【アニメSSSS.GRIDMAN感想】友達が分からない
※本記事にはアニメ「SSSS.GRIDMAN」のネタバレが含まれます。
SSSS.GRIDMAN(以下、グリッドマン)というアニメを全話視聴した。テンポがよく、飽きの入る間もない展開が続いて、私にしては珍しくイッキ見してしまった。
新城アカネというキャラクターに感情移入したので、そのことについて書きたい。
グリッドマンで描かれる世界は、新城アカネという少女が作った世界で、アカネはその世界の神様らしい。そして、その世界は夢であったような描写が最終回で仄めかされていて、最終回のラストシーンはアニメーションではなく実写の世界が映し出されて、現実世界のアカネ?が布団から這い出てくる。
アカネは引きこもりの少女である。
夢の方の世界でも、アカネは大きい家の中で、実際のところ自室だけで生活している様な描写がある。自室以外は綺麗で片付いてるのに、自室には弁当の空箱が入っていると思われるゴミ袋が所狭しと放置されている。アニメの中でアカネが映る時は、ほぼ自室の中で、もっと言うなら自室のパソコンデスクのチェアに座っている。
とても簡略な説明になるが、グリッドマンの最終回でアカネは自室にこもるのではなく、他者の居る外の世界へ自ら足を踏み出す。
最終回で、アカネが立花という友達に心情を告白するシーンがある。
アカネ「私はここで取り返しのつかないことばかりをした」
立花「知ってる」
アカネ「私は卑怯者なんだ」
立花「知ってる」
アカネ「私は臆病で…狡くて…泣き虫で…」
立花「(食い気味に)知ってる」
立花「アカネのことなら、私は知ってるから」
この自分という存在(アカネ)が、いかに醜いのか、他人にどれだけ受け入れがたい存在なのかを六花に告白するシーンは、私にはとても痛かった、涙が出てきた。
ほとんどアカネと同じことを、自分も思っている。
自分のような醜い存在が、他者に受け入れてもらえるはずがないと。
世界は他人だらけで、そんな世界に居場所を見いだせないのなら、一生を自室や仮想空間で過ごしたいと。
でもそれは不可能に近いし、多分、ふと気がついた時に、自分なりの幸せから遠のいていると思う。
自分という等身大の醜さを、誰が受け止めたのか?
アニメ「グリッドマン」の回答は、友達だった。
友達というのは特異な人間関係だなと思う。
家族なら血のつながり、ビジネスならお金のつながりがある。
友達を繋げているものはなんだろうか?
利害でも、必然性でもないもの。
ひとこと「愛」とでも言ってしまえば、乱暴に説明がつくのだけど、何かを取りこぼすと私は思うので、「愛」のひとことで片付けたくない。
六花が言っていることもとても印象的だ。
「知ってる」
「アカネのことなら、私は知ってるから」
知っているのだ。アカネのネガティブな面をちゃんと知っている上でも、友達関係は崩れていないのだ。
ここでまた補足なのだけど、アカネはこの自分が作った夢の世界を、怪獣を使って壊そうとしていた。自暴自棄になって、投げやりにこの世界を終わらせようとしていた。
六花からしてみれば、自分の世界の神様がこの世界に住んでいる自分たちを省みずに、自分勝手に世界を壊すのなら、友達としての縁を切ってもおかしくない。利害関係なら、とっくに見放されているだろう。
でも友達のままだ。アカネのとても汚くて嫌悪が湧くような面を、六花は知っているのに。
私はこの謎の関係である友達について、答えがあるからこの文章を書いているわけではない。だから私にも友達がよく分からない。
私の友達について
私はメンタル疾患を患っている。不調の時は付き合いが悪くなる。友達に日常生活の細かい支援をお願いすることもある。情緒が不安定で、突然怒ったり、無言になったり、騒いだりする。
有り体に言えば、厄介なメンヘラだ。
もちろん、それらの迷惑に対して、私ができるなりの恩返しはしているのだけど、それだけで釣り合いが取れているとは到底思えない…。
でも何故か友達で居てくれる。助けてもくれる。
分からない。なんでなのか。
友達という人間関係を表す言葉を探していた時に、「信頼関係」という言葉が思いついたけれど、私の友達に対しての「信頼」は地に落ちているはずだ。
分からない。見捨ててほしいくらいだ。
利害でも、必然性でもないもの。
グリッドマンの中でも、友達の定義については出てこない。

