あの日、母になった私へ──“二つの足りなかった愛”から始まった物語
泣き続ける赤ちゃんを抱いていたあの日。
私は「寄り添えば大丈夫」と信じていた。
けれど、本当の寄り添いの意味を知るまでには
長い時間がかかった――。

抱きしめながら、
見失っていたもの
ねえ、あの日の私。
泣き続ける赤ちゃんを抱きしめながら、
「寄り添えば大丈夫」と信じていたよね。
寄り添えば、子どもの心は満たされ、
穏やかで幸せな子になる。
......そんなふうに思っていた。
でも、現実は違った。
抱けば泣き止み、おろせば泣く。
泣かれるのが怖くて
トイレを我慢して膀胱炎になった。
どうしたらいいかわからず
それでも「寄り添えばいい」
と自分に言い聞かせて、
泣くたびにひたすら抱きしめ続けた。
自分がしてもらえなかったこと
をしてあげたかった。
それが愛だと思っていた。
けれど、愛が何なのか
本当はわからなかった。
ただ必死で、抱きしめるしかできなかった。
けれど――
ただただ苦しかった。
満たしているのに、満たされなかった。
⸻
時間は流れ、息子は小学生。
相変わらずよくぐずる子だった。
ある日、思わず子供に叫んだ。
「何がそんなに不満なの?
私がしてもらいたかったこと、
全部してあげているのに!」
その瞬間、胸の奥に母の声がよみがえった。
――「どうして?
昔お母さんができなかったことをやらせてあげているのに、何が不満なの?」
⸻
私の母は子供の頃、家が貧しくて
やりたいことができなかった人だった。
「ピアノを習いたかった」「勉強したかった」――
そう、よく話していた。
だから、私にはピアノも塾も本も惜しみなく与えてくれた。
「お母さんと違って、将来は自由にいろいろな道を選べるように」って。
厳しかった。
それが私のためだと言いながら。
私は、母の期待に応えようと必死だった。
本当の自分を押さえて
いい子でいようと頑張った。
そうすれば、愛される気がした。
でもね、私が本当にしてほしかったことは、
勉強やピアノで褒められることじゃなかった。
結果じゃなくて心に寄り添ってほしかった。
「本当はやりたくない」と話したかった。
母はそのことを知らないまま
私が高校を卒業したあとに亡くなった。
母と私の時間はあのときから止まったままだった。

母と私、そして息子たちへ
母も子どもの頃に
自分が与えられなかったものを、
私にあげようとしたのだ。
だからこそ厳しかったのだ。
「あなたのため」と言いながら
子供が自分のようにならない為には
知識と教養、学歴しかないと信じていた。
ある日、母は怒って言った。
「お母さんがやってもらえなかったことを
やってあげているのに、
どうしてちゃんとやらないの?」
その言葉が
ずっと胸の奥に残っていた。
――そして母になった私。
私は、母が自分を育てたように息子を育てたくなかった。子どもの頃に私が手に入れられなかった“自由”を自分の子にあげたいと思った。
好きなようにさせれば...
子供の気持ちに寄り添えば....
きっと幸せな子になると思っていた。
けれど、
それでもどこか満たされない息子を見て、
ある日私は怒りの中で言ってしまった。
「私がやってもらいたかったことを
してあげているのに、何がそんなに不満なの?」
その瞬間、
胸の奥で何かが静かに音を立てた。
母と同じことを言っている.....!!!
方向は違っても、
根底は同じだった。
どちらも
“満たされなかった心”から
生まれていた。
母を責めたい気持ちも、
子どもを理解できない焦りも、
全部、同じ痛みの中にあったんだとわかった。
そのことに気づいたことが
長いあいだ渦巻いていた怒りが
ほどけていくきっかけになった。
母はもういないけれど、
あの日止まったままの母娘の時間が、
ようやく動き出した。

あの日の私へ。
あなたの寄り添いは
十分すぎるほどの愛だったよ。
迷いも怒りも、
すべてその延長線上にある。
どうか安心して。
あなたが信じて抱きしめたその日々も、
お母さんが迷いながら選んだ日々も、
間違いだったかもしれないし、
間違いじゃなかったかもしれない。
私の子育てを、
息子たちが大人になってどう感じるかはわからない。
きっと、彼らの中にも
満たされない何かが残るのかもしれない。
それでも私たちはみんな、
迷いながら、
それぞれの答えを受け取り、
また誰かに手渡しながら生きている。
そして、確かに繋がっている。
この気づきを胸に、
今日もまだ母である私を生きていく。
