見出し画像

「これが普通」が壊れた日、快適が来た。


いつも読んでくださり、ありがとうございます。
スキやコメント、フォロー、本当に嬉しいです。
ひとつひとつ、大切に読んでいます。

本当は、お一人お一人の手をとって、目を見て「ありがとう」と言いたいです。
それくらい、届いていることが嬉しいです。




我慢していたことに、気づいていなかった

気に入らない服を、ずっと着ていました。
「嫌だな」と思いながら…じゃない。

もっとやっかいなのは、嫌だと思っていることにすら、気づいていなかったってこと。

違和感はあった。
でも脳内で勝手に処理されていく。

「これくらい、いいでしょ」
「着るものがあるだけありがたい」
「そんなことで“嫌”とか言わない」

そうやって、違和感を“ないこと”にして着ていた。




快適を知ってから、不快が見えた

さすがにボロくなって、服を替えました。
新しいものに替えたら——

まあ、快適。快適すぎる。
「え?こんなに楽なの?」って、自分でびっくりしました。

その瞬間、遅れてやってくるんですよね。

「……そういえば、前の服、好きじゃなかったわ」
「……あれ、ずっと小さい不快だったわ」

快を知って、初めて不快が見える。
比べるものがないと、それが“デフォルト”になってしまう。

当たり前って、怖い。




違和感は、情報。 不快は、ヒント。

私は今回、ひとつ思いました。

違和感って、わがままじゃない。
不快って、敵じゃない。

むしろ、あれは自分のことを教えてくれる情報なんだよね。

「私は、何を嫌がっているのか」
「私は、何を我慢しているのか」
「私は、何を当たり前にしているのか」

不快を拾うと、こういう問いが立ち上がってくる。

そしてその奥に、だいたい“前提”が潜んでる。




「妥協点」が見えた日、自分が好きになれた

快適を一度味わうと、不思議なことが起きます。

服だけじゃなくて、別の“妥協”も見えてくる。
芋づる式に。

「あの靴も、別に好きじゃなかったな」
「それも、我慢してたな」
「気に入ってないのに、使ってたな」

もちろん、妥協が全部いけないわけじゃない。
現実ってそういうものだし、折り合いをつける場面もある。

でも、今回わかった。

妥協点って、ゼロにしなくていい。
ただ、少し上げられる。

この“少し”が、思っている以上に効く。

好きな服を着ている自分。
気に入った靴で歩いている自分。
それだけで、気分が整う日がある。

そして何より、
そういう自分のことを、ちょっと好きになれる。

「私、ちゃんと自分を丁寧に扱えてる」
その感覚が、今日の快適さの正体だったのかもしれない。




今日の提案:妥協点を、1ミリ上げる

大きく変えなくていい。
革命みたいなこともしなくていい。

今日、もし余裕があったら、これだけ。


  • 服、靴、バッグ、下着、寝具、文房具

    1. その中からひとつだけ見てみる

  • そして自分に聞く

    1. 「これ、私は本当はどう感じてる?」

    2. 「これ、妥協してない?」

    3. 「これ、違和感ある?」

答えが出なくてもいい。
見ようとするだけで、感覚が戻ってくる。

違和感と不快に気づけたら、それは弱さじゃなくて、回復のサイン。
進める自分は、そこから始まる。




結論:不快に気づけたのは、前に進んだ証拠

快適を知ったから、不快が見えた。
不快が見えたから、前提が見えた。
前提が見えたから、妥協点を上げられた。

この順番、すごくいい。
自分を責める材料じゃなくて、ちゃんと自分に戻るための道だった。

今日の私は、ひとつ快適になった。
それだけで、十分。




この記事が、「違和感を“気のせい”にしがちな自分」に気づくきっかけになっていたら、あわせてこちらも置いておきます。
『私のせいだ』その思い込みは、本当に事実なのか?


いいなと思ったら応援しよう!

心と言葉を整える|かんてら 応援したいと思ってくださった方へ。 チップという形で気持ちを受け取れたら嬉しいです。 無理のない範囲で、大丈夫です。