はじめての俳句鑑賞エッセイ <29>


俳句の鑑賞の仕方。

私も、俳句を続けていますから。

俳句を見せても、「どういう意味?」と聞かれること多数です。

そんなあなたに、大事なことは2点です。

写実的な、物に託す俳句がある。
① 俳句そのものが綺麗という写真的な俳句
② ものを描くことで、そこはかとなく感情を映した俳句

季語に感情を託す俳句がある。

ひとつずつ考えていきますか。

例句はこちらです。

菜の花や月は東に日は西に 与謝蕪村

江戸時代だから俳諧だ!という言葉はさておき、

やはり、写真的な俳句。
これは、誰が見ても綺麗。という部分がある俳句で、
一番わかりやすいと思います。

作者はどんなところが綺麗と感じたのだろうか?
なんて、思いながら俳句を見ていくといいですね。

夏草や兵どもが夢の跡 松尾芭蕉

俳句には、
「季語」が出てきます。
季節を表す言葉であり、
独特の思いが乗っかってきています。

向日葵を見たら、
元気だなぁ!夏の力強い感じだなぁ!と感じるような感覚を、
全ての季語が持っています。

夏草や兵どもが夢の跡

この句は、
夏草は、力強い感じかな?生命感があるな!
と季語を鑑賞しながら、

兵どもが夢の跡

昔戦った場所なのかなぁと。
過去の生命同士が戦い、亡くなってしまった寂しい感じと
今の現代の力強い夏草の生命感を、
時代を超えて響かせるアプローチなのかな?と私は感じました。

例えば、
降る雪や兵どもが夢の跡

とすれば、
少し寂しい印象と、
少し寂しい印象を響かせるアプローチになるのではないかな?と感じます。

この、合わせる季語によってフレーズの意味が変わってくる感じも、
感じ始めると、俳句が分かってきたかも?
と思うことが増えてくると思います。

季語と同じ方向性で響かせる俳句も、
季語と別の方向性で響かせる俳句もあります。

この句は対比構造で描こうとした。
もしかしたら別の俳人なら、
寂しさの選ぶ降る雪で詠んでいたかもしれません。

私は、俳句を始める前の自分に説明するなら、
基本はこれだけです。


作者はどんなところが綺麗と感じたのだろうか?
作者はどんな感情を伝えようとしたのだろうか?

ということを見ながら、

日本の文化の「季語」も感じながら、
ページをめくっていって、お気に入りの俳句を見つけて行ってもらえたら嬉しいです。
鑑賞やあなたの好きに正解はあまりありません。

あとは、
切れ字といって、
「や」「かな」「けり」(「よ」)が良く出て来るのですが、
ビックリマーク。その前の言葉を強めているよ。
と思ってもらったらいいと思います。

だから、二個ビックリマークがあると、
主役がブレるかもしれないと高度だよ。

そして、現代俳句は、
季語を主役にする感覚が強くなってきているので、
季語を2つ入れるのも高度だよ。

もうひとつだけ加えると、

自分で句を作る時には、
一つ一つの言葉の成分を分析して、
どう前後に言葉の意味を利用してつなげていくか部門があるのですが、
それは、俳句に慣れてくると、感じていくのかなと思います。

まずは17音を感じていって欲しいです。

私なりに簡単に説明するとこういう文章になります。

だけど最後に、

晩年の金子兜太先生が、
初心者に季語だの切れだの最初に教えるのはどうか。
と言っていました。
(引用の範疇で引用したい文章)

「ねばならない」から自由になれ 金子兜太

青少年に俳句を教えるとき、約束事から入る者がいるという。驚くべきことだ。今の時代、そういうものからはもう解放されていると思っていた。
俳句の必須条件として最初に「季語」だの「切れ」だの「文法」だのを教えることが俳句をいかに狭めるか。私はそれが恐ろしい。若いうちから俳句を狭い範囲のものとして受け取り、狭い詩を書くことはやめてもらいたいと心から願っている。
「季語」や「切れ」について真面目に考え、教えている人が大勢いることはわかるし、彼らを非難するつもりは全くないが、そういう考えに凝り固まるのは狭いと言わざるを得ないだろう。高校生にはルールなんかいらない。自由に書けばいいのだ。せめてルールをというなら、「五七五」だ。五七五で書きさえすればいい。
高濱虚子の提唱した「俳句には季語がなければいけない」という考え方は過去のものであろう。そういう教えから解放された上で、それでも自分にとっては季語が必然で、詩語 (詩の言葉)としてぴったりくると自ずから思えるのであれば使えばいい。「みんなが使っているから使わなければいけないのかな」なんていう束縛を高校生が感じるのはまったく無用。
私は、季語はむしろ便利に活用したらいいと思う。 実際、季語には長い歴史の中で約束されてきたものがあるのだから、これを大事にしてやって効果的に使うことだ。私は、使わなければならないと思って季語を使ったことはただの一度もないが、「ねばならない」というものを自分の頭の中に設けなければ俳句が作れないという人は案外多いのではないか。それは勿体ないことだ。自由にやって欲しい。自由にやっているうちに妙にぴたっと時型に収まる瞬間があるものだ。それをぜひ高校生諸君にも体験して欲しい。
日本の定型はそういう力を持っている。


よく眠る夢の枯野が青むまで 兜太


金子兜太(かねことうた) 一九一九年生まれ。高校時代より句作。 東京大学入学後、加藤楸邨に師事。一九六二年、同人誌「海程」創刊、後、 兜太主宰誌。現代俳句協会名誉会長。 朝日俳壇選者。 一九八八年、紫綬勲章受章。二〇〇五年、日本芸術院会員。二〇〇八年、文化功労者。 句集に「少年」 現代俳句協会賞、「東国抄」(蛇笏賞)、「金子兜太集」全四巻など。

17音の青春2018(p6,7)

私の見る限り、
世の中の俳句を趣味にする人の95%の人が、
季語があり、定型の5・7・5の俳句を詠んでいます。

なので、このことは最初に一応説明はさせてもらったのですが、

そんなことは、2023年の現代には、
古いことなのかもしれません。

現代の感覚で、あなたの感覚で、
「スキ」こういうところがいいと思った!ということを探してほしいです。

そして、みんなのスキが溢れる本になれば嬉しいです。

そうなると信じています。

愛を込めて。


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