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事故から80日。両足骨折してから、ここまでの記録



1月13日に事故に遭って、両足を骨折した。

そこから気づけば、80日ほど経った。

1本目の記事では、この入院生活の中で考えたことを書いたけれど、今回は事故から今までの経過を一度整理しておこうと思う。

あとから自分で振り返るためにも、
子どもたちがもし読むことがあれば、そのためにも、
まずは「何があったのか」を残しておきたい。


1月13日 事故、救急搬送

事故は朝方4時ごろ。

駐車場内を歩いていたところ前方不注意の大型バンに左後方から轢かれ救急車でO病院に運ばれ、その後、昼すぎにN病院へ転送された。

そこでMRIの結果、両足複数箇所骨折が確認されダブルギブスで完全固定。
このときから、ほぼ完全なベッド上生活が始まった。

一応、「片足のかかとのみ無傷なのでそちら側で軽い荷重は可能」と言われたけれど痛みが強すぎて、そんなの現実的には無理だった。

毎日30分程度のリハビリ時間がありリハビリ室には行くものの急性期の患者さんは僕も含め痛みが強すぎて、やっていないに等しい感じだった。

食事もベッドの上。
トイレも一人じゃ行けない。

救急搬送先には妻が来てくれたが
事故直後は情報が処理できず本当に起きたことなのかと理解が追いつかなかったが、転送先で妻の涙を見て、ああ、これは本当に大変なことになったんだなと思った。


1月14日 立てない

事故の翌日、介助されながら一応リハビリ室で立とうとした。

平行棒につかまって立ってみる。
でも、0.5秒も立てなかった。というか後ろにひっくり返りそうになるので3秒で試合終了。以後立つ練習はドクターストップになる。痛み、というかまるでぎっくり腰の時のような足に踏ん張りがきかないといった具合だった。

事故直後は興奮状態で、どこがどれだけ痛いのかもよくわからなかったけれど、
この頃から少しずつ冷静に自分に起こったことを理解し始めて「あ、ここも痛い」「ここもダメだ」がわかってくる。

とにかく、あちこち痛い。

今日も来てくれた妻はかなり憔悴していて、
なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

同僚のKがお見舞いに来てくれた。本当にありがたい


最初の1週間 痛みと不眠

最初の1週間は、「何もできない」に近かった。

夜中に何度も目が覚める。
ダブルギブスで寝返りもままならない。
ギブスの先からでた指先に布団が触れただけでも痛い。
とにかく痛みで身体がぜんぜん休まらない。

ただベッドの上で天井と外を交互に眺めながら時間が過ぎていく。

でも、1月20日ごろになると、
超痛い状態は→すごく痛いくらいへと少し落ち着いてきた。

鎮痛剤を飲んで安静にしていれば、
なんとか我慢できる程度にはなってきた。

夜も多少眠れるようになり
そしてこの頃、腕力だけで車椅子移動する方法を覚え
介助なしでトイレに行く許可ももらえた。

翌日、病棟の中で一番緊急度の高い部屋から、一般の部屋へ移動してほんの少しだけ「生活」が戻ってきた感じがした。


初シャワーと、転院の話

1月21日、事故後はじめてのシャワー。

両足のギブス部分をゴミ袋で包んで、ガムテープでぐるぐる巻きにしてもらう。介助してもらい水陸両用の車椅子に移動
し浴室へ、気分はガンタンク。

この頃、主治医の先生から
「ここは急性期の病院なので、基本の入院期間は2週間なんですよー」と伝えられ転院の話が出た。

一応、自宅に戻るという選択肢もあったが、
車椅子でほとんど立てない状態で、風呂もトイレも家の設備では厳しい。

家族とも相談して、主治医からお勧めされたリハビリテーション病院への転院を希望した。

ただ、1月22日にソーシャルワーカーさんから
「現在リハビリ病院は10人待ちなので転院は1ヶ月後かなぁ」と伝えられる。


2月 停滞と、最初のメンタル落ち

2月9日。

ベッドが窓際だったこともあって、
窓からの冷気で足が冷え、痛みで眠れない夜が続いた。

足をそれぞれバスタオルでくるんで寝る。
指先に何か少しでも触れると激痛だった。

この頃が、最初のメンタルの落ち込みだったと思う。

「これ、いつまで続くんだろう」
という将来への不安が募っていった。

そんな僕の気持ちを察してか主治医の先生をはじめ
みなさんが、いつまでもいてもらっていんですよー
と、優しい言葉をかけてくれた。
しかし、翌日の2月10日
急遽リハビリ病院に空きが出て、2日後に転院が決まる。


