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死ぬときに「あの国に住んでよかった」と思えるか

「ここで死ねるのか」


ふと、そんな声が降りてくることがある。

ただ、この街の空気を吸いながら、ふいに思う。

死ぬ間際の自分は、何を思い出すんだろう。

この街の光だろうか。

それとも、日本に残してきたものだろうか。

「この国に住んでよかった」

そう思える自分がいるのか、正直わからない。




スペインで知り合った日本人の女性が、去年日本に帰った。

別に何かがうまくいかなかったわけじゃない。

「疲れた」と言っていた。


削られるのに、疲れた、と。


笑いながら言っていたけど、目が少し赤かった。

その言葉が、ずっと頭に残っている。

自分は、いつ疲れるんだろう。



日本にいた頃の自分。

肩書きや実績や、人間関係の蓄積。

そういうものが、ここでは何の重みも持たない。

ゼロになる。

何度もゼロになる。


ゼロになるたびに、少しだけ軽くなる。

背負っていたものが、本当に必要だったのか。

あの肩書きは、自分のためだったのか、誰かに見せるためだったのか。

削られた後に、ようやく見えてくるものがある。




「よかった」と思えるかどうか。

それはたぶん、この国が素晴らしいかどうかとは関係がない。

どこの国にだって理不尽はあるし、孤独はある。


天気がよくても、心が曇る日はある。

問いの本質は、もっと手前にあると思う。

「自分で選んだか」ということだ。

流されたのではなく、誰かに決められたのではなく、自分の足でここに来たのか。

その感触があるかどうか。

完璧な選択なんてなかった。

今でも、これでよかったのか迷う夜はある。

でも、迷いながらこの場所と関係を持ち続けている。


知らない言葉を少しずつ覚え、間違え、また覚える。

死ぬときに「あの国に住んでよかった」と思えるか。

たぶん、思える。

でもそれは、この国が正解だったからじゃない。

自分で選んだということ。


その一点だけが、最後に残るような気がしている。

確信じゃないけど。

ただ、今のところ、朝起きたときに「ここにいたくない」とは思わない。


それで十分なのかもしれない。





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