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2025年2月12日 「よき大きいお姉さん」になりたい


先日、とても、もやもやしていることがあり、
尊敬している先輩に連絡をしたところ、
お返事をくださいました。
余計なことが書かれていない
さっぱりしたお返事でした。
情が込められているけれど、
押し付けがましくもなく、
私の気持ちを受け止めているけれど、
暗い感情を煽るものでもありませんでした。
やっぱり先輩は、かっこいい。
もやもやがなくなったわけではないけれど、
お返事を下さるというだけで、
とても勇気づけられました。
先輩はいつでも、そうなのです。
元が違いますから、逆立ちしたって、あんな風にはなれません。
到底、無理だと思います。
それでも、出来るだけ、かっこいい人になりたいし、
成れるように意識はしたいものです。

この件がある少し前から、
最近の私の目標は
「良いおばさん」になることでした。
私は「おばさん」という呼称が嫌いではありません。
丁寧に発声すれば、
女子や女の子よりも
ずっとタフで、明るく、さっぱりとした呼称だと感じています。
絹やシフォンやレースのような手触りの言葉ではありませんが、
はためく木綿のように、
しっかりとして頼れる、
清潔な手触りが、本来はあったはずだと、信じています。
しかし、世間としては、そう思っていないようです。
「おばさん」と呼べば攻撃できると思っている人、
「おばさん」という言葉に棘や攻撃性を感じる人もいます。
世間一般には、このように、「おばさん」と言う呼称に、拒否感がある人も多いようですから、この項では、ある程度の年齢を重ねた女性を
「大きいお姉さん」と呼ぶことにします。

先輩をはじめとする
これまで私の人生で、
折々に現れた「大きいお姉さん」たち。
学生を終えて、社会へ漕ぎ出した私に、
親切にしてくれたのは、
何より「大きいお姉さん」たちでした。
見守り、
励まし、
ちょっと美味しいものを食べさせ、
ちょっと素敵なものをプレゼントして
社会的な場面で、どう振る舞った方が良いのか、
どう助け合ったら良いのかをさりげなく、教え、
時に耳の痛い忠告もしてくれました。
忠告は、
個人の否定ではなく、お姉さんたちの、人生経験からくるアドバイスであり、
後から考えればありがたいものばかりでした。

もちろん、「よき大きいお姉さん」でない「大きいお姉さん」もいます。
意地悪で、頑固で、粘着質で、冷たい。
でもそういう「大きいお姉さん」の数は、さほど多くはありません。
そして、そういう人は、
少ししゃべると、奇妙なのですぐにわかります。
わかったら、サッと距離を取ること!
これも「よき大きいお姉さん」たちから学んだことです。

「よき大きいお姉さん」たちの特徴
・後輩や若い子の個性をそのまま受け止める
・自分がやられて嫌だったことは後輩や若い子にはしない
・後輩や若い子を詮索せずに楽しく会話ができる
・美味しいもの、美しいものが好き
・美味しいもの、美しいものは、共有したり、広めたりするのが好き
・ちょっとしたプレゼントが好き
・自分はお返しをするが、他人からのお返しは期待していない
・もらって当たり前とも思っていない
・もらうことより、与えることが上手
・社会経験が必要な場での振る舞い(来客対応や冠婚葬祭)のお手本をさりげなく、見せてくれる
・明るく元気で前向き
・ベタベタせずにさっぱりした付き合い方をしてくれる
・悪口は言わないけれど、周りの人の言動をよく観察している

これらは、先輩ひとりの特徴ではなく、
たくさん出会ってきた
「よき大きいお姉さん」たちの特徴です。
私は、これまでに、本当にたくさんの「よき大きいお姉さん」たちに出会い、よくしてもらってきたのでした。
気づいたのは、最近です。
後輩の中には、そういう出会いがなかったばかりか、
ひどい目に遭わされた人もいるようだということがわかって、
ようやく、自分の幸運に気づいたのでした。
そうして、見回してみると、
「よき大きいお姉さん」の数がずいぶん減ってしまったような気がしました。
よく考えれば、
日本人の人口が減っているわけですから、
当然のことです。
人間が減った分、「よき大きいお姉さん」の割合もきっと、減ってしまったのです。
ここ最近の殺伐とした世の中で、
「よき大きいお姉さん」に出会わずに来たとしたら、
自分がそれぐらいの年齢になっても、そうなろうとは思わないでしょう。

ということは、
「よき大きいお姉さん」たちによくしてもらった私のような人間が、
次の「よき大きいお姉さん」になるべきなのです、多分。
自分がしてもらったことは、
してもらわなかったことよりも、
やりやすいからです。

先にも書いたように、元々の私は、とてもそういう人間ではなく、
偏屈で
到底、「よき大きいお姉さん」には慣れそうにないタイプです。
もう少し、前なら「柄じゃない」と鼻を鳴らして、その場を去っていたことでしょう。
でも、そろそろそういう時期ではなくなってきたのです。
私も私なりの「よき大きいお姉さん」に成れるように、振る舞いたいと思うようになりました。
それは社会的圧力ではなく、
これまでよくしてくれた「よき大きいお姉さん」たちへの恩返しです。

気恥ずかしくなりながらも
恐る恐る、
記憶にある「よき大きいお姉さん」たちの言動を真似しています。
初めは、奇妙に思えても、
真似しているうちに、
ちゃんと「よき大きいお姉さん」たちっぽくなってくるのも面白いところです。
自分のやっていることの内側に
お世話になった「よき大きいお姉さん」たちが存在します。
私の中に、たくさんの「よき大きいお姉さん」たちが、います。
「お久しぶりですね、お元気ですか?」と言いたくなるほどに。
人はその存在が死して消えても、残るなどと言いますが、こういうことなのかもしれません。
私は私で、
でも同時にあまたの「よき大きいお姉さん」、
いわゆる「よきおばさん」でもあるのです。
私もその流れの中にいて、
そして私の中にもその流れがあります。
まだまだ、見習い「大きいお姉さん」ですが、
少しずつホンモノの「よき大きいお姉さん」「よきおばさん」になるつもりです。

困っている若者をサッと手助けをして、淡々と去っていける人間に、
弱った人に美味しいお菓子を差し出せる人間に、
私はなりたい、のです。




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