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「移住して、よかったですか」と聞かれて


「これでよかったのかな?」



夜中に、ふとその声が聞こえることがあった。


誰に聞いているわけでもない。


答える人もいない。


それでも、その問いは何度でも戻ってきた。



日本にいた頃、僕はずっと正解を探していた。


どの会社に入るのが正解か。



何歳までに何を持っているのが正解か。


誰かが決めた道の上を、どれだけ効率よく歩けるか。



それが上手い人が、うまくやっている人なんだと思っていた。



海外に出れば、その物差しから降りられると思っていた。



でも、降りられなかった。



スペインに来てからも、僕は同じ問いを持ち込んでいた。



「移住は正解だったのか」


形が変わっただけで、やっていることは同じだった。



うまくいかない時期があった。



仕事が思うように進まず、言葉も通じず、その日まともに会話したのがパン屋の店員だけ、という日が続いた。


そういう夜に、必ず日本の自分をシミュレーションした。



あのまま日本にいたら、今ごろどうなっていたか。



もっと稼いでいたかもしれない。



友人と気軽に飲んでいたかもしれない。



存在しない自分の人生を、何度も再生した。




比べている相手が実在しない人間だと気づくまでに、ずいぶん時間がかかった。



ある日、日本から来た人に聞かれた。



「移住して、よかったですか?」



一番よく聞かれる質問なのに、その日は言葉が出てこなかった。



よかった、と言えば嘘になる気がした。



よくなかった、とも違う。


黙ってしまった僕を見て、その人は気を遣って話題を変えた。




帰り道、なぜ答えられなかったのかを考えていた。



質問が間違っていたわけじゃない。



僕が、答えを持っていなかった。



正解だったかどうかを判定するには、選ばなかった方の人生を知らないといけない。



でも、それは絶対に手に入らない。



この問いには、最初から答えがない。



答えのない問いを、僕は何年もかかえていた。




その日から、「正解だったか」を考えるのをやめた。



やめると決めた、という感じでもない。



考えても意味がないとわかったら、自然と回数が減っていった。



代わりに残ったのは、もっと単純な問いだった。



今日は、悪くなかったか。



朝の光が入る部屋でコーヒーを淹れて、原稿を書く。

夕方に市場まで歩く。


それが悪くなければ、それでいい。


正解ではないかもしれない。


でも、悪くない。


この二つは、まったく別のことだった。



今も「これでよかったのかな」という声は、たまに戻ってくる。



前ほど大きくない。



返事をしなくても、勝手に消えていく。



正解を探していた頃より、たぶん少しだけ静かに生きている。



その静けさが正解の代わりになるのかどうかは、まだわからない。





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