足による投票──制度を選びなおす自由
はじめに──退出の自由から、制度を捉えなおす
前回の記事では、「投票に意味があるのか?」という素朴な違和感を起点に、政治的関与を当然視する空気に対して疑義を呈した。
今回はそこからさらに一歩進み、「制度の中で選ぶ」のではなく、「制度そのものを選びなおす」という視点を提示したい。
この視点は、アメリカのリバタリアン法学者イリヤ・ソミン(Ilya Somin)が提唱する“足による投票(foot voting)”という概念によって、理論的に定式化されている。
投票ではなく、移動すること。それは、ただ受け入れがたい制度から静かに去るだけではない。制度そのものを、自らの足で選びなおす──きわめて主体的な政治行動なのである。
Tieboutモデル──制度間の競争という発想
この考えのルーツは、経済学者チャールズ・ティボーが1956年に発表した論文「A Pure Theory of Local Expenditures」にある。
ティボーの仮説はシンプルだ。
人々が自由に地域を選べる状況があれば、自治体間に競争が生じ、それぞれの地域が住民の選好に合わせた税率や公共サービスを提示するようになる。
制度の違いに応じて人々が移動し、結果として、各地域が住民の好みに応じた公共財水準を提供する──
これが、市場的な制度選択プロセスとしてのTieboutモデルである。
ティボーは、多数決による制度決定が住民の異質性により歪む構造を指摘したうえで、「同質な制度空間に住民が自己選別される」ことでその歪みが緩和されると論じた。
ソミンの展開──政治的無知と制度選択の合理性
イリヤ・ソミンがこのモデルを再評価する背景には、
彼の専門分野である「政治的無知(political ignorance)」の問題がある。
彼によれば、有権者が政治制度や政策について深く学ばないのは、単なる怠惰ではなく、合理的な選択である。
──なぜなら、いくら時間をかけて学んでも、自分の一票で結果が変わる可能性はほぼゼロ。
政策全体を理解するには膨大なコストがかかり、リターンはほとんどない。
このような状況では、「学ばない」という選択がむしろ理にかなっている。
これは公共選択理論で言う「合理的無知(rational ignorance)」であり、ソミンはこの構造的な限界が、民主主義の制度疲労を引き起こしていると指摘する。
そのうえで、彼が対案として提示するのが、「足による投票」なのである。
足による投票の優位性──投票よりも強い選択
ソミンは、「足による投票」が以下の点で民主的投票よりも合理的だと述べている。
情報コストが低い
→ 投票には政策全体の理解が求められるが、移動は「今よりマシかどうか」の直感で済むインセンティブが明確
→ 自分と家族の生活がかかっているため、真剣に比較・判断する動機が生まれる集合行為問題がない
→ 投票では1票の影響は無視できるが、移動は自己の判断がそのまま結果につながる
つまり、制度の中で“戦う”よりも、制度そのものを“選びなおす”方が合理的であり、自由の実感も強くなるのだ。
Free State Project──制度そのものを変える試み
この理論を現実に応用したのが、アメリカのFree State Project(FSP)である。
2001年に始まったこの運動は、
「リバタリアンが各地に散らばっていても社会は変わらない。ならば、1つの州に集中して移住し、制度そのものを変えてしまおう」という発想に基づいている。
彼らはニューハンプシャー州を選び、実際に移住を開始。
2022年時点で6,000人以上が実際に生活を移し、
州議会では自由主義的な政策が次々と採用されるようになった。
「投票による制度変革」が難しい現実に対して、
地理的再配置という方法で制度的自由を獲得する──
これはソミンの議論を最も鮮やかに体現した実践例といえる。
民間による制度単位──CID(計画的共同体)への射程
ソミンはさらに、制度単位を「国家」や「自治体」から解き放ち、
CID(Common Interest Development)=計画的民間共同体に注目する。
これは、住宅地や街区ごとに、民間が規約・運営・秩序を事前契約に基づき管理するものであり、以下のような特徴を持つ。
明文化されたルールと透明な契約構造
顧客満足=経済的成果という仕組み
多数決よりも迅速かつ責任ある意思決定
この構想は、スペンサー・ヒース・マッカラムの『コミュニティの技法』や、フレッド・フォルドヴァリーの「市場による公共財供給論」とも接続する。
住民が退出可能であることが、制度運営側に説明責任と競争圧力を与える。
──それこそが、「足による投票」がもたらす制度的インパクトなのである。
日本における射程──空間的選好の芽生え
日本では市区町村間の制度差が限定的で、Tiebout型の地域間競争は表立っていない。
しかし、以下のような動きは確実に進行している:
教育政策・学校環境による教育移住
子育て支援や医療制度の違いに基づく自治体間転居
管理規約や居住ルールに基づくマンション選好
これらは、「制度を中から変える」のではなく、
制度そのものを選びなおすという行動である。
制度退出という発想は、日本でもすでに静かに芽吹いている。
結語──自由とは、「退出可能性」である
ソミンはこう語る。
足による投票とは、制度内の意見表明ではなく、
制度そのものを選びなおすという、根源的な自由の行使である。
国家に訴えるのではなく、国家から離れるという選択肢を持つこと。
この退出可能性こそが、制度の暴走を抑え、自由を支える。
自由とは、「好きに従えること」ではない。
「嫌なら去れること」──この距離こそが、自由の本質である。
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参考文献
イリヤ・ソミン『民主主義と政治的無知』信山社, 2016年.
森村進編著『リバタリアニズムの多面体』勁草書房, 2009年.
Spencer H. MacCallum, The Art of Community, Institute for Humane Studies, 1970
Fred E. Foldvary, Public Goods and Private Communities: The Market Provision of Social Services, Edward Elgar Publishing, 1994
