「なんだこの点数は?」その一言で、彼は勉強をやめた
不登校の子が、また始めたきっかけ
返ってきたテストを、見もせずに裏返して、机の奥に押し込む。
あの動作を、僕は何百回も見てきました。
僕は沖縄で、不登校の子と保護者の支援を16年続けています。関わったご家庭は650を超えました。今は児童館で子どもたちと過ごしながら、フリースクールと、子ども向けのAIスクールを運営しています。
その16年ではっきり分かったことが、2つあります。
ひとつ。子どもの手を止めるのは、悪い点数ではありません。途中を見ていない人に、結果だけで裁かれた瞬間です。
もうひとつ。止まった子がもう一度動きだすきっかけは、たいてい勉強ではありません。
この記事は、その2つの話です。
1.「わからない」と「もうどうにもならない」は、別物です
一度きりのテストで、思ったような点が取れなかった。赤ペンの入った答案が返ってくる。そして、次の単元に進みます。
このとき子どもの頭の中で起きているのは、「勉強がわからない」ではありません。
「もう、どうにもならない」です。
この2つは、まったく別物です。
「わからない」は、努力の対象になります。手の打ちようがある。
でも「どうにもならない」は、努力の対象になりません。だから手が止まる。当たり前です。大人だって同じでしょう。もう挽回できないと分かっている案件に、全力を出せる人はいません。
僕が親御さんからいちばんよく聞く言葉は、これです。
「うちの子、やる前から諦めるんです」
違うと思います。
やる前ではなく、一度がんばったあとで、降りているんです。
2.ある男の子が、勉強をやめた日
僕が出会う3年前の話です。
彼は、勉強が嫌いでした。
でも、大事だとは思っていた。お母さんもそう言うし、何より、テストの点がいいとお母さんが喜ぶ。それが嬉しかった。
だから彼は、自分から勉強を始めました。
誰かに言われたからではありません。自分で決めて、始めた。子どもの中でこれが立ち上がる瞬間は、そう何度もありません。
そして迎えた定期テスト。彼は、本当にがんばりました。
結果は──上がった科目も、ありました。
ただ、当然ですが、急に全部が良くなるわけではありません。何年かかけて開いた差が、数週間で埋まるはずもない。彼の答案は、数字だけ見れば「まだまだ」でした。
その答案を見たお父さんが、言いました。
「なんだこの点数は? もっと勉強しろ!」
お母さんは、彼がここ数週間、机に向かっていたことを知っていました。
お父さんは、知りませんでした。
そして彼は、こう思ったそうです。
「なんだ、がんばったって一緒じゃん」
その日、彼は勉強をやめました。せっかく自分で立ち上げたものを、たたんでしまった。
3年後に僕が出会ったとき、彼はまだ、たたんだままでした。
3.怖いのは、お父さんに悪気がなかったことです
この話をすると、「ひどいお父さんですね」と言われることがあります。
僕は、そうは思いません。
お父さんは、彼を傷つけようとしたわけではないんです。ただ、答案しか見ていなかった。それだけです。
答案しか見ていなければ、あの一言はごく自然に出てきます。むしろ、期待していたからこそ出た言葉かもしれません。
つまり、こういうことです。
家庭の中に、途中を知らないまま結果を裁く人が一人でもいると、成立しない。
しかも、その人は自分が裁定者になっていることに気づいていません。だから止まらない。ここが、この話のいちばん怖いところです。
もしお父さんが、彼がこの数週間どう過ごしていたかを知っていたら、第一声は違ったはずです。知らなかっただけなんです。
だから、責める話ではなく、共有する話なんだと思っています。
4.僕は30年、「途中を裁かない世界」にいました
教育の仕事に入る前、僕は30年間ダイビングのインストラクターをしていました。オーストラリア、バリ、タイ。海外での引率は70回を超えます。
ダイビングのライセンス講習には、実技のテストがあります。水中でマスクに水が入ったとき、落ち着いて外し、水を抜き、また装着する。パニックにならずにできるかどうか。
この試験に、「一度きり」はありません。
できなければ、もう一回。それでもできなければ、また、もう一回。理由は単純です。できないまま海に出したら、命に関わるから。
だから講習では、誰も「何回目でできたか」を記録しません。記録するのは、できるようになったかどうか、それだけです。
これは、記録が面倒だからではありません。途中を裁かないためです。
