KATE とツルむのを辞めてしまっていた。彼女に不義理をしたと悔いる ADROCK。ファーストアルバムでブレイクした後「ニューヨークのデリで彼女を見かけた時も声をかけなかったんだ…」。だからここに来て、KATE との縁が復活したというわけですよ…なんかイイ話だな。KATE は現在ではテレビ番組のプロデューサーをしているそうな。
 このバンドのサイドプロジェクト KOSTARS もイイ。LUSCIOUS JACKSON のアコースティック版みたいな音楽。「KLASSICS WITH A "K"」1996年というアルバムを探してみてください(なぜか配信されてない)。

THE JOSEPHINE WIGGS EXPERIENCE「BON BON LIFESTYLE」1996年

 イギリス出身の女性マルチ奏者 JOSEPHINE WIGGS のソロアルバム。THE PIXIES の KIM DEAL がメインを務めたバンド THE BREEDERS でベースを担当してた人。THE BREEDERS 周辺は、THROWING MUSES が絡んでたり、KIM の双子姉妹 KELLEY DEAL がメンバーにいるとか、MV を SONIC YOUTH のKIM GORDON(と SPIKE JONZE)が撮るとか、90年代ライオットガールな女性が集まっていて興味深かった。その中でもこの JOSEPHINE さんはマイナーな存在だったけどね。
 雰囲気としては LUSCIOUS JACKSON が暗く寂しくなったイメージ。軽く乾いて冷えているけどアクセントがしっかりしたビート感覚と、どこか存在感が希薄な、憂の漂うボーカルがいいかなと思う。希薄すぎて実はインスト楽曲でしたみたいな場合もあって、なんか好き。この名義での作品リリースはこれだけ。
 WIKI であれこれ確認してて初めて知ったんだけど、実は前述の KATE SCHELLENBACH と交際してたそうです。ちゃんとカミングアウトしたレズビアンなんですね。KATE とユニットを作ったり、KOSTARS のプロデュースにも関わってたりしてたそうです。

BUFFALO DAUGHTER「NEW ROCK」1998年

 GRAND ROYAL はグローバル志向で世界中のシーンに目を向けてました。で、日本のロックバンドにも食指を動かす。で注目されたのがこの BUFFALO DAUGHTER。ギター:シュガー吉永、ベース:大野由美子、そしてサウンドデザインみたいなポジションでムーグ山本という人が加わったちょっと不思議な編成。
 渋谷系文脈で国内インディ CARDINAL RECORDS からデビューしていたが(レーベルメイトは SEAGULL SCREAMING KISS HER KISS HER、このバンドも好き)、早くからポストロック/音響派みたいなアプローチをとっていて、反復循環無限ループ的な陶酔感が持ち味だったっけ。GRAND ROYAL に行く前のライブをどこか(下北沢 CLUB 251 だったかな)で観たけど、ホントに全然展開しないままボーカルらしいボーカルもなく、ずっと同じリフをゆったり繰り返しててちょっとビビった。その後、あーこういうバンドが海外から評価されるんだ、と思ったですよ。
 蛇足ではありますが、後年、アイドル鈴木亜美とコラボシングル「O.K. FUNKY GOD」2007年なんてものを出してます。でも主役であるべき鈴木亜美がなにしてるか100%わからん内容で、実に面白かった。

BUTTER 08「BUTTER」1996年

 日本人が関与している音源をもう一つ。ニューヨークを拠点にした日本人女性二人組ユニット CIBO MATTO に THE JON SPENCER BLUES EXPLOSION のドラマー RUSSELL SIMINS や映像作家 MIKE MILLS などが参加した単発プロジェクトがこの BUTTER 08。
 RUSSELL SIMINS のドラムがとりあえずスゴイ。BLUES EXPLOSION でスゴイと分かっていたが、ここでも密度と手数がスゴくて、CIBO MATTO をはじめテクニカルとは言えない他メンバーのユルさを補ってなお余りある高圧テンション。RUSSELL SIMINS のソロもその後 GRAND ROYAL からリリースされました。「PUBLIC PLACES」2000年。これもよかったです。
 なお、CIBO MATTO の本田ゆかさん、この頃には JOHN の遺児 SEAN LENNON と熱烈交際しており、SEAN の二枚のアルバム「IN THE SUN」「HALF HORSE, HALF MUSICIAN」にプロデューサーとして参加。そんでそのアルバムも GRAND ROYAL からリリース。GRAND ROYAL って何でも受けてスゴイなあ。で、ゆかさん今はどうしてるんだろ?と思って今回調べたら、現在は WILCO のギター NELS CLINE と結婚してるとか。へー。

AT THE DRIVE-IN「RELATIONSHIP OF COMMAND」2000年

 レーベルとしては末期のリリースで、GRAND ROYAL がなくなったその後も活躍し続けているアーティストに関わった例。AT THE DRIVE-IN はテキサス出身のハードコアバンド。これ以前にインディで二枚のアルバムを出してきていて、GRAND ROYAL で三枚目かつ最後のアルバムを出した。で、この後バンドは分裂して、その片割れが今もポストハードコアの重鎮として活躍する THE MARS VOLTA になる。すでに複雑な楽曲展開が多彩に組み込まれていてハードコアパンクを逸脱する様子がハッキリ。ポストハードコア/大胆なプログレ志向へ移行する準備は完了済み。
 YOUTUBE は BBC の番組でのパフォーマンスだけど、ボーカル CEDRIC BIXLER-ZAVALA の暴れ方はもとより、ステージ下手(画面左側)の OMAR RODRIGUES-LOPEZ の痙攣的な動きと最後にはギター演奏放棄する様子がスゴすぎ。このテンションで二人は THE MARS VOLTA を結成していくのね。

