何もしないと、ひとは心から弱っていく
入院して、思っていた以上にきつかったのは、
痛みそのものよりも、「何もできない」時間だった。
最初は、「まあ、こういうときくらい休めばいっかー」
位に思っていた。
今まで頑張り過ぎたから気を楽にして休んだらいいよと
みんなからも言われ、そうだなー
なんて思っていた。
けど、だまっていられるのも10日位が限界だった。
体が動かない。
外の社会とも関われない。
自分がいなくても、世の中は普通に回っていく。
ときに空に舞うチリのような気持ちになってみたりして
できるだけ「無」になろうとした。
一日は過ぎていくのに、
自分だけどこにも進んでいない感じがする。
しかも病院という場所は、
ある意味すべてが整いすぎていて、
自分でやることが極端に少ない。
というか僕は何もしては行けない身だった
療養する上では完璧だし
本当にありがたいことだ。
でも同時に、
このままだと心まで寝たきりになってしまう気がした。
何もしないって、
一見ラクそうだなと思える。
妻も「私なら一生寝てられるー」
なんて冗談交じりに言っていた。
でも、長く続くと話が違ってくる。
休むことと、空っぽになることは、
たぶん別物だ。
何もしていない時間が続くと、
人は少しずつ自分の輪郭が薄くなっていく。
何もしていないというか
何者でもないような気がしてくる
そのうち日付や時間も気にならなくなり
「今日、自分は何をしたんだっけ?」
みたいな日が続く。
だから、自分は療養とリハビリ以外の時間は
小さくてもやれることをやることにした。
別に、「入院中に何かを成し遂げてやろう!」
みたいな立派な話ではない。
そんな意識高い系ではなく、
ただ、このままだと心がダメになると思っただけだ。
だから、とにかく何かを始めてみた。
どうせなら少しでも成果物が報酬に変わればいいなと思い
いろいろなネット副業をチェックしてみた、
いやーどうにも胡散臭いのが多い。
そして時間がかかりそうだ。
きっとフェアに稼げるものもあるのだろうが、
見つけた頃には退院することになるなこりゃ、と
思った。
そんな中、「おっ」と興味を持ったのがAIアノテーションの仕事だった。
最初は、「これなら病院のベッドの上でもできるかもしれない」
くらいの気持ちだった。
でも実際にやってみると、思った以上に頭を使い、
タスクが来るようになると予想以上にあせった。
そして「自分はまだ社会とつながっている」
みたいな感覚が少し戻ってきた。
これはけっこう大きかった。
結局、入院期間中に4つのAIアノテーションの会社に登録した。
今はその中の一社からコンスタントに仕事をもらっている。
このことは別の機会に詳しく書こうと思っている。
それから、音楽アプリでまた少し曲を作るようになった。
ほんのちょっとでも、自分の内にある感覚を
音などに置き換えて何かを作り出すと、
そのフィードバックで自分の今を確かめることができる。
うまいとか下手とか、完成度とか、そういうことじゃなくて、
自分の中にまだ“何かを生み出す力”が残っている
と確認できることがよかった。
結局6種類くらいのアプリを駆使して10曲くらい作っている内2曲はマスタリング終了(制作進行中)
完成した曲は心の赴くままサンプリングをしている為、世に出そうか迷っているが、聞いてもらった身近にいる数人は感動してくれたのでそれで充分である。
Noteも始めた。
最初は、
この入院生活をただの「しんどかった記憶」で終わらせたくなかった。
それに、もともと自分が何を考えていたのか、
何を感じていたのかを、
子どもたちに残しておきたい気持ちもあった。
でも書いてみたら、
それ以上に自分自身が救われた。
書くとスッキリするって
メンタル系の本に書いてあったのを思い出しながら、
書くことって本当に頭の中の曇りを外に出す作業なんだなーと思った。
これはかなりすっきりする。
LINEスタンプも作った。
自分でも何やってるんだろうと思いながら。笑
デザインは今まさに自分が必要としている、
禅と猫を組み合わせた脱力といやしである。
でも、そうやってちょっとふざけることも、
すごく大事だった。
「意味があるかどうか」より、
今の自分が少しでも手を動かせるかどうか
その気持を確かめるほうが大事だった。
なので思いついたことを片っ端からやっている(継続中)
そういう小さな遊びみたいなものが、
心を助けてくれることもある。

それから、将来の移住プランも考えて
現在それに備えた事業計画も作っている。
老後は地方の環境の良いところで暮らしたいねと、
いつも妻と話しているからだ。
もし地方に行くなら、
どんな仕事ができるか。
どんな暮らし方ができるか。
自分は何をやって生きていきたいのか。
心配をかけた妻は何を喜んでくれるだろうか?
まだ全部が形になっているわけじゃない。
でも、未来のことを少しでも考えると、
今日が「ただ過ぎる日」じゃなくなる。
病院のベッドの上でも、
未来に向かって小さく進む感じがあった。
それはかなり救いだった。
本も読んだ。
たぶん60冊くらい。
Kindle様々である。
でも今思うと、
本を読んでいたというより、
本に助けてもらっていた
のかもしれない。
人の言葉に触れると、
自分の頭の中だけに閉じ込められずに済む。
それもかなり大きかった。
こうして並べると、
なんだかいろいろやっているように見えるけど、
全部に共通していたのはひとつだけだと思う。
「自分を止めきらないこと」
常に好奇心を持ってやってみる。
それだけだった。
大きく前に進まなくていい。
すごい成果なんていらない。
でも、
心を止めると全てが終わる気がした。
入院してわかったことのひとつは、
人は「何もしていない」と、
休まる部分もあるけど、
長すぎると心が弱っていくということだ。
だからたぶん、
人には必要なんだと思う。
作ること。
考えること。
書くこと。
学ぶこと。
誰かとつながること。
それがあるだけで、
少しだけ「今日も生きた感じ」が戻ってくる。
今の自分にとっては、
それがAIアノテーションの仕事であり、
音楽であり、
Noteであり、
スタンプであり、
読書であり、
未来の計画だった。
何もできないと、
人は「大きな意味」を探したくなる。
何かにすがりたくなる。
でもたぶん必要なのは、
もっと小さなことなんだと思う。
今日ひとつ作った。
今日ひとつ読んだ。
今日ひとつ書けた。
今日ひとつ考えられた。
小さな前進
それだけで、
人は少しずつ自分を取り戻せる。
だから今もし、
何もできなくてしんどい人がいたら、
大きなことじゃなくていいから、
何かひとつだけ動かしてみてほしい。
本当に本当に小さくていい。
目を動かして窓の外の星を眺めるだけでもいい
その小さな一歩が、
意外と心を助けてくれることがある。
なんだか偉人の言葉みたいだが、
事故で両足折れて身動きできないただのおじさんの言葉だ。
でも少なくとも自分は、
そうやってこの数ヶ月を持ちこたえてきた。
何もしないと、
人は心から弱っていく。
だからこそ、
小さく、自分の手で何かを生み出し続けたい。
たぶんそれが、
今の自分の気持ちを保ってくれている。
