【掌編小説】 エアコンの声 〜シロクマ文芸部〜
熱帯夜なのにエアコンをつけて寝なかったものだから、目が覚めてしまった。汗を含んだ下着がまとわりついている。
僕はエアコンの「声」に悩まされていた。
夜も更けて、エアコンの音しか聞こえなくなると、エアコンが僕を罵り始めるのだ。
誰の声だろうか?
どこかで聞いたような声だけど、思い出せない。
喉がひどく渇いている。
麦茶を飲みに居間に。冷蔵庫が小さな音を立てているが、「声」は聞こえてこなかった。
とりあえず麦茶を2杯流し込む。
どうしようか。
エアコンをつけて寝るか、このまま暑さに耐えながら、睡魔が暑さの不快さに勝るのを待つか。
気がつくと、居間をぐるぐると歩き回っていた。
熱帯夜の最中、僕はなぜ歩き回っているのだろう。
「声」から逃げるためではない、どうせ歩き回ったって逃げられやしないのだから。歩いていると少しの汗とともに気分も落ち着いてきた。
この熱帯夜にはやはり勝てない。
エアコンをつけて寝ることにした。
どれくらいたっただろうか。
夢の中で、僕は古い家電量販店にいた。
売り場には何十台ものエアコンが天井近くまで積み重なり、一台残らず運転している。なのに風は一つも吹いてこない。
店員は誰もいない。
代わりに、すべての室内機の吹き出し口がゆっくりと開き、やがて大きな唇へと変わった。
いろいろな唇があった。薄い唇、厚い唇、カサカサの唇、色の薄い唇‥‥‥それらは熱帯雨林のジャングルに生息していそうな巨大な食虫植物のようだった。
どの唇も同じことを言おうとしている。何か言いたそうに動いているが、吹き出し口が狭いせいか、ほとんど口を開くことができなかった。
何か言っているけど、よく聞き取れない。
近くに寄ると聞こえるのかもしれない。だが、足は一歩も前へ出なかった。近くに寄ると、その唇が突然大きく開いて僕を食べてしまうかもしれない。いや、突然長い舌がヌメッとでできて絡め取られるのかもしれない。
開きかけては閉じ、閉じかけては震える唇。そのたびに、風ではなく湿った沈黙だけが売り場いっぱいに吐き出される。耳を澄ませば澄ますほど、自分の鼓動だけが大きくなり、胸の内側から誰かがノックしているような音に変わっていく。僕は立ち尽くしたまま、その沈黙に少しずつ押し戻されていた。
やがてその言葉だけは鼓膜からではなく、心臓の奥に直接落ちてきた。
「おまえが消えれば静かになる」
気がつくと、自分で自分の首を絞めていた。
午前3時、夜明けにはまだ少し時間がある。
エアコンは静かに風を送り続けていた。冷えた肌のどこにも、その言葉だけは乾かずに貼りついたままだった。
こちらのお題に参加させていただきます。
暑いですね。こんな日は家で映画を観るのみです。
Netflixで「爆弾」を見つつ、精神がすり減った人の心情を書いてみました。よろしくお願いします。
