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優しくできなかった自分が、つらかった。

「優しくしたいのに、できないときありませんか?」

本当は、もっとやさしく接したい。
落ち着いて、穏やかに関わりたい。

そう思っているのに、
余裕がなくなると、つい強い言い方になってしまったり、
思ってもいなかった言葉が出てしまうことがありました。

そしてそのあと、
「あんな言い方しなければよかった」って、
自分を責めてしまう。

私も、何度もそんなことがありました。


中でも、今でも忘れられない出来事があります。

母を、泣かせてしまったときのことです。


その日は、午後から出張でのアロマトリートメントのお仕事に出かけていて、夕方に帰宅しました。
私は主に自宅でお仕事ですが、月に1~3回程度だけ、外に数時間お仕事に出ます。

不在の間は、父に母の排泄の介助をお願いしていたのですが、
母はもともと父の介助に抵抗があって、
その日は拒否してしまったようでした。

羞恥心、プライドもあります。
また、父は身体的な事情や不慣れにより、スムーズに行えない部分が多々あります。
それも母には、不安や抵抗があったようです。

家に帰ってすぐ状態を確認すると、
服もシーツも濡れてしまっていて、
すぐに対応が必要な状況でした。
一通りの着替え、洗濯などすれば、30分以上はかかります。

夕食の準備や、片付け、愛犬のお世話。
やることは他にもいくつもあって、
どれも後ろにずらすことができないように感じていました。

もし、外出中に一度でも介助を受けてくれていたら、
ここまで大変にはならなかったかもしれない。

そう思った瞬間、
それまで溜まっていたものも重なって、
イライラが一気にあふれてしまって。

私は、母に対して感情のままに、強く言ってしまいました。


でも、どれだけきつく言っても、
母は言い返すことなく、ただうなづいて聞いているだけでした。

その姿を見て、
「これくらい言っても大丈夫なんや」と、
どこかで思ってしまっていた部分もあったと思います。

でも、やっぱり違いました。

あとになって、
あんな言い方をする必要はなかったと、
自分の中に重たい気持ちが残って。

私は一人で、こっそり泣きました。


本当は、怒りたかったわけじゃなかったんです。

「自分は倒れられない」
「この状況をなんとか回さないといけない」

そんなふうに思い詰めていた中で、

「どうして協力してくれないんやろう」
「私は娘であって、全部を背負う役割じゃないのに」

そんな悲しさやしんどさが、
うまく言葉にならないまま、
怒りとして出てしまったんだと思います。


その日の夜、落ち着いてから、
母にきつく言ってしまったことを謝りました。

そして、あのとき自分の中にあった気持ちも、
できるだけ穏やかに伝えました。

すると母は、
「ごめん…」と泣きました。


その姿を見たとき、

ああ、やっぱり母も傷ついていたんや、
って思ったんです。

それからは、母も少しずつ、
父の介助を受け入れてくれるようになりました。


この出来事は、今でも心の中に残っています。

そして思うのは、

感情のままに強く言ってしまったとき、
傷つくのは相手だけじゃなくて、
自分も同じなんやということです。


実は私自身も、
職場で感情的にきつく言われた経験があって、

そのときの「怖かった」「悔しかった」「みじめだった」
そんな気持ちは、今でも残っています。
多くの方がご経験あるのではないでしょうか。

内容よりも、
そのときに感じた感情の方が、ずっと深く残るんですよね。


だからこそ、

大切な人に対して、
同じような思いをさせたくない。

そして、自分のことも、
これ以上責めたくないと思うようになりました。


だから今は、

以前よりも、やることを少しずつ手放しています。

一つひとつは小さなことでも、
その積み重ねが、余裕につながっていくと感じています。

自分の休む時間も、きちんと取るようにして、
すぐに動かないといけない場面でも、
少し待ってもらうことも増えました。

そうすると、母もちゃんと理解して、
待ってくれるようになりました。


それでも、

今でもイライラしてしまうことはあります。

優しくできない日もあります。

でも、

「優しくできなかった自分」を、
すぐに否定しなくてもいいのかもしれないと、
少しずつ思えるようになってきました。


もし今、

優しくしたいのにできない自分に、
しんどさを感じているとしたら、

それはきっと、
それだけ大切に思っているからこそ、
生まれている気持ちなのかもしれません。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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