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見知らぬ7人:息子が倒れた日のこと

最近、少し暑くなってきた。

日差しが肌に刺さるようになると、 去年の夏のことを思い出す。


息子がぐったりしたのは、そんな季節のことだった。



夏の午後だった。

マンションの入口付近。



外の熱気がまだ体に残っていて、 だけど息子は少し顔が白かった。

そのまま道端に嘔吐した。

最初に気づいたのは、入り口をモップで拭いていた管理人のハビエルおじさんだった。



駆け寄ってきて、救急車を呼ぼうとした。

それから数分のことだ。

隣の住人と話していた路上のおじいさんが うちわのようなもので息子を仰ぎはじめた。


通りを歩いていた若い女性が足を止めてかけよってきた。

主婦が、おばあさんが、集まってきた。

気づけば、知らない人が7人いた。

誰も頼んでいなかった。

声をかけたわけでもない。

ただ、困っている人がいた。

それだけで、人が集まった。


嘔吐物を掃除する人がいた。

荷物を持ってくれた人がいた。

息子に声をかけ続けてくれた人がいた。

息子の手を握り続けてくれた大学生がいた。


救急車はなかなか来なかった。


おばちゃんが路上に飛び出して、タクシーをとめてくれた。



スペインでは、救急車よりタクシーの方が早いことがある。

僕はその場で、少し動けなかった。

感謝、というより、 もっと根っこにある何かだった。



うまく言葉にならないまま、ただ見ていた。




スペインに来てから、こういう場面を何度か見てきた。


地下鉄の改札が開かないとき、 見知らぬ人が自分のカードを差し出す。


困っている人がいると、「どうしたの」と声がかかる。


迷惑なことがあれば、みんなで指摘する。


でもそれも、責めるというより、 関わっているという感じで。

強制でも義務でもなく、 ナチュラルに、そうなる。



東京にいた頃の自分を思い出すことがある。

日本では、どこかに「誰かがやってくれる」という空気がある。


それとも、「出しゃばってはいけない」という空気か。


ただ、文化がそうなっている。

昔、エレベーターの中で、 見知らぬ人と目が合うのが気まずかった。

困っている人を見かけても、 一瞬躊躇して、通り過ぎていた。

何度となく、小さな罪悪感を抱えつつも見て見ぬふりをしてた。

急いでいるから。


恥ずかしいから。

でも本当は、 どう関わればいいかわからなかったのかもしれない。




あの日、息子の顔に色が戻ってきたとき、 おじいさんが笑って言った。


「おじいちゃんのうちわは魔法のうちわなんだよ。」

お礼を言ったら、手を振って何事もなかったように、連れていたブルドッグのリードを引っぱって去っていった。




あれから、僕は少し変わったと思う。


困っている人を見かけると、 以前より早く体が動くようになった。



声をかけることを、迷わなくなった。


それがスペインのおかげなのか、 歳を重ねたからなのか、 あの日見たものが何かを変えたのか。


わからない。


ただ、あのおじいさんが笑った顔が まだ、頭の中にある。






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