2月12日 転院、そして本格リハビリ開始

2月12日、介護タクシーでリハビリテーション病院に転院。

ここから毎日3時間のリハビリ生活が始まった。

急性期病院とは時間の流れも空気も違って、
「あ、ここから本当に回復に向かっていくんだな」と感じた。

翌日誕生日をひかえた次男が転院を手伝ってくれたの「そっかー、おとうさんいないのかー」といっていたのが地味に心に染みた。

「何もしてあげられない」という感覚がじわじわ来る。


3月2日 ギブスカット、そして全荷重へ

3月2日、ギブスが外れた。

ここから全荷重のリハビリが始まった。

でも、ギブスが外れたからといって、
すぐ歩けるわけではまったくなかった。

膝下から足先にかけてもやしみたいになり筋力が落ちていて、頭で「動け!」と思っても、信号が足に届いていない。

指もほとんど曲がらない、何なら反っている。
立つと膝下がガクガクして
まるで生まれたて。

そして、足をつけるととにかく痛い。

「歩くってなんだっけ?」
と本気で思った。

平行棒につかまって立つ練習が始まるが9割くらい腕の力で立っている感じ。

以外だったのは、たった1mくらい視点が高くなるのが怖かった。

平行棒の間をほぼ腕の力で歩き(?)
歩行速度を測ってもらったら、分速3メートル。
療法士さんと「まるで、新海誠の秒速5センチメートルですね」と笑いあった。

あとで計算したら本当に秒速5cmは分速3mだった!
ちなみに、この「秒速5センチメートル」は桜の花びらが落ちるスピードに由来しているらしい。

まさか自分がそのスピードで歩く日が来るとは思ってもみなかったが


3月 回復の実感と、思い通りにいかない苛立ち

3月3日、ひな祭り。

前日のギブスカット後の初めての本格リハビリの疲れで朝起きるだけでものすごい重力を感じた。疲労感もすごい。
そこに妻と娘に何もしてあげられない無力感が上乗せになる。

宇宙から帰還した人って、こういう感じのすごいバージョンなのかしら。

3月4日には、50日ぶりの足湯。

足に固まりまくった老廃物は、一度では全然取れなかったが、足湯だけでも気持ちよかった。

3月6日には自主トレも許可され「なるべくやろう」と思った。

3月16日、ついに松葉杖デビュー。
とはいえ、これもまだかなり腕力頼み。
理学療法士さんの手引もあり、なんとか10メートル。

3月24日には、70日ぶりの屋外歩行。

風が、太陽が気持ちいい!

脳内では『はじめてのおつかい』のテーマがガンガン流れていたが施設から出て秒で点字ブロックにつまずいた。

3月25日には歩行器も併用するようになった。
こっちのほうが、まだスイスイ歩ける。

でもその一方で、毎日リハビリとほぼ毎日自主トレをしても、思ったように足が動かせない。

まともに歩けないことイライラし
それが、想像以上にストレスだということを知り
年寄や足の悪い人にもっと優しくしなきゃ、と思う。

3月23日時点では、松葉杖で150メートルが限界だった。


4月3日現在。

足の裏や指の感覚も少しずつ戻り、
荷重や変化に対応できる様になってきている。
でも、まだまだ足のあちこち痛い。
寝る前の痛み止めは必須。

劇的に良くなる、というよりは、
毎日ほんの少しずつ前に進んでいる感じだ。

事故から80日。

長いようであっという間、
ここから先も「少しずつ」なんだと思う。

焦りはあるが心も体も自分でコントロールする術を覚えだいぶマシになった。
今の自分にできるのは、やっぱり今日の分をやることだけだがやりたいことは山ほどある。

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