「これでいいはずなのに疲れる」そんな時に見てみたいこと
頭では、これでいいと思っている
頭では、これでいいと思っている。
先に返信を片づける。
会議の前に資料を確認する。
午前中のうちに、重いタスクへ手をつける。
どれも、仕事としては自然なことのように見える。
相手にも失礼がない。
あとで慌てるより、先に済ませた方が安心でもある。
それなのに、なぜか疲れることがある。
まだ何かが起きたわけではない。
誰かに責められたわけでもない。
予定通りに進めているはずなのに、体だけが少し固まっている。
画面の前に座る。
メールを開く。
返信内容も、だいたい決まっている。
けれど、送る前に何度も読み返してしまう。
言い方が強くないか。
冷たく見えないか。
相手に余計な負担をかけないか。
頭では、これでいいはずだと思っている。
でも、気づくと肩が上がっている。
呼吸が浅い。
マウスを持つ手に、少し力が入っている。
その時、疲れているのは、返信そのものだけではないのかもしれない。
「これでいい」の中に、何が入っているのか
仕事では、「これでいい」と判断する場面がたくさんある。
期限に間に合う。
周りから見ても問題がない。
自分でも、理屈としては納得している。
だからこそ、疲れに気づきにくいことがある。
自分で決めたことなら、しんどいと思うのはおかしい気がする。
でも、頭で納得していることと、
体が楽に動いていることは、必ずしも同じではないのかもしれない。
同じ返信でも、余力がある日に書くのと、
すでに何件も調整を抱えた後に書くのとでは、体の反応が違うことがある。
同じ会議でも、準備が整っている時と、
朝から小さな判断が積み重なった後では、受け止め方が変わることがある。
同じ作業でも、静かな場所で取りかかるのと、
通知が鳴り続ける中で取りかかるのとでは、消耗の度合いが違ってくる。
「これでいい」の中には、案外たくさんのものが入っている。
正しさ。
効率。
相手への配慮。
失敗しないための確認。
あとで困らないための先回り。
そのひとつひとつは悪いものではない。
けれど、それが重なった時、体の方が先に反応することもあるのだと思う。
仕事そのものが嫌いとは限らない
ここで、すぐに「この仕事が嫌なんだ」と決めなくてもいい気がしている。
ある作業の前だけ呼吸が浅くなる。
それは、その作業自体が嫌いというより、
「失敗できない」と感じているのかもしれない。
ある人への返信だけ、何度も読み返してしまう。
それは、その人を嫌っているというより、
「誤解されたくない」という調整が多いのかもしれない。
会議の前だけ肩が固まる。
それは、会議が嫌というより、
発言を求められた時にすぐ答えなければいけない緊張があるのかもしれない。
体の反応は、結論ではない。
でも、現状を知るための情報にはなる。
そう考えると、
疲れをすぐに好き嫌いや向き不向きへ結びつけなくてもいいのかもしれない。
嫌いだから疲れる。
向いていないから疲れる。
やめたいから体が固まる。
そういう場合も、もちろんあると思う。
けれど、それだけではなく、
今のタイミングや、自分の余力や、その場で求められている調整の多さに、体が反応していることもある。
改善ではなく、現在地を見る
体感を見るというと、すぐに「変えなければ」という話になりやすい。
肩の力を抜く。
呼吸を整える。
嫌ならやめる。
無理なら距離を置く。
そういう方法が助けになる時もある。
けれど、いつもすぐに変えられるわけではない。
仕事は残っている。
返信も必要。
会議にも出る。
作業を全部止められるわけでもない。
だから、体の反応を「直すべきもの」として見ると、
またひとつ課題が増えてしまうことがある。
肩に力が入っている。
呼吸が浅い。
画面を開く前に、少し身構えている。
それを見つけた時に、まずは
「あ、今こうなっているんだ」と知るだけでもいいのかもしれない。
自分の運転状態を確認するようなものだ。
燃料が少ないのか。
視界が狭くなっているのか。
同じ道でも、今日の自分には少し負荷が高いのか。
それがわかるだけで、判断の仕方が少し変わることがある。
今すぐやめる必要はない。
全部を変える必要もない。
ただ、「平気なはず」として通り過ぎていたものを、
平気ではなかったかもしれないと見られるようになる。
小さなサインを、責める材料にしない
疲れていると気づくと、また自分を責めたくなることがある。
こんなことで疲れるなんて。
これくらい普通にできるはずなのに。
みんなもやっているのに。
でも、その反応は、甘えや怠けとは少し違う気がする。
体が固まるのは、弱いからとは限らない。
それだけ調整しているのかもしれない。
それだけ先回りしているのかもしれない。
それだけ失敗しないように、内側で力を使っているのかもしれない。
頭では「これでいい」と思っている。
それはそれで、ひとつの判断。
でも、体が「少しきつい」と反応している。
それもまた、今の自分から出ている情報。
どちらかを否定しなくてもいいのだと思う。
これでいいはずなのに疲れる時。
その疲れは、結論を変えろという命令ではなく、
現在地を知らせるサインなのかもしれない。
まず、自分がどんな状態で働いているのかを知る。
それだけでも、「これでいいはず」の中で、
自分がどれだけ力を使っていたのかが、少し見えてくるのだと思う。
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▼合わせて読みたい
「これでいいはず」と思っているのに、体だけが止まる。
その感覚が近かった方には、こちらの記事もつながるかもしれません。
体が先に動いてしまう時、自分の意思が弱いのではなく、いつもの反応が自動で立ち上がっていることがあります。
今回の記事の「体の反応を現在地として見る」という話を、もう少し“反応のクセ”の方から書いた記事です。
もうひとつ、仕事の場面で「これくらい普通にできるはずなのに、なぜか動けない」と感じる方には、こちらも近いと思います。
確認するだけ。返信するだけ。電話するだけ。
頭ではそう思っていても、その先に責任や調整が乗ってくる予感があると、体が先に止まることがあります。
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