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unuの個展に行った気になれるnote

初個展『dissolving ↔︎ recalling 』
忘れ続けている↔︎思い出し続けている

2025年10月2日〜5日の4日間
本郷三丁目にあるギャラリー
Sun Gallery and Spaceさんにて開催しました。

言葉×絵画×立体×空間の展示
これまでの集大成であり、ここから作って生きていく人生の始まりを感じる、自分にとってとても重要な個展になりました。

4日間で100名近くの方にご来場いただき、大小合わせて30個以上の作品がお迎えされていきました。

さて!
今回は、周りからの「行きたかった〜😭」の声や、来てくださった方の「会場の言葉、帰ってからも見られるようにしてほしい〜」の声にお応えして、

会場の写真と現地に散りばめていた言葉たちをぎゅぎゅっとまとめてみることにしました!これであたかも個展に来たような気持ちになれるのでは!と思っております。

なんだか詩集のような仕上がりになりました。

では!初めましての方も、何度目ましての方も、
ごゆっくりお楽しみくださいませ〜〜




プロローグ


unuの初めての個展を開催します。

時間感覚や現実感が薄い。
脳内に情報を複数留めておけない。すぐに忘れていってしまう。

常に今今今今今という連続。タイムラプスのように現在が繰り返されて、過去と未来が地続きな感じがなく、前後には無が広がっている。

その上、人間社会のあらゆる常識や何かに所属しているということ、そもそも自分が人間であるということ、この身体で、この性別で、この見た目であるということ、全てに現実味がなく、違和感を感じてきた。

この容れ物にも、社会にも、拠り所を感じられない。所属しているという感覚がわからない、所属させられると居心地が悪い。所属していたい概念がない。でもこの感覚を事細かに他者に伝えるのはなんだか憚られる。し、言ったところで、だ。

なんだかずっと、宙ぶらりんで怖かった。

もちろん生きていれば悪いことばかりでなく、素晴らしい出会いや経験もたくさんあった。なんなら人や環境に恵まれてきたなという自負さえある。

しかし、過去の幸福なできごとの記憶たちは、どうしてもいまの自分が現在を生きるための糧になりつづけてくれなかった。

この扱いづらい心身にうんざりして、幾度となく灯火を消そうとした。でも消し切れなくて、そのことにもうんざりしてきた。

こんなにも切実なのに、
人間であることに違和感を感じるという文字列がフィクションすぎて、どう自分を支えたらいいかわからなかった。

そんな自分を、
ここまで生きながらえさせたものについて。

そして、作ることで生きることを選ぶまでの軌跡について。




自分をここまで生かしてくれたもの。

それは、知識や経験から得た知恵、
そしてそれらから得る、
芯から湧き起こる驚きや喜びだった



あまりに扱いづらい自身に対して、いつからか自分が宇宙から来たなにかで、ニンゲンの心身を装着して地球留学をしているのかもしれないと思うようになった。


人間のこの見た目も、社会的なラベルも

なにもかも、
なんだか全部しっくりこない


動かしづらいし、
動いたと思ったらすぐ疲れてしまう

無理やり動かそうともびくともしない 


まるで自分の中で自分以外の何かが
とてつもなく強い意識を持っているようだった

最初のうちは自分の中に起こる強い摩擦の連続で
人知れず疲弊しきっていた

しかし、そのうちこの内側から反発してくる
強い意識のようなものの機嫌を取るように行動するようになった

内側のこいつが嫌がる時はやめておく
内側のこいつが嬉しそうならやってみる

すると身体がだんだん動かせるようになった

こころのしばいぬ


「内側のこいつ」のことをいつからか
「こころのしばいぬ」と呼ぶようになった
(散歩嫌がってびくともしないあのしばいぬ)


動かないこころのしばいぬ


こころのしばいぬの様子を伺う


だんだん慣れてきたら、今度はもっと人間の心身や社会の仕組みをよく知ったほうがいいだろうと思い、あらゆる心理学や生物学を学び始めた。


人と人は、言語という記号によってあたかも共通のイメージがあるように見えているだけで、本当は生得的にも経験的にもひと1人の思考を構成する変数が多すぎるということ、それによって分かり合えなくて当たり前だということを腹の底から理解した。その上でなぜか共鳴し合えることの奇跡さにいたく感激した。

また、人の身体はとてつもない数の小さないのちたちによる集合体であることを学んだ。

ひとつひとつの細胞が器官をつくる、シナプスの発火がリレーすることで思考が生まれる、大脳新皮質があらゆる知覚器官の情報を統合してひとりひとりにオリジナルの現実を見せている、

あらゆる奇跡の連続で自分自身が成り立たせられているということを知った。 

地球の歴史を学んだ。
無だった世界から宇宙が生まれ、この地球ができあがったということ、水が液体で存在できるようになったこと、原核生物→単細胞生物→多細胞生物と次々に進化していったこと。

人類の歴史を学んだ。
あらゆる偶然が折り重なって今があること。
歴史はそれを語る人の視点で織りなされるということ。

そして人の数だけその視点があるということ。

進化という大きな枠で見た時に、人間は現在たった1個体の人生をかなり重要視する文化をもっているのだなと感じた。

道教や仏教、陰陽五行説などを中心とした東洋思想を学んだ。

すべては移り変わっているということ。
止まる、固まるということはないということ。

すべてのことは、いろんな偶然が重なって
たまたまそうなっているというだけ。

次々に編まれてはほどかれつづける
ダイナミクスが無数に存在しているということ



世界は動き続けていて、周期的に波が存在すること。昼があって夜があるように、動くべき時もあれば休養が必要な時もあるということ

東洋思想はとても自然だと感じた

環境も生命も何もかも
全てがコントローラブルだとする現代
なにか他のものを目指して自分を矯正し続ける人生

世の中はとっくに不自然過ぎているのかもしれないと思った

自分を正確に捉えるなんて誰にとってもそもそも不可能なんだと気づいた。

知れば知るほど、気持ちよくすぱっと割り切れることなんてないのだと気づいた。

安心できない、宙ぶらりんの状態に耐えるという知性の鍛え方。

それはまさに自分が普段感じている
拠り所のない感覚に限りなく近いものだった。


自分は奇跡の連続で
いまもなお動かされている存在


自分がなにかしたところで
影響を与えられる対象はごくわずか

しかし確実に人と人は影響しあっていて
ちいさな影響の波が響き合って大きな波となっているとも言える


とてつもない多数の中の
点のような一部である自分

数で表すからリアルが失われるのかもしれない
大勢、はたくさんの個の集まり

経済的な成功=幸せとは言い切れない

しかし大きな経済効果を生み出すことで救われる人はたくさんいる


選挙に行く人を増やしたい

増えた結果自分が推している思想が
支持されるとは限らない




自分が調子を崩すときはいつも決まって
正気を失っているときだ

自分の心の重心が外にいってしまって
バランスを崩す

心の重心が外に行く時は
外部の価値観に執心している時


正気をとりもどすことを思い出す。

自分にとっての“自然”を思い出す。




何回も忘れてしまうけど
その度にまた思い出したいものたちを
形にしていこうと思った

自分にとっての “recaller”(=思い出させるもの) として。



 

質問:
つい忘れちゃうけど、
何回でも思い出したいことはなに?

みんなの何回でも思い出したいことたち



『dissolving ↔︎ recalling 』
忘れ続けている↔︎思い出し続けている
でした。

来てくれたみなさん、このノートを読んでくれたみなさん、どうもありがとうございます💐

では、またどこかで!


unu  ( instagram @unu_pimo)

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