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歩けないあいだに、書いておこうと思ったこと


突然車に轢かれた。
救急車で運ばれた。
両足を7箇所か骨折して、二ヶ月半ほど入院している。

まさかこんなことが自分の身に起きるなんて。
使い古されたCMのフレーズみたいなものが思わず浮かんだが、でも本当に、こんなふうに急に立ち止まることになるとは思っていなかった。

これまでは、なんだかんだずーっと動き回っていた。
仕事して、また仕事して、休日も人に会ったり家族と出かけたり、何かと忙しく日々を過ごしていた気がする。

でも、両足が折れて強制的に歩けなくなると、時間の流れが一気に変わる。
というか、ぴったり止まる。

最初はほぼ何もできなかった。
そして考えることだけがどんどん増える。
というか、考えることしかできない。

冷たいベッドの上で、両足を固定するギブスと包帯がロボットの足みたいだなーとか考えて、ロボットをイメージして童心に戻ってみたり、カフカの『変身』の主人公を思い出したり、椎名林檎の「ギブス」を脳内再生して一人で「ダーリン」とか呟いてみたり。

そうやって、身体は止まっているのに、頭の中だけはやたらぐるぐる動く。

これまでのこと。
これからのこと。
家族のこと。
子どもたちのこと。
ずっと考えていたこと。
今になってやっとわかってきたこと。
痛みと無力感。

そういうものが、毎日少しずつ浮かんでは消える。

そのうち今までしがみついていたもの、信じていたもの、当たり前だった感覚、時間や方向の感覚まで崩れていって、病院の白と夜の暗闇の黒の中、まるで世界がゲシュタルト崩壊していくようだった。

この期間に出会って、お世話になっている人たち、
医師、看護師、療法士の方々。
その人たちの話では、両足を骨折する人はかなりレアらしい。

だったらせっかくだし、この貴重な体験も含めて、何か備忘録的なものを書いておこうと思った。


まずは、子どもたちへ。

といっても、別に立派なことを書きたいわけじゃない。
「父として何か教えたい」みたいな、そんな大げさな話でもない。

ただ、自分が何を考えて生きてきたのか。
何を大事にして、何に迷って、何を後悔して、何を信じてきたのか。そんな物が伝わるといい。

もちろん、お金は大事だ。
それがなければ、こうしてこのベッドの上にいることだって難しい。

でも、それでも思う。
案外、人が最後に残せるものって、自分がどう感じて、どう生きてきたか、なのかもしれない。

そういうことを、どこかに残しておいて、いつか子どもが興味を持ったときに読んでくれたらいいなと思った。

読んでくれるかどうかはわからない。
でもまあ、それでもまずは子どもたちに向けて書こうと思う。
そしてもし、同じように立ち止まっている誰かにも届くなら、それはそれでたぶん良いことなんだと思う。


人生は思い通りにいかない。

昔から人は、大きな流れに巻き込まれたり、どうしようもないものに振り回されたりしながら、色んな気持ちが混ざりそれを歌にしたり書いたりしてきたんだと思う。
方丈記とか、漱石の草枕とか。
みんな結局、無常の中で何かを残そうとしてきたんじゃないかなぁ、と。

僕の場合は
2020年以降、パンデミックの影響で経営していた店が大変になった。
2023年の春頃にはやっと緊急事態宣言が明けて、さあここから巻き返そうと頑張った。
2024年にはV字回復した。
でも、弱ったところを狙ったように裁判に巻き込まれて、会社経営をやめた。
その裁判は1年以上続きそのあとはすこし人を信じることに疲れてしまった。
そんな中、家族だけはいつもそばにいて力をくれた。

