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my song is your song

the pillowsが解散を発表した。2025年2月1日のことだった。

僕は実家に妻と子と遊びに来ていた。子をプレイスペースに転がしてスマートフォンを開いたとき、グーグルにサジェストされた記事のタイトルが目に入った。
「the pillowsを応援してくださっている皆さまへ」というその記事は、読まずして何かを予感させつつ、またベース関連か?とか、40周年記念ライブは膝が痛いのでやりませんとかかな?とか、お気楽なことを考えていた。

でもそれは多分、現実逃避に近い。

ほとんど毎年リリースされていたアルバムは全くリリースされなくなり、その最後のアルバムのタイトルは「rebroadcast」。さわおさん自らをもって反則と言わせるほど昔やった手法をふんだんに取り入れつつ、焼き直しと言わせない真新しさを見せつけたあのアルバムは、それこそ雷雨の中で見る花火のような、いつ消えてもおかしくない、しかし大きな炎だった。

アルバムどころかシングルもほとんど出なくなり、直近でリリースされた会場限定EPのタイトルは「blank」。

つまらなくなった世界を睨んで
何をしようか 探しに行こうぜ
涙目で全部ぼやけてるけどさ
空白の中に 探しに行こうぜ

書かれた歌詞は本人の認識を超えて現れてくる。どういう形かは分からないけれど、さわおさんはいつもそうだった。これからもそうなのかもしれない。


さわおさんのソロ活動がものすごく活発化していることもふくめて、なんとなくの兆候は色んなところで見え隠れしていた。書きたくないので他には書かない。書いたけど消した。あんまり触れたくない。さわおさんが「楽しいことなんて一つもない」と言い切ることに、僕があえて触れたいとは思わない。


実際、僕は記事を読んでも驚かなかった。
解散の言葉を見て、大きく息を吸った。それから小さく頷いて、僕が16年ファンをやっていることを知っている妻に報告した。

妻はものすごく驚いて「悲しいね」と言った。
そうか、僕は悲しいのかもしれない。
でも何が悲しいのかは分からなかった。生演奏を二度と聴けないから?青春と人生の象徴のようなものがいなくなってしまったから?

一体僕は、ピロウズの曲にどれだけ励まされてきたのだろうか。

誰もが忘れても僕は忘れたりしないぜ
世界が笑っても自分を疑わない
世界が変わっても僕は変わらない

どんな靴を履いてても歩けば僕の足跡
立ち止まればそれまで 僕が終わるしるし

キミの夢が叶うのは誰かのおかげじゃないぜ

たどり着いた誰かが残していった旗に群がるなんて 下品なしきたりさ
来るべきときが来たら キミの立つ足元も頂上なんだ
それは間違いない

ここは途中なんだって信じたい
昨日まで選ばれなかった僕らでも
明日を持ってる

抱き合わせなんだろう 孤独と自由はいつも

年をとって忘れられてく痩せた枯れ木に
星が咲いていた

神様よりキミを信じる

どんなに寂しくても誰も迎えに来ないよ
迷子の知らせ アナウンスはかからない

世界中の窓から笑い声が溢れて
二人で帰り道を帰る

雨も水たまりも気にしないぜ
すぐに乾くんだ

触れたらなくなりそうな夢を見て
それでも手を伸ばし続けてる

行こう
昨日までのキミを苦しめたもの全て
この世の果てまで投げ捨てに行こう

胸に刺さってる棘を抜いて
臆病者のマスク剥がして
絡みつくロープがほどけたら
キミに伝えたいことがある
うまく笑えなくたっていいよ
泣きたいときは泣いてもいいよ
こっそり弱音吐いてもいいよ
偽りのない世界まで 確かめに行こう

あの虹をそれでもまだ見てる
不自然じゃない みっともなくても

どんなに悲しくても
生きのびてまた会おう

そうか。僕は、悲しいんじゃなくて、寂しいんだ。

ライブに行かない日々が続いても、僕が体験していないだけで、あの最高に格好良いライブはどこかに存在していて、その事実はいつも僕を励ました。
ピロウズの新曲がリリースされない日々も、それこそトライアル後の活動休止のように、メンバーがエネルギーを溜める期間だとして、また戻ってくるからと勝手に想像して待っていた。

そういう、僕に関係ないところで行われている営みが、どこかにあるだけでよかった。ただそういう空間と時間がどこかにあるということを知っているだけで、僕はほとんどライブに参加しているような気分でピロウズを眺めていた。

それが無くなったということだ。
僕が見る見ない、行く行かないと全く関係なく、そこにあったものは、また全く関係なく、無くなってしまった。


さわおさんのブログを読んで、嫌なほうの想像通りだったというか、順風満帆、円満での解散ということではなかった。そりゃそうだ、山中さわおはことあるごとに解散はしないと言っていたのだから。相当な状況になってしまったのだろう。色々なことが、色々と。

僕は何も知らないし、繰り返しになるけれどさわおさんが語りたくないことを知ろうとも思わない。ただ、感謝の気持ちだけは伝えたい。

本当にありがとうございました。あなたがいなければ、あなたの音楽に出会わなければ、きっと僕はもっと鬱々とした日々を送っていたと思います。どこにも頂上なんてないし、誰かが残していった旗に群がる必要もない。自分の足で歩けば靴を問わずそれは僕の足跡だし、多少みっともなくてもあの虹を見続けていいんだなと思えた。雨も水たまりもすぐに乾くのだし、ピロウズは僕の光だったし、神様よりキミを信じようと思えた。

日々を生きていくうえでは、小さな壁を繰り返し乗り越える力が必要だ。そういう、外から見たら当たり前に見えるような私の小さくて大きいものは、ぜんぶさわおさんの歌詞を通して、もしくは歌詞に寄り添ってもらいながら身に着けたような感覚でいる。ふと苦しくなったり悲しくなったときに、適当にピロウズの曲をシャッフルしているだけで、自然と僕の苦しみに小さな穴をあけてくれた。死にたくなるほど絶望的だって、ピロウズの曲はいつもそこにあった。


まだそこにある曲。ピロウズに歌われることはもうない曲。
でもきっと、ピロウズを聞いてでしか、この傷は治らないだろう。聴いて傷ついて、再びその傷を治す。


今日は新しい僕の誕生日なんだ
記念写真を撮り直すからおいでよ
扉の向こうには約束なんてない
でも行こう
生まれ変わる朝が来た


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