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【ちゃんとやらねば病】の正体は怒りではなく怖さだった

職場に「ねばねばした人」がいる。

正論を言っているはずなのに、
なぜか場の空気が重くなる人。

ちゃんとやらねば
しっかりせねば
あの人を教育せねば

ねばねば、ねばねば。

年末だからだろうか。
その人は最近、日に日に粘り気を増している。
気づけば、いろいろな現場で
周囲の人と揉める機会が増えている。

私はそれを、仲裁に入ったり、
時に少し遠い目で見守ったりしている。
(事前に何とかしろ)

ねばねばしている人には、
ひとつ特徴があることに気づいた。

それは、話してみると、
だいたい、いい人だということ。

ただ、とても自分に厳しい。

だからこそ、
人のあれこれが目についてしまうのかもしれない。

「それ、今やる必要ある?」
「そこ、そんなに責めるところかな?」

周りからはそう見えても、
本人の内側では、ずっと警報が鳴っている。

ちゃんとやらねば。

その警報音が、
いつのまにか他人にも向いてしまう。

周囲の人たちも、
その警報が聞こえれば、体は強張り、
どうしても緊張感が走ってしまう。

(それが警報の役割だから)

ねばねばの正体は、
怒りというより、
怖さ”なのかもしれない。

ちゃんとしていないと、
置いていかれる気がする。

手を抜いたら、
価値がなくなる気がする。

だから必死に、
正しさで自分と世界を固めようとする。

でも、粘り気が強すぎると、ものは絡まる。

人も、
言葉も、
善意さえも。

本当は、その人自身が、
いちばん疲れている。

肩も、奥歯も、ずっと力が入ったまま。
緩め方を、忘れてしまっただけなのだ。

だから、その人がよく
「眠い、眠い」と言っているのを聞くと、
「目を閉じて、少し休みなよ」と声をかけている。

ねばねばした人を見かけたら、
「また始まったな」と距離を取るのも、
もちろん悪くない。

ねばねば対処法マニュアルの、
きっと1ページ目に書かれている。

でも、心のどこかで、思い出したい。

あれは“悪意”じゃなく、
「ちゃんと生きたい」が
行き場を失った姿かもしれない、
ということを。

そして、その現実を今、
自分が目にしているということにも、
きっと意味がある。

もしかしたら、
自分も「ねばねば」しているのかもしれない。

または、周囲の反応を通して、
自分の他者に対する態度を
見つめ直すタイミングなのかもしれない。

もし、自分や、周りの人が
少しねばついてきたな、と感じたら。

正す前に、
一度だけ、深く息を吐く。

完璧じゃなくてもいい、
ということを思い出したい。

完璧じゃない自分を、
誰かに見つかるのが怖いだけ。

いや、
完璧じゃない自分のほうが、
むしろ人に愛される瞬間がある。

そんな一言で、
粘り気は、少しずつほどけていく。

明日から、
ねばねばしないように、せねば。

……あ、ねばってしまった。

あなたの日常が多幸感で包まれますように。


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YUTA  /  紡ぎ屋 凪 多幸感は、きっと分け合うほど静かに循環していくもの。 今日、あなたの中に小さな光や気づきが生まれたなら、 チップという形でそのぬくもりのバトンを繋いでもらえると嬉しいです🌈