人間は考える葦である
社会はソリューション(問題解決)ビジネスで成り立っている。
腹が減るから、飲食店がある。
移動したいから、車や電車がある。
家が欲しいから、不動産屋がいる。
身体を変えたいから、ジムやパーソナルトレーナーがいる。
考えてみれば、ほとんどの商売は誰かの「困った」「面倒くさい」「こうなりたい」を解決することで成り立っている。
つまり、商品やサービスそのものを売っているように見えて、実際に売っているのは、 「問題が解決された状態」あるいは「解決できる状態」なのだと思う。
しかし、AIや情報の可視化が当たり前になった今、この「問題を解決する能力」だけで価値を生み続けることは、少しずつ難しくなっている。
なぜなら、問題さえ正しく言語化できれば、その解決策の多くをAIが数秒で提示してくれるようになったからだ。
では、人間には何が残るのか。
おそらくこれから価値を持つのは、 「どう解決するか」よりも、 「そもそも何を解決すべきなのか」 「その問題の本質は何なのか」 を見つける能力だ。
筋トレで考えてみよう。
「ここの筋肉を大きくしたい」
→「このトレーニングをする」
「痩せたい」
→「この食事をする」
今では検索すればいくらでも答えが出てくるし、AIに聞けば自分専用のメニューらしきものまで数秒で作ってくれる。
では、本質はどうだろうか。
なぜ、そのトレーニングをするのか。
なぜ、その食材を選ぶのか。
そもそも、その人が身体を変えられない原因は
本当に「トレーニング方法」や「食事内容」なのか。
仕事が忙しくて継続できないのかもしれない。
睡眠時間が足りていないのかもしれない。
本人が「胸が弱い」と思っていても、実際にはフォームや骨格、他の部位とのバランスに問題があるのかもしれない。
つまり、表面に現れた「問題」と、本当に解決すべき「課題」は必ずしも同じではない。
「胸を大きくする方法を教えて」と聞かれて、その方法を答えるだけならAIにもできる。
しかし、
「なぜ胸が発達しないのか」
「この人の場合、何がボトルネックなのか」
「そもそも胸を大きくすることが、この人の目的に対する最適解なのか」
そこまで掘り下げると、話は変わってくる。
情報が少なかった時代は、「答えを知っていること」そのものに価値があった。
しかし、誰もが簡単に答えへアクセスできる時代では、答えそのものの価値は相対的に下がっていく。
これから必要になるのは、与えられた問題を上手に解く能力だけではない。
目の前の情報を鵜呑みにせず、
「なぜ?」
「本当にそうなのか?」
「そもそも何が問題なのか?」
と、一段深く潜る能力なのだと思う。
そして、これは筋トレに限った話ではない。
営業でも、教育でも、医療でも、コンサルでも同じだ。
「一般的にはこうです」と説明するだけなら、その多くをAIが代替できるようになる。
その人を見て、 その人の状況を理解して、 本人すら気づいていない問題を見つけ、 その人に合った解決策を考える。
人間に求められる仕事は、少しずつこちら側に移っていく。
AIに仕事を奪われるのかどうかは、僕には分からない。
ただ一つ思うのは、
AIによって「答え」の価値が下がれば下がるほど、「問い」の価値は上がっていくということだ。
これから必要なのは、誰よりも多くの答えを知っていることではない。
「そもそも、何が問題なのか」 を考え続けられることなのだと思う。
まぁ、それが出来てたら、僕は新たなマーケット(市場)の一つくらい作り出してるんでしょうけど。