そして僕が30年見続けてきたのは、こういう光景でした。
途中を裁かれないと分かっている人は、驚くほど粘ります。マスクの水を飲んで、咳き込んで、目を真っ赤にして、それでも「もう一回お願いします」と言う。60代で初めて講習を受けにきた方が、です。
逆に「これが最後です」と言われた瞬間、体が固まる人がいる。手順が飛ぶ。さっきまでできていたことが、できなくなる。
同じ人間なんです。変わったのは、能力ではありません。設計です。
5.彼と僕がやったのは、勉強ではありませんでした
さて、たたんだままだった彼の話に戻ります。
彼と出会って、僕がまず一緒にやったこと。
ジャグリングです。
勉強ではありません。プリントも出していません。「そろそろ勉強も」なんて話も、しませんでした。
彼は、最初は全然できませんでした。ボールは落ちるし、続かない。当たり前です。誰だってそうです。
でも、やっているうちに、投げられるようになりました。続くようになりました。
その頃に、僕はこう言いました。
「練習すれば、必ずできるようになるよ。これ、ジャグリングじゃなくても一緒だから」
そして、こう続けました。
「もちろん勉強だって、やるかやらないかだけだと僕は思ってる。やってみれば? 手伝うし」
それだけです。特別なことは何ひとつしていません。
彼は、少しずつ学習を始めました。
そして数年後
通信制高校を、首席で卒業しました。
6.なぜ、勉強ではなかったのか
この順番には、理由があります。
彼が失っていたのは、学力ではありません。
「練習すればできるようになる」という実感のほうです。
あの日、お父さんの一言で切れたのは、努力と結果をつなぐ線でした。がんばっても一緒。だったら、がんばる意味がない。この結論は、いったん出てしまうと、なかなか覆りません。
そして厄介なことに、この線は、勉強では引き直せません。
なぜなら勉強は、彼にとって「切れた場所そのもの」だからです。切れた場所でもう一度試させるのは、いちばん条件の悪い賭けです。しかも成果が出るまで時間がかかる。
ジャグリングは違います。
昨日落ちていたボールが、今日は3回続く。
進歩が、その日のうちに、目で見える。
ここで線がつながる。つながってから勉強に戻れば、
もう「がんばっても一緒」ではなくなっています。
だから僕は、こう考えています。
止まった子を動かすのは、勉強ではありません。「やれば変わる」が見える、勉強以外の何かです。
それが何であるかは、子どもによって違います。ジャグリングでなくてもいい。料理でも、ゲームでも、けん玉でも、なんでもいい。
条件はひとつだけ。
上達が、本人に見えること。
7.ただし、「いつ降りたか」で打ち手が変わります
家でできることを書く前に、一つだけ。
ここまで読んで「うちの子もそうかもしれない」と思われた方は、たぶん次にこう考えたはずです。
いつから、そうなっていたんだろう。
これは、とても大事な問いです。なぜなら、降りてからの時間の長さによって、今日やっていいことが変わるからです。
降りたばかりの子には、まだ火種が残っています。この段階なら「もう一回やってみる?」で、わりとすぐ手が動きます。
でも、彼のように何年もたたんだままの子に同じことを言っても、「急にどうしたの」で終わります。むしろ警戒される。この段階でまず必要なのは、誘うことではなく、評価がゼロの時間をつくることのほうです。
同じ声かけが、時期によって効いたり、逆に働いたりする。
不登校がややこしいのは、ここです。良かれと思ってやったことが裏目に出るのは、方法が間違っていたからではなく、順番が合っていなかったからであることが、本当に多い。
そしてもう一つ、大事なことがあります。
順番を決めるのに必要なのは、子どもの状態だけではありません。親であるあなたが、今どこにいるかです。
650の家族を見てきて分かったのは、親の側にもはっきりした段階があるということでした。戸惑っている時期、焦って怒ってしまう時期、自分を責め続ける時期、力が尽きる時期。そして、そこを抜けたあとの時期。
あのお父さんの一言も、たぶん焦りの時期に出たものです。時期が違えば、同じ人でも違う言葉が出ます。
なので、次に書く3つも、全部を一度にやらないでください。今の位置に合うものを、一つだけです。
8.家でできる、3つのこと
① がんばり始めたことを、家族全員に共有する
これを最初に置きます。彼の家で足りなかったのは、これひとつでした。
子どもが自分から何かを始めたら、その日のうちに、家にいる大人全員が知っている状態にしてください。