BRAN VAN 3000「DISCOSIS」2001年

 わー、これも忘れちゃいけない音源だった。カナダ・モントリオールのバンド BRAN VAN 3000。動画も貼った一曲目がすげえソウルフルなディスコナンバーで、まるで CURTIS MAYFIELD みたいじゃないか!と思ったら、ズバリ CURTIS 本人がフィーチャーされてるという。どういうこと?だって CURTIS 御大は1999年に亡くなってるし。なんと最晩年の彼に客演オファーをしたところ、新規録音はできないが過去未公開録音を使っていいとの許諾を得たそうで、その上での没後公開音源。スゴイねえ!
 アルバムコンセプトが世界一周ということで、色々な人が客演参加。オールドスクール・ヒップホップのベテラン色男 BIG DADDY KANE、アフリカ・セネガルから大家 YOUSSOU N'DOUR、ジャマイカからダンスホールレゲエ・シングジェイスタイルの先駆者 EEK-A-MOUSE、パキスタンからはイスラム教スーフィーズム信仰の伝統音楽カッワーリーの第一人者 BADAR MIANDAD、地元カナダのSSW、JEAN LELOUP はフランス語も披露(モントリオールはケベック州でフランス語を公用語とする地域なのね)。客演もカラフルならダンスグルーヴも多様でカラフル。多分、このバンドは知名度低いのでこういう機会に存在を強調しておかないと! 

その他の契約アーティスト、世界中を早耳でチェック!

 GRAND ROYAL はその他にも世界中のアーティストにアプローチしている。かいつまんで三組ご紹介。
 スコットランドの男女三人組バンド BIS については当時まだメンバーが20歳前後だった段階での早食いで世界発信。女性ボーカル MANDA RIN 19歳のちょっと田舎っぽいポッチャリ具合に、ホントに同世代なんだ、同じクラスにいるかもしれない、というリアリティを感じた(厳密にはボクより4つ年下)。ジャケのアニメ風ヘタクソイラストもマジの手作りDIYアティチュードとして共感。外国人がアニメ絵をありがたがる状況が当時は全くレアだった。まだ同じ三人で活動中だと今知って感動。
 オーストラリアのSSW BEN LEE に至っては16歳でファーストアルバムをリリース、彼のバンド NOISE ADDICT については14歳の頃に制作したアルバムを GRAND ROYAL が世界に送り出す。いやー耳が早すぎる。
 ドイツのデジタルハードコアユニット、ATARI TEENAGE RIOT のコンピ盤や、中心人物 ALEC EMPIRE のソロも GRAND ROYAL は手がけている。彼らのライヴは、1997年一番最初のフジロック(富士天神山、嵐のフジロック)で観ました。ボアダムスの次で電気グルーヴの前。1日目の中盤くらいの出演で小雨が降ってきた頃だったかな…その後どんどん天気が荒れていった…。今覚えば、フェス自体が新しいものでお客も運営も山の準備のやり方が分かってなかった(チビT一枚にヒールの高いおしゃれサンダルの女子とかが大勢来てた、歩けず凍えてマジ泣きしてた)。ボクはコンビニ500円のビニールカッパを持ってたからまだ救われたけど、みんなゴミ袋を体に巻いてたよ。

BEASTIE BOYS「HALLO NASTY」1998年

 すいません、思い入れが強すぎてネタが途切れませんがこれで最後!BEASTIE BOYS 本体が GRAND ROYAL 所属アーティストとしてリリースしたのが五枚目のアルバム「HALLO NASTY」。その中でシングルカットされた「INTERGALACTIC」のMVには言及させてください。もちろん監督は MCA 自身が担当(クレジットは変名、スイスの叔父さんになってます)。
 ジャパニーズカルチャーへの想いが詰まった怪獣特撮バトル(ロボット対タコ星人…冷静に今見るとなにげにラヴクラフト/クトゥルフ神話の造形をなぞってる)をテーマにしてますが、やっぱ新宿駅周辺のゲリラ撮影が痛快!JR西口改札前地下広場(現在は小田急百貨店建替工事で風景一変)にて工事作業着+黄色いリフレクター姿で踊りまくる三人を唖然と眺める一般人の視線がシュールですわ。この衣装をコーディネイトしたのが、BATHING APE の NIGO さんと言われています。BEASTIE BOYS は裏原宿ファッションにも興味を走らせていたわけです。ホントに感度高いなあ、この時期、実際に BATHING APE を着たりしてるんですよね、MIKE D とかが。


 今回もとても長い文章になってしまいました。あれこれ思い出すことが多すぎて、どうしても冗長になってしまう。ここまで読んでくれた方々、本当にありがとうございます。
 BEASTIE BOYS の音楽については、以下の記事でも、ジャズオルガニスト JIMMY SMITH の音楽に絡めて紹介しています。もしよろしければ、合わせてチェックしてくださいませ。


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