ここ数年は人間ってなんなんだろうなあ、と悩みながらも、大使館、ベンチャー企業、インバウンド主体のハイヤーなどと仕事を転々とした。

いろんな場所に行って、
いろんな人に出会って、
なんとかやってきた。

で、気がつけば車に轢かれて、病院のベッドの上。

いや、なんなんだよって話なんだけど。笑

でも振り返ると、人生ってずっとそんなものだった気もする。
思った通りにいかない。
計画通りに進まない。
ちゃんとやっているつもりでも、崩れるときは崩れる。

でも、だからといってそれで人生が終わるわけじゃあない。
むしろ、そういうときにしか見えないものも結構あったりする。

この先どうなるんだろうかとか、後遺症が残るかもしれないなぁとか、不安がゼロになることはない。
でも、今ここでそれを考え続けても、現実が急に変わるわけでもない。

悩んだら、何か変わるのか。
そう考えると、たぶん変わらないことのほうが多い。

だったら、今できることをやる。
今ある一日をできるだけ楽しく生きる。

たぶんそれしかない。


入院して、強く思ったことがある。

人は、制約されて初めて見えてくるものがある。

立てない。
歩けない。
ほぼ身動きもできない。

そうなると、今まで「当たり前」だったことが、急にとてつもなくありがたいものに見えてくる。

自分の足で立てること。
トイレに行けること。
好きなときに水を飲めること。
友達と一緒にご飯を食べること。
誕生日を祝えること。
家族と一緒に笑えること。

そんなことか、って思うかもしれないけど。
でも、たぶん人生って、ほんとはそういうことの積み重ねでできている。

マズローの欲求段階説ってあるけど、そのピラミッドの坂道を一気に転がり落ちてみて、あれ?もしかしたら逆にてっぺんから考えてみるのもありだなー、と思った。

何かをどんどん積み上げていって、上に行けば行くほど幸せになる、というより、いろんなものが削ぎ落とされていったときに、「あ、本当に大事なのってこれだったんだ」って見えてくる感じがある。

足が折れて、何もできなくなって、やっと見えたものがある。

それは、失って初めてわかる、なんてよくある話なのかもしれない。
でも、ほんとうにそうなんだと思った。

大切な人を。
時を。
自分らしいこだわりを。
大切にすること。

たぶん、最後に残るのはそういうことなんだと感じる。


もうひとつ、今回あらためて思ったことがある。

当たり前だけど、結局、自分の人生は自分のものだということ。

誰の人生でもない。
自分の人生だ。

だったら最後まで、自分の魂そのものに従って生きたほうがいい。

誰がどう思うかなんて、ほんとはそんなに大事じゃない。
そんな内容の動画ってSNSでもよく流れてくるけど、今回は身を持ってほんとにそうだなと思った。

人の目を気にして、比べて「これでいいのかな」ってずっとやっていても、たぶんキリがない。

自分が本当に好きなもの。
自分が本当にかっこいいと思うもの。
自分がやりたいと思うこと。

そういう、自分の魂を揺さぶる瞬間を、ちゃんと大事にして生きたほうがいい。
そのほうが、たぶん後悔しないし幸せだったと思えるだろう。

自分にとっては、それを感じさせてくれるもののひとつが音楽だった。

音楽は、ずっと人生のパートナーだ。
この入院生活も、音楽がなかったらベッドの上で干からびていたかもしれない。

しんどいときも、
意味がわからなくなったときも、
言葉にならない何かを、
音が先にしらせてくれることがある。

そして涙をながしたりする

そういうものが人生にひとつでもあるなら、人はたぶん、まだやっていける。

そういうふうに、この先も感じながら生きていきたい。


もうひとつだけ。

今回のことで、力を入れすぎていたことにも気づいた。

ちゃんとしなきゃとか、
格好つけなきゃとか、
先のことを考えすぎたりとか。

それを察するみたいに、病院のスタッフの方々には事あるごとに、もっと楽にして、もっと頼るように言われた。

両足折れていてなんにもできないんだからぁー、と。
そして何度も救われた

あるとき一人の療法士に肩にちから入りすぎ、深呼吸と言われて、ただ「ふーっ」とおおきく息を吐いてみた。
それだけで、少し楽になった。

力を抜いていたほうが、強いこともある。

それは、入院してやっとわかったことのひとつかもしれない。


まだまだ旅の途中だと思っている。
むしろ、ここからが本番なのかもしれない。

ヘタしたら事故で死んでいたかもしれないし。
だったらなおのこと、後悔しないように生きたい。

これからまた、やりたいことは山ほどある。

もう、悩むのはやめよう。
時間がもったいない。

だから、力を抜きつつ、少しずつ書いていこうと思う。

歩けないあいだに、考えたことを。

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