言い方は簡単でいい。「あの子、最近ちょっと机に向かってるよ」。
それだけで、結果を見たときの第一声が変わります。第一声が変われば、続きます。
② 勉強以外で、「やれば変わる」が見えるものを一つ
上達が本人に見えるものなら、何でも構いません。
大事なのは、親が上手である必要はないということです。むしろ下手なほうがいい。一緒に始めて、一緒に下手で、一緒にできるようになるのが、いちばん効きます。
そして、絶対にやらないでほしいことが一つ。
それを勉強の交換条件にしないこと。「これができたら勉強もね」と言った瞬間に、全部が評価に変わります。
③ 何回目でできたかを、数えない
これは、僕が海から持ってきたものです。
「昨日もできなかったよね」「何回言ったら分かるの」──この2つは、回数を数えている言葉です。数えられていると分かった瞬間、子どもは回数を増やせなくなります。
回数を数えるのをやめると、子どもは回数を増やせるようになります。
ついでに、「わかった?」も「もう一回やってみる?」に変えてみてください。前者は正解を要求する質問で、分かっていない子は「うん」と嘘をつくしかありません。後者は、やり直す許可です。
9.一人で伴走しなくていい
僕は、子どもの学びにAIを使っています。
子ども向けのAIスクールも運営しています。
ただ、正直に書きます。
彼を動かしたのは、AIではありません。
一緒にボールを投げた時間です。
あれはAIには代われません。
AIが強いのは、その次の段階です。
AIは、何回間違えても、ため息をつかない。
同じ質問を5回しても機嫌が悪くならないし、
「さっき言ったよね」と言わない。
そして、回数を数えません。
これは親にはできません。無理です。
僕にもできません。人間だから、疲れるからです。
5回目には顔に出ます。子どもは、それを見ています。
だから僕は、親御さんにこう伝えています。
「一人で伴走しなくていいですよ」
伴走をやめてくださいという意味ではありません。やめていいのは、全部を一人で背負うことのほうです。
そのうえで、役割を分けてください。
最初の一つ(やれば変わる、を取り戻す)=人と、体で
その後の反復(何度でも付き合う)=AIに渡していい
順番を逆にすると、うまくいきません。線が切れたままの子にAIを渡しても、それは「一人で勉強しなさい」と同じ意味になってしまいます。
なお、渡し方にもルールがあります。何も決めずに持たせるのは、器材の点検をせずに海に入れるのと同じで、僕は反対です。ここは長くなるので、別の記事に譲ります。
おわりに
冒頭の、答案を裏返す動作の話に戻ります。
あれは、諦めの動作ではありません。
「見られたら、また裁かれる」と思っている動作です。
裏返しているのは点数ではなく、
その裏にある、誰にも見られなかった時間のほうです。
彼は3年間、たたんだままでした。
そこから、ボールを投げて、続くようになって、少しずつ勉強を始めて、首席で高校を卒業しました。
3年です。長いと思いますか。
僕は、3年たっても開いた、という話だと思っています。
だから、あなたのお子さんについても、まだ何も終わっていないと思っています。
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この記事は、一度がんばったあとで折れた子の話でした。
もうひとつ、がんばる前から降りている子の話も書いています。誘っても誘っても動かない子に、「やってみたら?」がなぜ効かないのか、という話です。
お子さんがどちらのタイプかで、打ち手が変わります。
▶︎ 「やってみたら?」と言うほど、子どもはやらなくなる
https://note.com/ushimanabi/n/nbe184a792fe4?app_launch=false
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本文に書いたとおり、不登校は段階によって「やっていいこと」と「まだやらないほうがいいこと」が変わります。順番を間違えると、良かれと思った声かけが逆に働きます。
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出典・注記
麹町中学校の改革と方針転換について:日本経済新聞(2023年10月)、東京新聞(2024年6月)
本文中のエピソードは筆者が現場で関わった実話をもとに、個人が特定されないよう加工しています
